2024年3月26日に掲載 資料 日光・鬼怒川温泉・東武鉄道 1966年 爺さんの遺品整理にて発掘
鬼怒川温泉 徳泉閣ホテル パンフレット 1966年(昭和41年)
 色々とネット上で検索しまくったが当時に旅行していた人達は超高齢または既にお亡くなりになっている年代であり、 ほとんど情報は得られなかったが市議会議事録に「徳泉閣の跡地」と見つかったため現存しないことが判った。

 一般的に平屋造りしか作れなかったところ二階建てが作れるようになって「閣」の意味が正しく使われていた時代に誕生した宿でしょうか? 中国語で二階建ての建物を「閣」、更に高く豪華な建物のことを「楼」と呼ぶと勉強した。楼で有名な言葉は「摩天楼」。 漢字が参考にされたとしても江戸時代以前の城にて当時に中国語を使うこともないし「楼」であるべき建物のこと天守閣と呼ぶことはなかった。 明治時代の流行なのか二階建て建築物にやたらと「閣」が付けられている。アパートで言うところ「荘」からの「コーポ」「ハイツ」と言ったところか。
東武鉄道 特急けごん乗車記念パンフレット 日光国立公園への旅 1966年(昭和41年)
 1966年より前に東武鉄道は今とほとんど同じだったる。 以下のパンフレット以前に廃線になってる区間もあったが、図からは短い熊谷~妻沼というのが今は無い。場所から思いついたが秩父鉄道とは関係がなかった。

 細かいところでは分岐路線にて小泉町~太田になってるが今の路線図を見ると小泉町ではなく東小泉、田舎にしては駅が近すぎるし線路を移動させるはずもないため駅名が変わったのだろう。 都営地下鉄浅草線と接続してなかったため押上駅が無い。

 鉄道だけじゃなく急行バス(長距離)も書かれているが路線の変更のほうが大きい。東京駅八重洲口から野田市、そして群馬県方面は無い。この当時からと関係がないが現時点で運転手不足から近代に誕生した路線でも廃線となったのが多くみられる。
 これらの資料に宿の宣伝が散りばめられているが、どれひとつ取ってしても住所が書かれていない。 鬼怒川温泉では大型ホテルも含めて多くの廃墟が社会問題になったよう大部分が廃業しているため 場所も不明で改名の可能性の照合もできなかった。

 ほかにも私が生まれる前の資料も少し出てきた。タンスの引き出しの下に敷いてあった新聞は昭和39年のもので テレビ欄にテレビ東京(東京12チャンネル)は存在してなかった。 それもそのはずテレビ東京は2024年の今年が開局60周年記念でした。