2012-03-12 Mon
伊豆縦貫自動車道とした全体像は数年後でもできるか怪しいが、最近半分くらい開通した東駿河湾岸環状道路は熱海にメリットがないばかりかデメリットな道路であろう。函南から先に曲がってつながるとしても伊豆スカイラインであって熱海までつながらないのでは意味がない。熱函道路は渋滞で困ってるとかいう話もなく機能しているので新たに作るはずもない。問題は私が物心ついた頃から変わってない部分にある。東京から伊豆半島(熱海から下田の東側)に向かう場合、渋滞で嫌になるのは小田原厚木道路と早川(小田原)からの国道135号沿いの有料道路なので、もし東駿河湾岸環状道路全体が開通するとなると東京方面から伊豆半島の南へ行くのに非常に楽になる。
東駿河湾岸環状道路だけでも三島市内をバイパスしているだけ遠回りでもメリットがあり、個別に完成している有料道路に接続しているので既に観光バスのルートとなっている。西方面から来るルートでは新東名高速道路(第二東名)と新インターチェンジの完成によって更に中伊豆に抜けるほうが便利となる。
東駿河湾岸環状道路の完成を期待するなど何も見えてない市議会議員がいたのにはがっかりで、たぶん多くは熱海の住民であるのだから、こちらとしては落胆を越えて呆れるとしか言いようがない。逆に考えれば住民だから客の行動がわからないんだな。ホテル経営者のお仲間を多く持ちながら何かと意味不明な事を考えておられるが、それで観光などと語るなら議員をお辞めになるべきです。有権者は何を見て投票しているのか?
東名高速から伊豆中央道、伊豆スカイラインへの接続がもっと楽になると混雑の元である「箱根」につながる道路を通る必要がなくなり、急がば回れということで沼津インターチェンジが活用され国道135号線の交通量が減って裏道になるかもしれない。そう言えば子供の頃、家族の職場の保養所が箱根の仙石原にあったとき御殿場から乙女峠を抜けてゆくルートだった。今、地図を見ても理にかなってる。長年、混雑するイメージが付いているとなると、大昔の新婚旅行地と違って現在でもブランドとして成り立ってる箱根から来やすいようにしたり、太平洋側の道路を整備したほうがよろしいのではないかと思う。
伊豆縦貫自動車道(東駿河湾岸環状などを含む全体通称らしい)の完成を中伊豆から下田がよろこんでいるのはわかる。だが熱海まで抜けるはずもない集客的にデメリットな道路にすがる理由が私には理解できない。函南IC(計画)からが伊豆縦貫自動車道なら南へ向うはずで熱海にはなんの関係もない。よって何年後においても小田原からは135号であり、沼津、三島からは熱函道路しかないのではないのか!?
修善寺から下田まで中伊豆ルートが有料道路によって確立されたら、誰が一本道で渋滞する135号線なんて使うのか! 既に今の道路状況で東京、新宿から河津や修善寺の観光バスは熱海を通りません。小田原立ち寄り便も伊豆スカイラインからターンパイクに入るから熱海は関係がない。
このように、いろいろ勘ぐってみても東駿河湾岸環状道路をよろこぶ意味がわからない。
余談、
3月11日、久しぶりに湯らっくすマラソンが開催された。昨年(27回)は東日本大震災直後の日程ということで中止となったため2年ぶりとなったが、まだ津波アレルギーなのか参加者が減ったように見えた。減った理由にはこの点での参加同意が入った理由もあるでしょう。当日、いつもは来ることがない東京キー局テレビの取材陣も来ておりリハーサル風景を見聞きすることになったが、やはり彼らは正しい見解ではなく視聴率主義で恐怖を煽りたいらしい(念のため、放送ではなくあくまで収録に聞き耳立てていた内容にて)。
都会のマラソンのほうが危ない。大地震がきたらガラスが飛散するかもしれない、ビルが倒壊、大火災に巻き込まれるかもしれないが、この安全性を確保したのか!できるわけなかろう。このような確率的に必ずある危険性への対処は警備員の数など関係がなく、仕方がないと言える。彼らが身をていして降り注ぐガラスを防いでくれるはずがない。なのに今まで海岸線でのイベントは中止されてきたが、大阪や東京マラソンは苦情もなく開催されたのには参加者のおかしな判断を感じた。世間の判断能力とはその程度か。津波を怖がるのは当然だが地震が原因である以上、全ての危険を見据えて正しく怖がってないがゆえ、これも風評被害と言える。
震災後、何かと他の危険性を無視して津波や放射能を語るようになってしまったが、人数的には交通事故でお亡くなりになるほうが多く累計数十万人、これに誰も文句をつけない世の中のほうが狂ってる。ようするに全員に均等に来る恐怖では大小に限らず騒ぐが、誰かが確実に死ぬが自分じゃないかもしれないなら知ったことではない薄情者ということになる。社会構造上、人為的に死ぬのは構わないらしい。
思い起こせば震災後に何かと津波の危険性で中止されてきたが、危険の確率で言うなら、きのうも今日も何年前も何年後にも変わりはない。東日本大震災による津波の衝撃が強すぎるあまり、他にある危険性を感じることがなくなっている。どうして正しくものごとが見えないのだろうか?危険の可能性で語るのならば地震に絞って語っても建物倒壊、崖崩れ、火災があり、むしろ尋常ではない被害を及ぼす津波のほうが逃げるまでに余裕がある。事後も数々の非論理的な行動を見て、今でもガレキ処理問題では政府が信用とか言う以前に市民がモンスター化しており海外紙では既に日本人の団結力とやらの化けの皮が剥がれてきた。恥を知る国民性であるならば無知で騒ぐという恥から脱却すべきではなかろうか。正しい事を声を大にして言うのはいいが、結局声がデカイ自己中ばかり増えて本当に恥ずかしい。
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