2020-07-25 Sat
なにも新興住宅地に限らず移民が多い地域は同じよう感じる。最近で言うならば武蔵小杉、晴海~豊洲に住み着いた奴らの無秩序ぶりは自覚症状が全くないから普通のツラをしていられる。晴海~豊洲においては日本橋、銀座に越境してくるから晴海通りや昭和通り沿いの歩道で暴走ママチャリにぶつかられそうになるなんて過去に有り得なかった。広範囲に影響をおよぼすことで傍若無人を繰り返している奴らを知る。ずっと都内から訴えてきたが、東京の次が神奈川で、その次が埼玉か千葉かなんて下らないテレビ番組や週刊誌ネタが悪いんだが、生活環境が人間形成に関与するのは事実だが、問題は個々に人間にある。そうは言えども神奈川県の高い都市生活不適合者ぶりは新興住宅地ほど酷くなり、人口が多く、道路が広く、見通しが良いこと全てが逆にマイナス要因となってしまう…
決定的な違いの一つ
あちらの方々: 車も人もいない安全だと思ってる
こちらの方々: 24時間、車も人も動いて誰かいる
真逆の概念を持つ者に事故など減らせるはずがない。多くが不慮の事故ではなく無能による結果。ヘッドホンステレオで音楽聴きながら歩けるのも、ながらスマホができるのも危険人物で加害者と被害者の両方になる要素を持ち合わせており人間として重大な欠陥を持っている。
過疎地の危険な概念をお持ちの方々によって形成された都市では何百倍も危険が増してきた。環境、人口密度、車両台数など多角的な条件で判断せねばならないが、元を辿れば人口が少ない地域にも関わらず交通事故の発生率の高さが危険を物語っており、そういう人達が集まって起こしたのが過去の交通戦争であるが、減少へ好転してる死者数は技術進歩と医療で覆い隠してきたにすぎず事故件数は多いまま。
旅行にて見かけてドン引きしてきた無謀を東京でも見かけるようになって身の毛もよだつが、乱雑とした見通しの悪い空間によって事故の発生から逃れることがあり、郊外の新興住宅地なる移民者の巣窟になると下手に広くて人が多いだけに注意散漫になり地方より酷い有様となる。
東京都の外縁部、古めの多摩川沿いの川崎市より更に外縁部は丘陵地と呼ぶべきか宅地開発が面倒なので新百合ヶ丘など同様に残った場所が近代において宅地化された。宅地開発が何十年か前から始まっていても完成を見たのは近年のこと。
新旧の人間が混ざらないため叱りも受けず集団で傍若無人な生活を繰り返したのが新興住宅地。土地がなくなった今は大規模アパート(通称マンション)。たった1人が秩序を乱すこともあり酷い奴だけがマスコミのネタにされるが、人間が原因だから狭い民家の集まりだって小さいアパートだって原因を持った人間に違いはない。
何も考えずに人間だけ集めているので先にできた場所から一斉に老朽化、高齢化が起こって事業衰退した。神奈川県のある新興住宅地では、おしゃれな店は消え、映画館もなくなり、そして銀行もなくなった。それでも東京から見て信じがたい路線バスの運行本数だから待ち時間に苦痛がない。それは電車が不便だから路線バスが発達してる。千葉県内でも似たようなこと起き、人口が減少したため必需品である食料品店の撤退まであったから買い物難民が問題になった。高度成長期だと思うが、人間形成の失敗どころか、町づくりも失敗だった。
7月24日、神奈川県横浜市都筑区茅ケ崎中央 センター南駅バスターミナル [地図] から出てきた路線バスと自転車の交通事故が発生。自転車に乗っていた小学3年は死亡。報道から事故現場と思われる場所 [Googleストリートビュー] は非常に見通しが良い。
もっと危ないと思うのは事故が発生した横断歩道ではなく通りと平行した側。このような場所で経験上わかるのが歩道側の信号無視が常態化することである。通常の丁字路ではなく路線バスとタクシー専用のため信号に関わらず出入りが固定的であり通行量が少ないため信号を守らない人が続出する。だが、通りに出る側であるため車両が注意もせず出ることがないため事故は起きにくいってだけ。悪い条件が揃えば危ない場所ってのは感じ取れるのだが、どうやら感じ取れないほうが大多数のようだ。
本件は双方が青信号での車両が右折という典型的な事故だけに想定されたことで避けられなかったのは悲劇であるが、言わせて欲しいのが自転車横断帯は設けられていないこと。
バスの死角に入ったと考えられるが、もし歩いて渡っていたら気づかれるチャンスと逃げられるチャンスがあったのではないかと思ってしまう。
そもそも信号機の制度をご理解いただいてない方が日本中に大勢いらっしゃる。
信号機はわかっても、自転車は車道走行が原則を守らない奴は、ほぼ全員。
何歳が乗ろうとも自転車は「車両(軽車両)」であるため歩道上の通行には決まりがあり何人たりとも走行と呼ばれる状態になることはできないのだが、横断歩道に至っては車道上に設けられたもので通常の歩道ではない。歩道にある特例にあてはまらない。
「横断歩道を自転車に乗って走ってはならない」
それが当たり前なのだから歩道走行を認めたのは改悪。当然だが降りて歩けば歩行者だ。
(原動機付き二輪車は動力を切らない限り降りても歩行者にはならない)
横断歩道を車両が通行できなくて当たり前なのに、法律家の中には時代に沿ってないなどと宣う奴がいた。それはだな、「みんな信号無視してるんだから渡っても良いことにしろ」って要求に等しい。これだから都市生活不適合者は恐ろしいのだ。
「みんなやってる」 それが都市生活不適合者の典型的な逆ギレ反応。真っ当な人間だったらダメと言われたらごめんなさいであろうが、他の奴もやってるじゃないかと言うのが既に奇病をお持ちの方々ですから、親の世代なら、ちゃんとした子を育てることもできない。自覚症状がないだけに「赤信号みんなで渡れば怖くない」をしていることは実に多い。新興住宅地やマンション群の地域ほど奇病が猛威を振るい続けている。
死人が出ればニュースになるが、どちらか、または双方の注意散漫または無秩序によって事故は多々起きている。私が知ってる場所では幹線道路に通じる道で、ちょっと手前の路地の交差点ため信号機が設置されておらず、バスが通る広い道に対して突っ切る奴がいるため事故が起きてる。だから路線バスは非効率にも必ず一時停止することになった。見通しは良いから歩行者が事故を起こすことは少ないだろうが、やっぱりチャリカスが高速で突っ切れば自動車(バス)のほうは対処のしようがない。
自転車の交通弱者扱い、かつ、歩行者同然と勘違いさせる扱いを撤廃すべき。責任を明らかにするため車両には暴走車であろうとも破壊されず残るフライトレコーダーみたいな仕様で義務づけるべき。
第何次か知らないが交通戦争は始まっている。育ってしまった奴らは潜在意識下で対処することはできない。世の中を見てればわかるさ。そんなところ、どうして確認みせず突っ切れるのか!?なんてのをざらに見かける。単なる偶然が何も起こらないだけで、その反対に偶然が事故となる。
小3では解らないと言うならば、あまりにも違いを理解してない証拠であり、それは運転手側にも言えることである。既に狂ってる大人たちから先に再教育しなければ止められるものも止められない。違法の警察官を叱ってきたように役所や政治家も同類、解らないのが大勢を占める。狂った概念を持ち合わせてることが問題であるだけに事件、事故を減らすどころか増える要素しか見当たらない。
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あちらの方々: 車も人もいない安全だと思ってる
こちらの方々: 24時間、車も人も動いて誰かいる
真逆の概念を持つ者に事故など減らせるはずがない。多くが不慮の事故ではなく無能による結果。ヘッドホンステレオで音楽聴きながら歩けるのも、ながらスマホができるのも危険人物で加害者と被害者の両方になる要素を持ち合わせており人間として重大な欠陥を持っている。
過疎地の危険な概念をお持ちの方々によって形成された都市では何百倍も危険が増してきた。環境、人口密度、車両台数など多角的な条件で判断せねばならないが、元を辿れば人口が少ない地域にも関わらず交通事故の発生率の高さが危険を物語っており、そういう人達が集まって起こしたのが過去の交通戦争であるが、減少へ好転してる死者数は技術進歩と医療で覆い隠してきたにすぎず事故件数は多いまま。
旅行にて見かけてドン引きしてきた無謀を東京でも見かけるようになって身の毛もよだつが、乱雑とした見通しの悪い空間によって事故の発生から逃れることがあり、郊外の新興住宅地なる移民者の巣窟になると下手に広くて人が多いだけに注意散漫になり地方より酷い有様となる。
東京都の外縁部、古めの多摩川沿いの川崎市より更に外縁部は丘陵地と呼ぶべきか宅地開発が面倒なので新百合ヶ丘など同様に残った場所が近代において宅地化された。宅地開発が何十年か前から始まっていても完成を見たのは近年のこと。
新旧の人間が混ざらないため叱りも受けず集団で傍若無人な生活を繰り返したのが新興住宅地。土地がなくなった今は大規模アパート(通称マンション)。たった1人が秩序を乱すこともあり酷い奴だけがマスコミのネタにされるが、人間が原因だから狭い民家の集まりだって小さいアパートだって原因を持った人間に違いはない。
何も考えずに人間だけ集めているので先にできた場所から一斉に老朽化、高齢化が起こって事業衰退した。神奈川県のある新興住宅地では、おしゃれな店は消え、映画館もなくなり、そして銀行もなくなった。それでも東京から見て信じがたい路線バスの運行本数だから待ち時間に苦痛がない。それは電車が不便だから路線バスが発達してる。千葉県内でも似たようなこと起き、人口が減少したため必需品である食料品店の撤退まであったから買い物難民が問題になった。高度成長期だと思うが、人間形成の失敗どころか、町づくりも失敗だった。
7月24日、神奈川県横浜市都筑区茅ケ崎中央 センター南駅バスターミナル [地図] から出てきた路線バスと自転車の交通事故が発生。自転車に乗っていた小学3年は死亡。報道から事故現場と思われる場所 [Googleストリートビュー] は非常に見通しが良い。
もっと危ないと思うのは事故が発生した横断歩道ではなく通りと平行した側。このような場所で経験上わかるのが歩道側の信号無視が常態化することである。通常の丁字路ではなく路線バスとタクシー専用のため信号に関わらず出入りが固定的であり通行量が少ないため信号を守らない人が続出する。だが、通りに出る側であるため車両が注意もせず出ることがないため事故は起きにくいってだけ。悪い条件が揃えば危ない場所ってのは感じ取れるのだが、どうやら感じ取れないほうが大多数のようだ。
本件は双方が青信号での車両が右折という典型的な事故だけに想定されたことで避けられなかったのは悲劇であるが、言わせて欲しいのが自転車横断帯は設けられていないこと。
バスの死角に入ったと考えられるが、もし歩いて渡っていたら気づかれるチャンスと逃げられるチャンスがあったのではないかと思ってしまう。
そもそも信号機の制度をご理解いただいてない方が日本中に大勢いらっしゃる。
信号機はわかっても、自転車は車道走行が原則を守らない奴は、ほぼ全員。
何歳が乗ろうとも自転車は「車両(軽車両)」であるため歩道上の通行には決まりがあり何人たりとも走行と呼ばれる状態になることはできないのだが、横断歩道に至っては車道上に設けられたもので通常の歩道ではない。歩道にある特例にあてはまらない。
「横断歩道を自転車に乗って走ってはならない」
それが当たり前なのだから歩道走行を認めたのは改悪。当然だが降りて歩けば歩行者だ。
(原動機付き二輪車は動力を切らない限り降りても歩行者にはならない)
横断歩道を車両が通行できなくて当たり前なのに、法律家の中には時代に沿ってないなどと宣う奴がいた。それはだな、「みんな信号無視してるんだから渡っても良いことにしろ」って要求に等しい。これだから都市生活不適合者は恐ろしいのだ。
「みんなやってる」 それが都市生活不適合者の典型的な逆ギレ反応。真っ当な人間だったらダメと言われたらごめんなさいであろうが、他の奴もやってるじゃないかと言うのが既に奇病をお持ちの方々ですから、親の世代なら、ちゃんとした子を育てることもできない。自覚症状がないだけに「赤信号みんなで渡れば怖くない」をしていることは実に多い。新興住宅地やマンション群の地域ほど奇病が猛威を振るい続けている。
死人が出ればニュースになるが、どちらか、または双方の注意散漫または無秩序によって事故は多々起きている。私が知ってる場所では幹線道路に通じる道で、ちょっと手前の路地の交差点ため信号機が設置されておらず、バスが通る広い道に対して突っ切る奴がいるため事故が起きてる。だから路線バスは非効率にも必ず一時停止することになった。見通しは良いから歩行者が事故を起こすことは少ないだろうが、やっぱりチャリカスが高速で突っ切れば自動車(バス)のほうは対処のしようがない。
自転車の交通弱者扱い、かつ、歩行者同然と勘違いさせる扱いを撤廃すべき。責任を明らかにするため車両には暴走車であろうとも破壊されず残るフライトレコーダーみたいな仕様で義務づけるべき。
第何次か知らないが交通戦争は始まっている。育ってしまった奴らは潜在意識下で対処することはできない。世の中を見てればわかるさ。そんなところ、どうして確認みせず突っ切れるのか!?なんてのをざらに見かける。単なる偶然が何も起こらないだけで、その反対に偶然が事故となる。
小3では解らないと言うならば、あまりにも違いを理解してない証拠であり、それは運転手側にも言えることである。既に狂ってる大人たちから先に再教育しなければ止められるものも止められない。違法の警察官を叱ってきたように役所や政治家も同類、解らないのが大勢を占める。狂った概念を持ち合わせてることが問題であるだけに事件、事故を減らすどころか増える要素しか見当たらない。
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