2014-06-26 Thu
そういえば知り合いが旅行のついでにSLを撮りに行ったら ひどい光景を見た と言ってたの思い出した。前に入ってきた人に対して罵声を浴びせてるのを見たのだと。普通の道ですから前に入り込む余地はいくらでもあり、入るなと言う権利はない。あの世界は一般常識とは違って、ある人によると昔は道徳的だったが撮影場所における「暗黙のルール」が崩壊したことが原因だとか...昔はその筋のマニアだけが集まっていたから、それなりの機材やら撮る画角からある程度の場所が決まっており、別の誰かに障害になるような位置では撮影しなかったのだと言う。その暗黙のルールが崩壊したこともあるだろうが、テレビで空気読めない奴らが増えと言われてきたよう一般常識すら崩壊しているのも原因であると考えられる。
これ、何やら最近体験してることだと思った。ゆるキャラ や 花火大会 で、座って見てる人の前に平気で立ちはだかれるクソガキどもが増えたと嘆いたばかりである。もちろんその親が異常だから子もそうなったわけ。注意しても ごめんなさい でもなんでもないから 罪悪感 が皆無なのだ。
「ちょっと悪いけど前を通っちゃった」なら罪悪感があるわけで歯止めが利く可能性が残されてるが、罪悪感がないってことは人間として末期症状なのです。昨今の異常な事件からも問題は迷惑行為以上につながる。罪悪感の欠如の証拠として、数々の不謹慎から犯罪行為の画像投稿がされていた事件はまだ記憶に新しい。マスコミが取り上げた以外にも多く、事実の確認ができないが犯罪を自慢するかのような投稿画像を何枚も見ている。
さて前の話に戻るが、三脚立てての居座りは別として公道であるならば、“どこにいようとも文句言われる筋合いはない”というのも正論であり、これは道徳的な問題でしかない。新参者が教えを請うという行為もせず、空気も読めないから「暗黙のルール」に従えなくなってる。
「鉄道ファンの皆さまへお願い」とか、やんわり言っても聞く耳持たないのだから最近の鉄っちゃんという社会常識から逸脱した人たちへは、もっと高圧的な態度に出るべきではなかろうか。なぜなら、そんな奴らは客でもないし、ましてや鉄道ファンを名乗る資格すら有してないのだから!
・民家及び鉄道 敷地内への立ち入り及び無断駐車
・スピードの出しすぎ等による危険な自動車運転
・路上駐車による通行支障
・ゴミの投げ捨 て
・タバコの火の不始末
JR東日本新潟支社プレスリリースより
日常的な光景として、駅のプラットホームで三脚立てるとかルールを越えて常識すら外れてしまっている。放置するのは社会教育上の問題がある。親が教育する能力を失っているのだから、社会・マスメディアがもっと非常識な行為だと世間にさらすべき。
・電車を外から撮影するとの車内は全く違う
臨時便に乗り合わせたとき、学校の制服を着ているから高校生だと思うが写真を撮っていた。それはよく見かける風景だからいいんだが、問題は私が降りるときに発覚した。奴は車内で我々のほう、車内をずっと撮影していたのである。こっちはガキじゃあるましキョロキョロするわけがないから降りようとするまで気づかなかったが、私が動いてもカメラを構えたままだった。行動から触れていけない人かもしれないと思ったが、これがマニアの実態なら捨て置けない。
マニアじゃなくても旅行で電車や車窓を撮ることはあろうが、外観・車窓を撮るのと客席を撮るのでは配慮の仕方がまるで違うことをわかってないのだろうか。プラットホームで禁止の三脚立ててる小僧を見る限り扱われ方の信用をすることはできない。
・「親の顔が見たい」とはよく言ったもの
キャラクターイベントを観覧していると、もはや頭がおかしいのは親であることはわかる。多くの人たちが座ってる中、前のほうにまでやってきてバカ親ごと立ったまま子を連れて撮影してる。こうして、周りの人のことなんて全く考えられないように育てられてしまう。「三つ子の魂百まで」ですから、異常に育てられた子たちは既に社会にでてきてる年齢に達してる。
子育ての一つとして、子のわがままを実現させることではなく、上手に抑制することだ!
いろんなものに触れさせ感性を磨くにしても、何でも与えるという意味ではない!
歴史的に多くの人たちと接することがない人たちが持ってない能力は断片的に証明されてるが、この自己中な行動の裏には大勢の人がいるところでどうすべきかの遺伝子が欠落してるのではないか!?
各地で目の当たりにすることからも、固有の人たちが行ってる行為ではないことが証明されてる。事の発端は「団塊の世代」だと私は強く感じている。戦後の日本は支えたが子孫を堕落させたから。
小さい頃に知らないおっさん、おばさんに怒られた経験って後で効いてくるのかもしれません。今は、それがない。逆ギレがメディアを通して伝わって以来、怖い親父は絶滅危惧。
このように日本人の将来が真っ暗なのだが、ゆとり教育のゆとり部分が不道徳教育に生かされてしまったわけで、社会・行政はこのままバカ親を放置するのだろうか・・・。
ある人が、ベビーカーを持ってレジ待ちしてたら、邪魔だどけって言われたとツイートした。もっと言い方があるでしょって書いており、それに賛同して返信を付けてる連中しかいないのだが、邪魔だって酷い口調で言われる前に、
不道徳行為を平然とやってるのはお前のほうだ!
これがわかってないから、同調した返信者共々、自らの不道徳行為を正当化してゆく。似た件では、自転車で店に乗りつけ、乗ったまま窓口で注文し、全体を塞いで入口に他を寄せ付けない状態にしている奴らを何度も見ている。“ドライブスルーじゃねぇんだ ボケ!”って言いたくなるね。
田舎の常識、都会の非常識
物事の考え方を教えてやるが、例えば電車の座席に荷物を載せてる場合だが、座席に空きがあったとしてもダメはダメなのだ。なぜかと言うと、目撃した人は、空きがあるからよいだろうという複合的要因な情報としては伝わらず、やっても良いのだと行為だけが伝わる。こうして混雑気味でも荷物をどかさない奴が現れてきた。10年程前には皆無だったベビーカー乗車の不届き者も、このように広まったのではないかと思ってる。もちろん若年層の人間性の低下も合わさってのことや、田舎と都会のわからない人たちが増えすぎた要因も大きい。
おしまいに お約束の言葉、
これで日本が素晴らしいなら、世界はどんなにロクでもねぇ連中ばかりなのか!!
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