2014-01-22 Wed
ごく一部の人たちしか知らない時代から通信をやってると、文字だけの媒体では誤解を生みやすいということを痛感させられる。勝手に誤解して仲が悪くなるなんて当たり前のように発生していた。そこで誤解されないよう説明を付け加えだすと、今度は長文で読みもせず誤解してくる。結論としたのはネットで真意は伝わらない。それでも書かないで誤解されるようなら付け加えておいたほうが安全だ。オフミ(オフラインミーティングの略、現:オフ会)をすると当事者がわかるようになり誤解というか揉め事が減る。 今で言うなら動画投稿をすると心無いコメントが多くて精神面を鍛えられるが、伝わってないことに変わりはない...
何かと見ても読んでもいないのに騒ぐネット民。正しく認識できない間接的な話で騒ぐからたちが悪い。当方では読売テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」は録画対象。流れから読みとれる意図から見ていて問題があるとは思えなかったのが前に炎上した春香クリスティーン発言だ。ネトウヨの気分を害するテーマでなければそこまで騒がれなかっただろう。コメンテーターの認識の甘さは置いといて、マスゴミと称してきてる連中がそいつらと同じように特定部分だけをつまんみ、更に番組を見てもない連中が騒ぐなんぞ、どちらが社会に害悪なのかわからなくなる。
次に最近日テレのドラマ「明日、ママがいない」が騒がれており、上記と同様に到底見たとは思えない連中から勝手な意見が拡大している。現実離れして誤解を生む?現実離れしてるからドラマなので、その苦情が出たらノンフィクションしか放送できなくなる。いちいち例は出さないが、そう言うなら問題視されてないすべのドラマに苦情を出せるだろう。
このドラマが行き過ぎなのかは時代も関わってそうだ。我々が子供の頃、更に前だったらこうまで問題にならなかったかもしれない。生活が豊かになってそういう境遇に置かれた人と共にしたこともなく他人を思いやる心が子供から培われてない。思い起こすと子供が主役でないが似たような境遇のドラマはあった。成人を18歳にしたい政府の思惑に逆行して精神年齢が下がってる現代では主人公が青年期ならば問題ないとも言えないだろう。
苦情に乗ってる人たちはテレビなんて見ないとか言ってる連中ばかりなはずだが、見てないはずがテレビで騒ぎがあると真っ先に入ってくるような気がする。イヤなら見ない、そして正当な評価を下すなら見る必要がある。ドラマであるから現実でなく、現実のほうで子を捨てるのを助長してると言われてる熊本の赤ちゃんポスト設置病院側が文句をつけてくるなんぞは本末転倒といえよう。
しかし、これもマスコミを通しての意見であり、放送中止を申し立てているとされる側の要求の全体像がわからない以上、範囲を超えて反論することはできない。知らないまま言い出したら非難しておきながら同じ穴の狢(ムジナ)となってしまう。
赤ちゃんポスト設置病院側に制作前の取材は一切入ってとの新聞記事だが、それはドキュメンタリーではなくドラマなのだから当然で、取材するとなると「現存する・・・とは関係ありません」ではなく関係あるになってしまう。ドラマは架空の出来事だという意味すらわかってないのだろうか。題材が大きすぎて親としての後処理が大変だから子供が見る時間帯に放送すべきではなかったとは言える。
放送当事者である日テレはTV業界時間で21日の深夜に問題の番組を再編成して放送した。
ちなみにYahoo意識調査で現時点の結果は、
45.2% 偏見を助長してしてると思わない
38.8% 偏見を助長していると思う
16.0% 見てないからわからない
>岡村隆史、日テレ・ドラマ批判に苦言
>「なんにもできへんようになる」 「ちょっと気に食わないと、また中止」「テレビは終わった」
<偏見と決め付けて蓋をするのが教育でしょうか!? ドラマを通して一緒に考えるのが教育では>
特に現在の子へは精神および道徳教育が地に落ちてる。お受験パパママ、モンスターペアレントの言葉に代表されるべき異常性は親の時代からすでに始まってる。偏見ではなく傾向だが、ある種の親の子は捻じ曲がってるのが多い。
自分の子供の頃を思うと今以上に小さいことで騒がれてた。高視聴率番組だった「8時だョ!全員集合」なんてPTAの標的になっていたが、後で思ったのは、全員集合を打ち切りに追いやったと思われるフジテレビの「オレたちひょうきん族」のほうが、表現性としてよっぽど酷い内容だったと思う。対象年齢が全員集合より上だから苦情が少ないのか、小さい子だった私の耳に入ってなかったかは解らない。でも、真っ当に育てられた子ならテレビという媒体くらいはわかっている。
理解度は違えど子供は大人の話すら全部聞いてるんだ。自分が歩んできた道も忘れて、わからないとか決め付けるなよ。隠すのではなく正しく導くのが大人の仕事だろ。おのれの時間にあけくれて子供と向き合うことをしなくなった団塊の世代は仕事、団塊Jrは個人の勝手な時間優先じゃないのか。そして全員が籠の中の鳥のよう育てられて免疫すらできない。野外で迷惑な子供の放置問題から出てきたが、自分が叱られた経験がないから正しい叱り方すら知らない。そこから考える過程を経ず、調べもせず、議論もしなくなったから自分勝手が許されなくなったときの反応がキレるという行為。
「三つ子の魂百まで」なのに幼少期に正しく教育が完了しなくなった。
そういう環境だとこのドラマは危険か? でも子供なんでいつでも残酷ですよ
教育対応する気もない連中が怒ってるのでは? 臭いものには蓋、堂々巡りでロクな大人が育たない
本件に関わってる制作者は、高校教師、人間・失格、未成年、この世の果てなどなど蓋をして考えない社会問題やタブーを多く扱ってきたが、見てきて変な方向へ行くことはなく考えさせられる内容だった。むしろ悪ガキどもが美化されて見えるドラマのほうがよっぼど害悪だと感じてる。本件ドラマより莫大な影響を与えてる媒体がある・・・全てではないがマンガ(アニメ)です。外国でカットされちゃうような暴力シーン満載だ。テレビよりもっと酷い内容が含まれているにも関わらず支持層が多いことからケチが付つても擁護派が劇的に増えてしまう。好きな媒体とか関係なく内容で考えるべきだ。
しかし、この程度で騒ぐようでは世間のほうが過敏というかネット社会によって異常性が現実より何十倍に膨れ上がって表現されるようになってる。私が小さい頃にやってたTBSの赤いシリーズからの流れも異端な状況とかいじめとかばっかりでしたが、それが原因で社会に偏見が生まれたなんて記憶に全くない。あったのは、いじめ役の人が世間で酷いこと言われたってくらい(ドラマと現実を混同してる奴はいたわけだ)。なんで当時、社会問題になって番組がなくなってないんですかね? このあたりの違いもよく考慮すべき。社会の成熟度が下がったから偏見で影響があると言われるのかと考えましたが、それよりも苦情の声が拡声器のごとく大きくなったのではないかとも考えてる。視聴者が「見ない権利」も行使せず、少しでも気に入らないことがあれば潰しにかかる。これはネット社会ほうで起きるが、そのように個人の意見のみで介入してくる
「この程度」を誤解しないよう説明すると、テレビドラマでは連日のように、もっと陰湿な事や殺人事件が起きているからである。それに噛み付いてもいないのに、この件で突如として言い出すのが理解できない。このままだと、例えば交通事故に遭って思い出すから車を映すなとか言い始めるに違いない。そうなったら、もはや何もできない。その前に都合の悪いことを言われると困る政治家どもが表現の自由を崩すべく介入してくる恐れがある。
観光業にて何かと批評をやってきてる当サイトだが、要望を語ったとしても直接抗議することはしない。それは筋違いだからだ。同様に、評論という自由ならまだわかるが、空想であるドラマに放送中止要請という介入には驚いている。テレビは見ない権利を行使するのが簡単。悪影響を受けると思ったら絶対に見ない、見せないこと。更に民放は良くも悪くも広告に支配されているから広告が降りても放送を中止しないようなら よほど自信を持っていると考えられる。
繰り返すが、見ないか、批評するなら見るかだ (大人の場合)。 ちなみに「にっぽん!いい旅」も見続けてます。1回じゃ評価できないし、見なければ批評する資格がない。そして個人が旅番組として評価してないだけなので介入なんてありえない。前番組と比べて品格がなくなり残念だって書くのみで、どうするかは世間の流れから放送局が考えればよいだけのことだから。
またもや増えてきたデモ(報道されない)だが、筋違い抗議で非論理的な情報を基にしたのも多い。牛は食ってもいいけど鯨はダメだとかひとの食い扶持にまで文句を付けてくるような連中のやり方をマネてはダメだ。「黙りすぎてた日本人は正しい意思表示の仕方がわかってない」 だから異常事態へと発展してしまう。
私も至らないところばかりだが、こうして学習してゆきたい。
(追記:ネットで加速する モンスタークレーマー問題。 近日のもののみ抜粋)
> 「モンスタークレーマー増えすぎ」の声 キリンの缶チューハイCM中止問題
> ファミマに「フォアグラの飼育は残酷」と抗議 やむなく特製弁当の販売を中止
> 全日空、批判受けCM中止=外国人描写に「差別的」
> 全日空、駅広告も撤去=民族衣装編でも抗議警戒
広告主や営業者は世間体を気にするので、たとえ一人であっても大声で騒がれたら聞き入れるしかない。これで自己中だろうと意見を出したら通るのだとモンスタークレーマーを助長させることとなった。
言うべきことは言うべきだが、それが行き過ぎて不当なモンスタークレーマーとなっている・・・。
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