2014-08-13 Wed
新聞(紙とインターネット)を読んでいて謎となるところや読みにくい部分において、前回は文字コードの種別について統一性のなさを書いたのだが、それに加えてハイフンとダッシュの使い分けがわからない。文字囲みの場合、括弧やクォートなら ( )、“ ” のように前後で明確に囲まれてる意味がわかり、 ~副題~ のように「波ダッシュ(?)」同じ文字での囲みなら理解できるが、ハイフン、ダッシュなど複数ある文字で囲まれてる単語や短文の理由がわからない。横棒は1文字使用では漢数字の1 や のばし(長音)記号 と区別が不明瞭となる場合がある...ダッシュを使って文字囲みしてる前後で使用文字が異なってる意味が理解できない。調べると英文で「enダッシュ」と「emダッシュ」というのがあり、用法が異なるようだ。それらはハイフンとも異なるとのことだが我々には関係なさそうだ。
ダッシュ、ハイフンは和文(全角記号)の割り当て文字でも更に増えてしまうため、横棒線な書体だけでも数種類が平然と使われてると思う。新聞(印刷物)でもなんとなく線の長さや上下の位置で文字の違いがわかる。
「どうなってしまうのか――。」
こんな感じなら出版業界で決め付けられたルールかのよう使われてるパターンらしい。
小説とか読むとよくありますね。棒が繋がってるのが良いみたいで 「……。」を使うのは嫌われてるのかな。
ところが以下のような長音符と誤認しやすい視認性の悪い使い方が理解できない。
「どうする―次の決断―」
以下なら、わからぬでもないが
「どうする ―次の決断―」
「どうする ― 次の決断 ―」
後者じゃないと「一次(いちじ)」とも読みかねない。
「―次の一手―」だったらダッシュなんて使うなって状態になる。
調べても決まりとやらが別段ないようで、慣習でない意味ある明確な用法が学習できないとなると、考える方法は自分で読みやすいかどうかだ。だが、雑誌、新聞にテレビも含めて読みやすいなんて考えてるとも思えず、文字数制限に阻まれて使ってるから、自分勝手な省略単語や、以前に非難した「原文ママ」とかいう書き方を平気で使ったりする。だから「省略パパ」はどこ?と、言ってやりたくなるわけ。
あっちは言葉のプロのはずだから。
余談だが、テレビに至っては意味不明な業界用語を当たり前のように放送で使ってくる。平然とした顔で「スーパーが間違ってました」とか言うからね。「約」を「およそ」と言い換える奴らとは到底思えないことを側面で行ってることに気づきもしない。
字詰めでなく文字数の制限なら以下のようにすれば減らせるが、
これからどうする<次の決断>
これからどうする…次の決断
文字数が足りないのに何らかの見た目に拘ってるのではないだろうか。
困りましたね。慣習は正しく伝えることをも越えるようです。
いまさらだけど、数の論理に反し読者をマスコミの特殊な表現法に引き込むのは良いことなんでしょうか?
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