2014-11-28 Fri
気になる部分があった。北野武監督がフィルムに拘る部分にて、彼の言い分からデジタルの初期で時間が停止してる人の発言であったから。正しい主張もあるが、それも現時点であって将来において正しいとは限らないのが技術的な話。写真でもオートフォーカスなんて使えないって言ったプロカメラマンは当時としては正しく、彼らには先進の眼差しがないだけ。報道関係の取り入れは早く、叩かれてこそ進化も早かった。それに比べると動画界は凝り固まった時代遅れな考えの人が多いと感じてる...光学的でもいいからフィルムを拡大して見たことがないのだろう。分子の化学反応だから情報量が桁違いだと番組で言ってるが、現実には分子で語るなら、その桁違いは逆の意味で、膨大な分子でしか1画素のような表現がなされていない。感光という化学変化をさせるには材料に単位(塊)が必要なわけで、それが巨大だからデジカメで言う解像度にしたら何万画素相当って話がでてくるのではないか。
このたぐいの話が世の中で出ると、質感だとかコントラスト、ダイナミックレンジがどうのとか言う奴がいるのだが、解像度の話をしている場では解像度だけでいい。フィルムとイメージセンサーの違いって話ではないのだから。その話をすれば一長一短であり、経済的な話を加えたらもうデジタル機器に軍配が上がってしまう。
「デジタルがアナログを越えることはない」っていうのは、この現実世界で当たり前のことだが、人間が作り出してる「製品」として考えると正しくない。進化が停止しているフィルム、それに対する欠点をデジタルのイメージセンサーが既に越えてる、これから越える可能性のほうが高いからである。そもそもイメージセンサーだって現実世界のアナログな代物ですよ。光を電気に変えて、ある単位で切って数値化(2値化)して取り扱ってるだけ。
だってこの世にデジタルなんて存在しておらず1と0のよう論理的に扱う概念でしかない。ここで流れてるデータだって全てアナログなのを後からデジタルとして解釈してるだけ。LANケーブルを流れてる信号を普通の人は見たことがないと思うが、それをオシロスコープで見たら、よくぞこんな酷い信号が1と0に振り分けられるなって思うくらいノイズにまみれて実にアナログである。
見えないものも脳は感知するか? いや、見えないものは見えないだろう。可視光じゃないのが目に悪影響があるという意味はあるだろうが、ここでいう見えてるとはならない。フィルムで撮影されてもデジタル化して上映されれば“見えない”光も出てこないでしょう。そもそもフィルムの感光波長域がどれほどなんだろう。そして、撮影時と同じ光が上映時に出るだろうか?
音の場合は違う。耳で聴こえなくても、空気振動だから音圧として体でも感じてる。高周波より低周波のほうがわかりやすいが、20Hzなんて聴こえなくても音の圧迫感があるから、聴こえないが感じる部分で可聴域外も切り捨てても良いってことにはならない。それでも現在の危機で音の録音再生に関しては人間の限界には達してると思う。
音に比べて映像の情報量は桁違いに多く、人間が識別できる限界に達するには まだまだ。表示するほうの技術が低い頃にはRGB各色256階調(8ビット)で1670万色しか人間は認識できないから十分だとか言われたが、256階調では段々かのように見えてしまうから、1024階調も選ばれるのではないか。もちろん放送やDVDなどではいかにデータを削減するかで品質は捨てられてるが。
映画館のスクリーンの大きさからすると、現代のデジタル映画撮影機材の解像度は低すぎる!大きな映画館だと1点が握りこぶしくらい巨大になる計算じゃない。約2時間の映画が160GBハードディスクに収まってること自体が大笑い。テレビ見てて何テラバイトの間違いじゃないか?って思った。何度上映しても劣化しない?最初から劣化(圧縮)してるんじゃないんですかと。ソニーの機器説明にJPEG2000圧縮 最大250Mbpsとありました。
撮影機材として現実ではなく、古臭いフィルムによる現実離れな質感を作り出すデジタル機器に関しては客として迷惑だとしか思えない。それは、CDになってもアナログレコードが付着したゴミによってノイズを出すのを作り出すようなものだから。目標にすべきは現実をありのままに表現できる機材でしょう。
北野武氏がどう撮影しようと自由にすればよいのだが、間違った理由をテレビで語り、更に字幕で追い討ちをかけるテレビ制作に問題があると感じた今日の放送であった。彼が語るべきは作品内容であり、よい作品を作るべき考えるならフィルムじゃなくてもいいじゃないか。
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