2015-04-07 Tue
「ママ」…私の持ってる辞書には書かれてないが、通用の説明がある辞書には「論文・写本・校正などで、引用した原文のとおりであることを示す語という説明があった。だが、「原文ママ」なんてのは何か日本語としておかしいので新聞や雑誌が勝手にやからす略語であろうと思える。「まま」ってのは、そのまま、ありのまま、意のまま…のように使われることは誰でも知ってることだ。「ありのまま」とか普通は平仮名であるが、特殊用途ではカタカナである必要があるらしい...それには心当たりがある。私の青年期に発祥したネット用語であるが、「普通」と「フツー」は違っていた。だがそれは女子高生用語と同じように地域発祥のものであり責任もへったくりもない勝手なことで、報道機関が使う言葉とは本質的に異なる。
パパはどこだ!と私が揶揄してるよう、なぜ「原文ママ」なんて、ら抜き言葉みたいな日本語を新聞が使ってるのか予測すると、文字が入らないとか読者へとは関係のない
業界の “我がまま” が発祥ではないのか?
新聞の見出しやテレビの字幕なんてのも映像を汚してまで無理矢理に入れようとするから過去より数々の意味不明な略語を作ってきた。売るのに目立つためを第一としてしか考えてないからだ! 偉そうなことぬかしても、
みんな東スポと同列なんだよ。
あからさまに売るため折り目とか汚い技を駆使しているほうがまだマシです。変な内容も騙す嘘ではなく大ボラだってわかってるから。影響って点では若年層が多く購読の妄想オカルト雑誌のほうがよっぽど危険でしょう。たとえ、まともな事を書いたとしても世間から見ればオオカミ少年な状態であるし。
ここにきて、朝日新聞電子板(インターネット版)が「原文のまま」と記述するようになったのに気づいた。いつからなのか不明だし、会社の思想が許せないため紙のほうは購読してないし、常に見る注釈じゃないため、会社の方針か固有の記者だけかの確認はとれてない。
「原文ママ」以外にもあるが、世間へ洗脳するかのよう特殊用語、用法をごり押しするのは、
悪しき慣例(慣習)
の一つではないだろうか。
当たり前に使ってきて何が悪いか わからなくなっているのではないか。
知りもしないのに使うという点で過去に業界用語を指摘しているが、報道のなかでもテレビ関係が最も業界用語を間違って使ってる。もし、“場見る”という日本語な映画業界用語を知ってたのなら、“バミリ”などとは“場見り”なる日本語が文法上存在できないため決して使わないのである。知らないは仕方がない。問題は報道に関係する業界にとって最も重要なことである「確証を得る・調べる」という能力を日頃から有しなくなったことで、非常に残念だ。
裏取りをしない例として、知らない世界の用語を間違って使って世間に広めてる。ネット用語でいえば、「ホームページ」「ハンドルネーム」が正しいと思ってるのだろうな。ホームページは拠点とするブックマークの意味だし、ハンドルネームは繰り返し言葉となり存在せず、ハンドルだけで名前の意味を持つことは英語の意味を理解してたら間違えることはなく、ニックネームがあっての思い込み。間違えはそれだけじゃないけどね。この程度すら裏取りをせず思い込みで書いてる。もしホームページがあなたたちが信じてる意味だったら、なんでウェブサイトなんて言葉があるのか? これだけでも知らない分野を調べもせず軽々しく使ってることがお分かりでしょう。私も間違ってることは多いだろうが、それは先生たるマスメディアの責任、影響であるからできる限り修正し、話を通じさせるためにわざと間違った用語を使わなくてはならないときもある。
* ウェブページに「~ホームページ」なんて題名を付けてるのを見かけると、知ってる人は残念に思う。ブックマークなのだからホームページ開設という言葉は存在せず、ホームページとは登録するもの。
それにしても、なぜコンピューター ソフトウェア(ソフト)のことが、素人が入ってきた瞬間に アプリ なんていい方に変わってしまったのだろうか? ソフトと言っておけば全てに当てはまるものの ユーティリティー、グラフィックス、などなど全部 アプリになっている。ちょっと待てよ、OSだって差し替えることが容易くシステム根幹じゃないんだからアプリと呼べ。具体的じゃない略にするのが得意なくせに、今度は部分的なことを言い出してる。マスコミはこれら正さず誤用を助長してきた。
マスコミは「LED」とは何か調べもしないから「LEDライト」などと、とんでもない呼び方をする。LED は Light Emitting Diode の略で過去よりLEDより発光ダイオードと言われてきた。先頭に Light とあるよう LED だけで絶対的に光ものを示すのだから、LEDライトとは重複で間抜けである。これは単なる例で、あらゆる分野に対してこういう間違いを犯す。
専門用語の間違えだって業界の中だけで納まっていれば問題ないが、テレビや雑誌は無責任に世間に出す。一般用語ですら世間に ばら撒く嘘、誤用は実に多くなった。紙媒体にいたっても、商売への絡みが強いほど言葉には無頓着・無責任である。特にマンガは自ら表現能力の乏しい静止画の世界に飛び込みながら迷惑な表現を行うなど ずさんだ。凶悪事件が起こるとネット上に関係ない人の写真が出回ったりすることがあるが、そういうのを育てた責任の一端はあると思う。
行いに対して 先に裏を取るべきは誰のほうか!?
大昔のことは知らないが、日本人の悪い癖である具体的なほうを捨てるって略語の洗脳も新聞じゃないかと思えてきた。スーパー、パスタ、ケータイ、アプリなどなど数え切れない。アプリも昔から業界ではソフトウェア(ソフト)と呼んでいたわけだ。アプリはアプリケーションの略で、OSやBIOSなどと区別されたソフトウェアの種別でしかなく、実体はコンピューターソフトウェアだ。
電波新聞を購読していたときに呆れ顔にさせられたのが「カラー」という言葉だった。読んでゆけば何を意味してるのか勘ぐれるのだが、大きな見出しでカラーとだけ書いてあっても意味不明だ。カラーとはカラーテレビの略だったのである。もはや白黒なんて存在してませんから実体であるテレビジョンのほうを捨てて、時代錯誤の表現を続けてるという悪しき慣習以外の何ものでもなかった。実体名を捨てる以外にも時代錯誤な表現は残ってて、例えるならJRのことを国鉄と書き続けてるような表現に気づいてない。
さて、言葉について苦情を申したが、新聞・雑誌でも写真が付き物になってる。何らかの紹介記事についてる写真って、誰かが見てるところを撮る典型がある。それが自然ならよいのだが、撮るから見てくれというお願いしてる時点で事実とは異なっているってことにお気づきでしょうか?
(これを知ってて、わざとそういう写真を私も撮ったが、本当に見てる時と明らかに違和感)
以前テレビの街頭インタビューで指示(CUE)待ちしてる人を見かけたと書いたことがあるが、それと同じである。こうして、何か現実から遠のいて、無いものを作り出してしまうのである。小さな罪悪感をなくすことが捏造へと走らせてしまう。ガキどもの程度が落ちたのも警察官を含む社会が街中でガミガミ言わなくなったから。だから小さなことをないがしろにしてはいけない。
社会及び経済は結果論であって、衰退しているのは日本人である・・・。
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