2015-05-30 Sat
性懲りもないとは、同じ過ちを繰り返しても一向に改めないこと。
仕切り内は着席必須の場所。後ろの人に何度も注意されてた。当方は立ち見の2列目からこれを記録というより撮りたくないのに写った。
日本人の未来を嘆く...
傍観しているのではなく、周囲に配慮して何も言えないことが大部分で、行われてる最中であるしビデオ撮影してたりすると声が入ってしまうから、汚い言葉でののしってやることすらできない。
このように同じ時間ではないのです。後ろで座ってる人に邪魔だと言われてたが、性懲りもなく何度も立ち上がってた。これを単なる老害だと片付けることはできないのです。それにしても最近の老人のモラルは低く、
自らが腐ってるためクソガキを叱るという仕事を果たせなくなった
同様なことを子がしたとき、しつけができず放置するので十代後半になっても理解できない可哀想な人たちが増えているのです。過去に指摘しているが、茅ヶ崎のご当地キャライベントでは座ってる私の目の前に横から立ったままの連中が現れ、花火大会ではひとの前に立ちはだかる奴いて、なんら罪悪感がないという恐ろしい子が育っている。学生が同級生に毒物飲ませたとか殺人とか事件を思い起こしませんか?果てはそこにつながるのが罪悪感を持たぬ異常な子。
知ってて悪事を働いているよりも罪悪感がないほうが恐るべき存在
これも都市生活不適合者の仕業ってことなんでしょうか。田舎であったなら自己中が迷惑にならないだけで不届き者の行動であることは同じ。催しがあって非日常なほど人が集まると、どう行動してよいかわからない。それで思い出したが、昨年の深谷市体育館のイベントでも前のほうで立ってる親子がいて頭おかしいんじゃないかと思ったが、親からして自分以外のことを考えられない可哀想な人に育ってしまったわけです。
電車内で大音響の音漏れとか、大声でテレビ電話をしてる奴などなど外国人の労働者や観光客が増えて酷さが目立ってきてるわけですが、郷に入れば郷に従えない外国人より「自分の頭で考えることができなくなった」日本人のほうを先に残念に思う。余談ですが、日本の生活に順応してしまった外国人は「外人うるさすぎる」と投稿しているのを見た。
郷に入れば郷に従えと書いたが、東京では歩いてるだけで迷惑な奴だらけで周りを見て参考にならないし、参考できたとして当人に対応能力があるとは思えないのであった。自分の周囲数十から百人の動きを常に把握しつつ歩行調整し、目で見えないところも“気”で判別したり瞬間で顔色を伺い行動を予測するのは学習して習得できるものではない。都市生活能力を野球で例えるなら小学生のお遊びとイチローくらいの違いがあるから先天的な能力差。田舎の人は良い人ばかりだが、あなた方が都会に送り出した子は罪悪感すら感じない不届き者となるのだと思っていただきたい。そうして送り出された子孫がまた別の地域で対応不全を起こすから本物の都会人があらぬ疑いを着せられて困る。
本件で突っ立ってるおっさんは後ろで誰か見てるなどと考えることができない。それと同じように駅の階段で逆行しながら上りと下りが書いてないからとか言う都市生活不適合者がいるのだが、書いてなくても明確にわかるのです。教わってないじゃなく、この理由がわからない、感じ取ることができないから多方面で迷惑者なのだと。繰り返すが過疎地だと自分勝手が迷惑にならないだけで自分勝手な行動をしていることに違いはない。
なぜ、これを扱うかだが、堕落した連中によって世の中にはもっと酷いことが日々起きているのです。報道はされなくても事件化していたり、注意したら逆ギレする人間のクズたちによって真っ当な人の人生がねじまげられてしまったりしているのです。団塊の世代においては昭和の金属バッド事件以降、子をしかりにくくなりクソガキどもを生産してきた責任をとるべきでしょう。現代では親子揃って異常なのが増えすぎて正す人がいないのが現実となっている。電車の乗り方、列の並び方、そして自転車の取り締まりが強化されたと逆ギレしてる奴らは自らがどんな悪いことをして世間に悪影響を与えてきたのかがおわかりでない。
“言わなきゃわからない”って、そんな哀れな人で本当にいいんですか日本人の未来?
“言わなくてもわかってた”のが世界がうらやむ日本人ではなかったのか!
このほかに気になったことだが、どうしてタイミングの悪すぎるときに勝手に立ち上がって帰れるのか不思議でならない。この写真を見ていただければわかるように、もう終わるって段階じゃなく、真っ最中なのだ! 映画館って行かなくなったのですが、まさか上映中にスクリーンの前を通り過ぎる奴ってたくさんいるの?
まだ終わってないのに、あと10秒すら待てない。自分がよいと思ったら立ち上がって帰りだす人が多数いた。立ち上がった爺は一人だったが、こっちはたくさんいたから、むしろ問題として取り上げるなら、こっちのほうだったかもしれない。
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