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東京を見れば地方の脅威が解る
 年末交通安全っても都市生活不適合者どもは狂ってる~。警官も何も注意しない。よくあることだが、歩道を歩いてると後ろから自転車にベルを鳴らされた。危険警報ではないため明らかに「どけ!」という命令である。これだけでも法的に警笛を鳴らして良い理由に違反し、加えて歩行者往来妨害罪となるが、文句をつけようにも相手は耳を閉ざしている。聞く耳持たない以前にヘッドホンステレオで聞こえてない重ね重ねの違法行為で、こっちが危ないから避けて通り過ぎてゆくのを見たら無灯火だった。これがクソガキじゃなくいい年した大人に及ぶのだ。そんな奴らへは東京に住むが400年遅い(無理)と言ってやりたくなる...

 こういうとき、タンスにゴンのCM(1990年頃)を思い出す。美川憲一が自転車に乗って商店街だかを歩いている人(ちあきなおみ)に対して「もっと端っこ歩きなさいよ」と文句を付けるCMである。自転車側の歩行者往来妨害罪なわけだが、当時じゃなく後に一部で問題になった。アーケード付きの商店街だと車両通行止めの可能性も高い(自転車は軽車両)。

 よくマスコミ(テレビ、新聞)は「一部の人」という逃げ言葉を使うが、無法者の真実は「ほぼ全員」である。遠い昔に知る前は犯していたし、法律を知らないは言い訳にならないので自分のことを棚に上げる気はないが、親から教育されなくても運よく社会が教育してくれた時代だ。そもそも社会の道徳性が向上して成熟期だったのもあるが、今や叱る側の老人は 若者から反面教師しかいないって言われるほど 不道徳者に成り下がってる。全員とは言わないまでも一部でもなく多数。

 分類すると21世紀から腐敗期だ。ゆとり世代ってのは学業のゆとり教育とは関係がなく同じ時代から増殖した道徳性に欠ける若年層を示すのだが、都会においては都市生活不適合な親による悪の産物である。悔い改めるには該当者には難しい自覚することが必要だが、何が悪いのかわからないことには正せない。

 自転車は、歩道爆走、ヘッドホンステレオ、スマホみながら運転だけじゃなく、左側通行の義務すら守られてる様相がない。警察に言いたいが、前科者にするのを躊躇しないで赤切符と略式起訴を。

 バカ親が教育できなかったのだから愛で縛れず恐怖で縛るってのは悲しいが、一発前科がいやなら免許制が無理でも高い罰金を制定すべき。罰金というのは資産・収入に応じて決めるべきだ(米国が違法企業に課すよう懲罰的罰金。悪党が牛耳ってるから無理だろうけどねー)。

  ほら、食品減税の財源ならいくらでもあります。
  これが財源にならなくなるのは日本が道徳を取り戻すのだから大喜びですよ!

GDPだけじゃなく、あの不道徳集団な国にルールを守ることまで抜かれたらと考えると恐ろしい~




<田舎の人ほど都市部は夜でも明るいと勘違いする>

それで平然と無灯火でいられるのが恐ろしい

 そりゃ畑が続くような場所と比べたら明るいだろうが、日中と比べたら明るさの単位のルクスで言えば何桁も違う。人間の目が順応してしまうが、写真なら同じ太陽光下でも状況によって劇的な設定の違いに遭遇することになる。

 ところが、田舎の人とその子孫は「暗くて見えないからライトを付ける」という固定概念に縛られているため、都会の街灯の下を明るいからライトをつけなくてもよいという大間違いな判断を下してしまう。さらに危険な事につながるのすら理解していない。

 先日、自動車で自動点灯機能を義務付けるって話があって、基準が不明確だとか苦情が出たわけだが、この文句は危険も知らぬ田舎者のセリフである。こうした都市生活不適合者が企業や政治やら市町村を動かしているのだから正しい方向に進まない。

 余談だが、都市部の騒音トラブル(異常者を除く)も、もとから持っている音の基準値が異なることから発生すると思われる。東京23区で「閑静な住宅地」なんて言葉を聞くと「そんなの存在しねーよ」と思うわけだが、移民の方々はお分かりでない。逆の考え方でいうなら、都会の上を航空機が飛んでいるのがさほど問題にならなくても地方では感じ方が異なるということだ。役人・政治家は双方の違いを理解してないのよ。


 大型連休中に何台も夜に無灯火の自動車を目撃したと書いたことがあるが、東京が街灯で明るいと勘違いしているからにほかならない。暗いから照らすと思ってるから点灯させないのであって、歩行者を発見するためとか、自分の存在を示すためという「都会の当たり前」を理解してたらと思う。

 警察が各地で「早めのライト点灯を」と警告しているように、体感的に知る能力がなくても情報として知ってる。だが、見てると末端の警察官が理解してるとは到底思えない。取り締まりと同じで言われたからやってるだけで、安全週間とか期間過ぎたら野放しです。ようするに警察官は社会教育者として失格!(過去は別、今はこの有様)

街中まで暗いのに地方で早めに点灯しないって意味がわからない??
明るいと思ってるなら、東京の夜は昼間同然だと思ってるのかもしれない。


 別に田舎者を一方的に敵視しているわけではない。以前の同僚は熊本県から来た人だが、ごちゃごちゃ言わなくても勝手に学習するようになってた。何も言ってないのに電車に乗るときにリュックサックを降ろしてたから、尋ねたら邪魔だからと。もしかすると教えてやったことで自分が他人にされて邪魔だという経験をしたからかもしれないが、なぜかこれを理解できない連中が東京には大量にいて、日増しに状況が悪くなっている。

 考え方がおかしい点では、ベビーカー利用者の中に自分は道徳的だと言うように、混雑を避けてるだの、プラットホームで人を避けてるだの言うわけだが、それは夜中で車が通ってないから信号無視しましたってのと同じだ。駄目なものは駄目なのがわかってない。そうして使ってるのを見られたから過去に誰もやってなかった行為が広まった。文句つけようにも本物の都会人の敗北ばかりだよ 各種交通機関は使わせる方向に進んでしまった。

 よくテレビの北関東の話題で、いきなり東京には出られないから大宮やら柏で慣らすとか言ってるが、人の多さには慣れるかもしれないが、それをやっても都会に適合できる人間になれないことを保証いたします。なぜなら東京でさえ近代移民者にボロボロにされたのに、その周囲はもっと酷いからです。




<決め付けるな! ヘッドライト上向きは地方の理論、人が多い場所ほど危険になる>

 対向車もなく、道路に人がたまにしか見かけないような場所なら有効であろうが、人や自転車に多く遭遇するような場所でヘッドライトの上向きは非常に危険である。

 なぜなら「蒸発現象」という危険な状態を発生させやすくするから。蒸発現象は都会に限ったことではないが、都会は対象物、対象者が多いから危険な状態になりやすい。しかも前記のよう自転車に乗って自分だけ明るいと勘違いして無灯火にするから蒸発現象に巻き込まれる。エセ都会人ばかりの東京でヘッドライトを上向きにして対向車から隠すのは非常に危険である。

   「地方の常識、都会の非常識(逆も真)」

 やはり走行中の夜間の飛び出し確認(暗視装置)とかハイテク化のほうを義務付けたらどうだろうか。みんな使えば小銭ですむようになる。家電だって元々いくらだったとかたくさんあるし、自動車用のカーナビだって最初の頃は何十万円もしたじゃない。意味はあるけど、いまさらヘッドライト自動点灯なんて義務化しても時代遅れだよ。




<東京は24時間どこでも人がいる。田舎は誰もいないに等しい>

 この植えつけられた概念が自動車で加害者になる可能性を増大させている。能力がないくせに運転して犯したことを事故などと呼べるのか!?病人や飲酒のみならず平常も人殺し予備軍に見えて仕方がない。

   「自分のダメなところを認めてこそ進歩がある」

 地方の事故は運転手が道路に誰もいないからと高をくくってるから、稀にいた人に対して自動車を武器に変えてしまうのだ。だから東京にやってきて路地でスピード違反ができるような人たちは24時間どこでも角から人が出てくる危険性を理解してない=不適合者なわけだ。

 こっちからしてみれば、大通りの横断歩道の青信号すら信用できない事もある。青信号は進めじゃなく進んでも良いだが、私としては青は黄色と似たようなもんで、注意して進めでしょう。歩行者として急いでいるときも横断歩道は先に渡らず、見切り発車する(青になる前に渡ろうとする)ダメな人を先に行かせてから進む。そうすれば最も危険性の高い時間を残念な人たちに背負ってもらうことができるから。




<理解していると逆な立場でも迷惑をかけない行動が取れるし身を守れる>

 東京には反面教師がたくさんいるので知ることができる。ところが反面教師同士だと悪いことを理解するどころか逆にそれに倣ってしまうようだから不道徳者が増える一方になっているのが東京。

 埼玉県鴻巣の花火会場から徒歩で駅まで戻る途中、警備員にライト付けなくても大丈夫とか言われたことがあるが、こっちは危ないと判断しているから自分を宣伝して歩いているわけで、道が暗いから照らしているわけじゃねーよって思った。地方だから住宅地でも、これぞ本当の閑静な住宅地ってほど物静かだし人間の目では見えるが自動車に発見されないほど暗いのである。街灯も少ないし、明確な歩道もない横を車が通る(推定、スピード違反な速度で)。警備が間違ったことを言ってくるようだから能力が備わってないのを証明している。




<愛知県(名古屋)にいたときだけじゃなく、静岡県でも交通事故記事が目立つ>

 事故件数で言えば東京のほうが多いが、悲劇は地方のほうが多い。静岡新聞にもあるが、今月の熱海新聞を読み返しても交通事故のネタが何度もあるし、問題の部分は私の言ってることそのものである。

 「歩行者が飛び出して来るかもしれない」と注意喚起しているが、三つ子の魂百までだから大脳ではわかったフリをしても体ではわかるはずがない。こういうことは、考えて行動してては間に合いません! 体に染み付いてないと無理です。幼少期教育から考え直させるべきでしょう。バカ親が子連れで信号無視するようでは無理。


 11月25日に死亡事故が起きたとあったが、東海岸町の国道と言ったら135号でローソンから交番のところまでしかない。事故の詳細は不明。推測すると信号(横断歩道)で起きたとは思えないため横断歩道じゃないところを渡って引かれたか、酔っ払いか。


 ローソンからお宮の松の間の信号が長いが地方では長いうちに入らないし、こんな場所で渡る必要性も激減するから横断理由は何か?

 一つ思ったのがバス停だ。バス停は信号と信号の中間にあるため横断歩道まで歩くのがいやで、バス停に行くか、降りた後に違法横断してしまう可能性がある。

 あそこはサンビーチ側に歩道と道路に柵があるが、内陸側には柵がない。見通しは良いが、そのかわり直線なのでスピード違反が横行しているところで、伊東方面へは交番のところの曲がり角で減速するが、先の親水公園沿いも危険地帯である。たとえ夜でも、あんな見通しの利く道路で車に引かれるって意味がわからない。

 これも私が状況証拠から得た結果だが、田舎の人ほど時間軸経過の見極めができないというのがある。この能力が劣っていると自動車で右折する場合、対向車と自分の車が到達するときの未来予測できず事故を起こす。この能力がないことは、前の人を追い越そうとして対向から来る人とぶつかったり、減速させてしまう人を多く見ることでもわかる。

 「内陸側車線の車を避けて渡ったものの、海側車線の車の到達を見誤り、横断した側は途中まで渡ったと自ら減速してしまい、内陸側の車で視界を遮られ歩行者は見えず、まさか横断してくるとは思わず引かれた」…こんな感じでしょう。

地方ほど長い区間で信号がないが、私が横断するときは渡りきるまで減速もしないし気も抜かない。


この件、正確に分析するには情報が足りなさ過ぎる。

 警察は勝手に素人扱いするわけだが、我々が防衛するためにも事故の詳細ってのは重要なので全面的に公開すべきだ。こういうときに個人情報保護とか言い出すからクソ喰らえと思うわけ。別にどこの誰が事故ったまで聞いてないだろって。別口から交通情報を取ろうとすると何万円払えってどういうことなのかとも。

 市民が危険性を追求するのを拒絶するのが警察と言えば、自分が青信号で横断歩道を渡っていたときに信号無視の車にひかれそうになった場所で、ちょくちょく事故がおきてたから離れて記録してたら警察官に何写真撮ってるんだと最初からケンカ腰で難癖つけてきやがったことがある。説明して正式に抗議してやろうにもこっちが当日終電直前だったため相手の警察官の根性を叩きなおしてやれなかったのが心残りだった。交通事故は東京都だけでも年間数万件発生していると流れ作業のように「処理」されてるだけの定常化してしまってるのだろう。世間でうるさくなる前からチャリンコ警察官の走行中ケータイ利用を何度も目撃したことがある私としては、残念なことに彼らを信用することができなくなったのです。




<残念! 激増する老害  70歳代の加害者が激増しているのに80歳代までも>

 毎日のように高齢者が起こす事件が報道される。暴行、ゴミ屋敷、敷地と言い張っての道路封鎖など次々と各地でマスコミにネタを提供しているのが高齢者。はたして昔は報道されてなかっただけなのか?いや、世代の移り変わりによる現代病としか思えない。数々の事件から老人になると我々より物欲は減る一方、権利や一部の所有物に固執する傾向が著しく強くなると思われる。

 交通問題では自動車(逆走、アクセル・ブレーキ踏み間違い等)、自転車運転、歩行者だろうと老化・痴呆だけではなく自覚症状ないまま究極の自己中と向かっているため、加害者となるだけじゃなく自ら被害者へと飛び込んで行ってることも多い。

 高齢者は動けないにも関わらず気が短くなるという症状に見舞われるため、信号無視、信号のないところの横断と違法行為を日常的に見かける。そういう頭の症状なので注意など聞くどころか逆ギレするのが通常の反応だ。勝手に死んでもらうのは構わないが、飛び出されて加害者にされてしまう不条理な法律である以上、被害者、加害者のどちらになれても迷惑でしかない。

 たとえ歩いて買い物に行けない田舎に住んでいようとも運転能力を失っている以上は凶器たる自動車を運転を許可してはならない。高齢者当人に問いたいが、自分勝手のため人殺し予備軍に入るほど日本人として落ちぶれたのか!?それとも運転免許に殺人の権利があるとでも? こうまで言ってやっても解らず文句を付けるなら自らおかしくなったことを証明することになる。

 本来は酔っ払いの行為は通常より重罪なのだが日本では何かと酔っ払いだからと許される異様な文化があるが、同様に病気や老化をタブー視して強制力も行使せず放置しておくと、これから巻き込まれて残念な結果となる方々は増える。自動車自体が必要悪であっても、問題のある運転手を野放しにするのまで必要悪とは呼ばないんだよ。高齢者に運転免許は与えず、なんとかするのは政治の仕事なのだ。田舎は難しく都市部なら免許返納も楽なのはわかってる。しかし、賢い人たちは自動車を使わないと生活が無理な場所だと集団で都市部へ移転の選択をしているが、これを円滑に行うには政治的バックアップが必要だ。


日本社会はこれらの問題にどう立ち向かうのか?
こっちが爺さんになる前になんとかしてくれよ

| emisaki | 20:14 | comments (0) | 生活::暮らしと社会問題 |
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