2020-09-15 Tue
2020年9月11日放送 NHKチコちゃんに叱られる! 「山手線ってどこからどこ?」つまんねーヤツになっちゃう問題が出ましたね。鉄道オタクじゃなくても東京のことだし旅人としては基本だった。数年前に「東中野、総武線ね」なるCMに噛み付いたことがある。総武線の西側の末端は御茶ノ水だからね。
だから先にあった路線を引いてゆくとテレビの解答にあるよう品川から時計回りに田端までが山手線。似たようなのは沢山あり、埼京線は赤羽から大宮しかなく後は乗り入れ区間。赤羽線が廃止されてたら池袋からかもしれないがオタクじゃないので今の話は不明。
独自路線が存在しないで有名なのが「京浜東北線」で大宮から大船まで東北線、東海道線、根岸線を渡ってるだけ。ところが我々素人には理解できないのが、物理的に別の線路があってもダメだったり、よかったりするところが納得いかないのだ。だって中央線の東京~神田は東北線じゃねーのかよー!?
そう考えると、新日本橋に馬喰町って何線? 総武快速って錦糸町駅から東京駅だけか。
更に謎多き、総武線と総武本線、旧国鉄やJRがどう分類しているのか不明だが、御茶ノ水駅~千葉駅が総武線で、千葉駅から銚子駅が総武本線と地図には書いてある。同じようなのが、中央線で中央本線なら東京駅から塩尻駅を通って名古屋駅まで行ってしまう。疑問に持つほど奇っ怪になってゆくのかもしれない。
| emisaki | 2020-09-15 Tue 08:36 | 大衆媒体::テレビ全般 |
2020-09-12 Sat
制度を改めよ、組織の大改革が必須ってのに微々たる値下げで誤魔化そうとしてるが、現代風に言えば消費者契約法違反と頼んでないのに時代遅れの法律にてふんだくられている以上は見るのを強引に探す一環として銀河英雄伝説も見てきたのだが、“だめだこりゃ ©いかりや長介” って感じ。 深夜だろうとNHK教育が放送すると考えれば真っ当に描かれてるはずがなかった。と言うよりオリジナル版が忠実に描きすぎていたかもしれない。戦争作品なので流血どころか内臓が飛び出てるシーンまで忠実にアニメ化されていた。だからこそ女性には受け入れられないが作りとしては正しい。
オリジナル版は人物像に関しても実に忠実だったが、リメイク版は美化っていう点で宝塚だ。この作品は宝塚歌劇団でも劇にされているのだが、それがアニメになった感じがリメイク版だった。登場人物をも美化してるから女性客を増やそうと画策したのだろうが、だとするとそこが大失敗の要因の一つ。そもそも女性が見ようとしたがる内容じゃないってこと忘れてる。
教育が必要な幼稚園児を現実逃避させ、おててつないで一緒にゴールするかのごとく現実から遠ざけること昔から実践してきたテレビ放送、そんな思想の塊なNHKがオリジナル版を放送するはずがない。だがリメイク版は、もう銀河英雄伝説とは言えない。
オリジナル版は制作年が古いため、法的に何ら問題なくとも、表現の自由に相反してNHKや民放連が勝手に定めて年々と増えている禁止語句(通称 放送禁止用語)や表現規制によって放送できなくなってるだろう。戦争の悲劇を伝えているのに、そのシーンが規定に反するという馬鹿間抜けな取り決めでだ。
NHKはリメイク版だろうと、このまま最後まで放送する気はないだろう。NHK教育にて数々の洋画も放送していたが最後まで放送したのってあるのか?おそらく短編だけであろう。私が知ってる時期のヤング・スーパーマンはシーズン1しか放送せず意味不明に終わったが、まるでDVD販売や有料ネット配信事業に誘う民間放送局みたい。だったら最初っから放送するなって言いたい。
人気がないのでやめたってことなら都合が良いほうに答えが転ぶのだろうか? 本国でだが人気がなければシーン10まで作られませんよ。我々からふんだくってるカネがあるだけに何かと放送を決定する段階で調査が甘いのではないか。
世間の反応を知らずに見て「なんじゃコレ」って感じたから調べてみたら案の定、「失敗」、「駄作」、「酷い」なる言葉が飛び交っていたように、民主主義的にも NO が突きつけられたと言ってもよいだろう。こうなるとNHKも放送は続けないだろう。
日本人は外国みたい評判が悪ければ即座にやめて方針転換をする決断力がない。政治家や官僚、役人と同じで始めたら止められず、ずるずる最後まで作るしかないところがお馬鹿さんである。
製造業にしても同じだが、市場調査能力が無能なほどまで落ちたってのに市場調査を疎かにするのが日本企業。これを通じて日本の駄目なところを教えてくれたってことなんだろうか? そんなわけない。失敗を許さないのが日本社会だから。犯罪は別として一度でも失敗したら落伍者のレッテルを貼られるのが日本なので失敗を認めなくなるし責任も取らない。
なぜ先にパイロット版を撒いて反応を見なかったのか? そういうのもできないんだよな。
収益を求めて美化したことにより我が人生のバイブル作品が汚されたようで悲しい。
アメリカのテレビ局やハリウッド映画がネタ切れでちょくちょく日本作品を利用してきたが失敗ばかりであり、リメイクや実写化ってのは想像を越えた難しさがある。下手に修正しないほうが身のためなのだ。銀河英雄伝説は使用曲(クラシック)が重要だったのにリメイク版ではなくなってしまった。
別件だが私はホルスト作曲“惑星”の木星(ジュピター)を先に聴いていたため、演奏家による違いを逸脱しすぎてる日本人による歌については拒絶反応が起きた。ビリージョエルの "This Night" とは異なり違い過ぎているからだ。その原曲であるベートーベン作曲ピアノ・ソナタ「悲愴」は「銀河英雄伝説-わが征くは星の大海-」のサウンドトラックに「出発前夜」として収録されCDは当家にもある。
学生時代、はまったきっかけはOVA化以前にアニメ化の様子見として作られたと思われる「わが征くは星の大海」をレンタルで見たことにある。いままでのロボットアニメやウルトラマンなど人間のエゴ、勧善懲悪やらドンパチ映画とは一線を画する作品だったからドはまりした。
その後、VHS販売やWOWOWで放送されたことを知ったが学生には手が出せなかった。
それで原作である小説のほうを読むことにしたのだが、これが10巻以上もあった(当時は外伝の全ては発刊されてなかった。最終的に本伝10巻、外伝9巻)。パソコン通信はあってもインターネットなんてない時代に1万円程度で買って読んで中古書店に流しても数分の1にしかならないため知り合いと読み回しの取り決めにて売り渡した。いま思えば「SF小説を通して社会を教えてくれた人生のバイブル」と呼んでいるだけに、お金があったら手元に置いておくべきだったと後悔した。
個人的に原作から外れるにしても恥ずかしいので修正して欲しかったのは、イゼルローン要塞とトールハンマーである。それはデススターとデススター砲にほかならないからだ。
STAR TREK:DEEP SPACE NINE (DS9) に見えた地球の背景が、DS9=沖縄(連邦の前線基地)/連邦=アメリカ、DS9に配備した戦艦名DEFIANT(挑戦的・傲慢)/フェレンギ=中国・朝鮮(嘘つき・男尊女卑)/カーデシア=ロシア・ソ連(冷徹・冷酷)とピタリと当てはまりすぎてた。
そのように銀河英雄伝説も地球の社会構造が見えた。
「君主制」と「共和制」、それぞれの腐敗構造。特に政治家の腐敗として「ヨブ・トリューニヒト」。フェザーンの「ルビンスキー」を代表とする富と権力を得た人間たちの邪悪な企み。
そして、現実社会で地下鉄サリン事件から白装束集団なる社会不安が続いた直後だったこともあり「地球教」なる不気味な集団が描かれているが自覚症状がないだけで正に地球教とはそんなのを信仰する未開人たる人間の恐ろしい思想。このように邪悪な世界、日本社会を小説を通じて教えてくれたと勝手に思っている。
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オリジナル版は制作年が古いため、法的に何ら問題なくとも、表現の自由に相反してNHKや民放連が勝手に定めて年々と増えている禁止語句(通称 放送禁止用語)や表現規制によって放送できなくなってるだろう。戦争の悲劇を伝えているのに、そのシーンが規定に反するという馬鹿間抜けな取り決めでだ。
NHKはリメイク版だろうと、このまま最後まで放送する気はないだろう。NHK教育にて数々の洋画も放送していたが最後まで放送したのってあるのか?おそらく短編だけであろう。私が知ってる時期のヤング・スーパーマンはシーズン1しか放送せず意味不明に終わったが、まるでDVD販売や有料ネット配信事業に誘う民間放送局みたい。だったら最初っから放送するなって言いたい。
人気がないのでやめたってことなら都合が良いほうに答えが転ぶのだろうか? 本国でだが人気がなければシーン10まで作られませんよ。我々からふんだくってるカネがあるだけに何かと放送を決定する段階で調査が甘いのではないか。
世間の反応を知らずに見て「なんじゃコレ」って感じたから調べてみたら案の定、「失敗」、「駄作」、「酷い」なる言葉が飛び交っていたように、民主主義的にも NO が突きつけられたと言ってもよいだろう。こうなるとNHKも放送は続けないだろう。
日本人は外国みたい評判が悪ければ即座にやめて方針転換をする決断力がない。政治家や官僚、役人と同じで始めたら止められず、ずるずる最後まで作るしかないところがお馬鹿さんである。
製造業にしても同じだが、市場調査能力が無能なほどまで落ちたってのに市場調査を疎かにするのが日本企業。これを通じて日本の駄目なところを教えてくれたってことなんだろうか? そんなわけない。失敗を許さないのが日本社会だから。犯罪は別として一度でも失敗したら落伍者のレッテルを貼られるのが日本なので失敗を認めなくなるし責任も取らない。
なぜ先にパイロット版を撒いて反応を見なかったのか? そういうのもできないんだよな。
収益を求めて美化したことにより我が人生のバイブル作品が汚されたようで悲しい。
アメリカのテレビ局やハリウッド映画がネタ切れでちょくちょく日本作品を利用してきたが失敗ばかりであり、リメイクや実写化ってのは想像を越えた難しさがある。下手に修正しないほうが身のためなのだ。銀河英雄伝説は使用曲(クラシック)が重要だったのにリメイク版ではなくなってしまった。
別件だが私はホルスト作曲“惑星”の木星(ジュピター)を先に聴いていたため、演奏家による違いを逸脱しすぎてる日本人による歌については拒絶反応が起きた。ビリージョエルの "This Night" とは異なり違い過ぎているからだ。その原曲であるベートーベン作曲ピアノ・ソナタ「悲愴」は「銀河英雄伝説-わが征くは星の大海-」のサウンドトラックに「出発前夜」として収録されCDは当家にもある。
学生時代、はまったきっかけはOVA化以前にアニメ化の様子見として作られたと思われる「わが征くは星の大海」をレンタルで見たことにある。いままでのロボットアニメやウルトラマンなど人間のエゴ、勧善懲悪やらドンパチ映画とは一線を画する作品だったからドはまりした。
その後、VHS販売やWOWOWで放送されたことを知ったが学生には手が出せなかった。
それで原作である小説のほうを読むことにしたのだが、これが10巻以上もあった(当時は外伝の全ては発刊されてなかった。最終的に本伝10巻、外伝9巻)。パソコン通信はあってもインターネットなんてない時代に1万円程度で買って読んで中古書店に流しても数分の1にしかならないため知り合いと読み回しの取り決めにて売り渡した。いま思えば「SF小説を通して社会を教えてくれた人生のバイブル」と呼んでいるだけに、お金があったら手元に置いておくべきだったと後悔した。
個人的に原作から外れるにしても恥ずかしいので修正して欲しかったのは、イゼルローン要塞とトールハンマーである。それはデススターとデススター砲にほかならないからだ。
STAR TREK:DEEP SPACE NINE (DS9) に見えた地球の背景が、DS9=沖縄(連邦の前線基地)/連邦=アメリカ、DS9に配備した戦艦名DEFIANT(挑戦的・傲慢)/フェレンギ=中国・朝鮮(嘘つき・男尊女卑)/カーデシア=ロシア・ソ連(冷徹・冷酷)とピタリと当てはまりすぎてた。
そのように銀河英雄伝説も地球の社会構造が見えた。
「君主制」と「共和制」、それぞれの腐敗構造。特に政治家の腐敗として「ヨブ・トリューニヒト」。フェザーンの「ルビンスキー」を代表とする富と権力を得た人間たちの邪悪な企み。
そして、現実社会で地下鉄サリン事件から白装束集団なる社会不安が続いた直後だったこともあり「地球教」なる不気味な集団が描かれているが自覚症状がないだけで正に地球教とはそんなのを信仰する未開人たる人間の恐ろしい思想。このように邪悪な世界、日本社会を小説を通じて教えてくれたと勝手に思っている。
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| emisaki | 2020-09-12 Sat 12:49 | 大衆媒体::テレビ全般 |
2020-09-10 Thu
→ 東海テレビ放送 > 東海のニュース> ウーバーイーツ配達員の危険運転…警察がついに取り締まり わずか2時間で配達員16人に「警告」
自転車を取り締まるなら「赤切符」を切りましょう。根っから理解することができない頭のご不自由な連中に警告なんて甘いことを言ってるから死傷者が絶えない。
自己中の極致である“地方症”の典型症状で他人の存在が目に映っても脳では見えない。だから既に凝り固まってしまった人間の失敗作に対して論理的に説明しようなんてほうが無理で、法律でガツンと犯罪であることを明確に思わせるという残念な対策しかできない。
昭和よりもっと前からかもしれないが、警告もせずに、そして警告で済ませてきたからこうなった。酔っ払う行為が罪と認識されないよう自転車も昔から教育を失敗した。そこに昭和の集団就職が産み落とした都市生活不適合者どもの更なる子孫であるモンスター無秩序が加わってきた。
自転車、自動車など車両の運転中だけではなく、歩行中でも有り得ないイヤホン(ヘッドホンステレオで音楽聴きながら)に歩きながらスマホの何が悪いのかも理解できない頭のご不自由な連中。その行為をやってるだけで人間としての価値がない。
繰り返すが、自転車を運転している奴は100%犯罪者(警察官を含む)は過言じゃない。2016年6月まで歩道についての例外はなかったが警察官も歩道を走っていた。いまでもそれは変わってない。危険じゃなくても車道を走らず徐行もしない。だから釈迦に説法が愚かな行為じゃなく警察官に道交法の説教が必要。
警察官になったとしても根付いた“地方症”は治らないのである。もちろん法律を説いているから俺らに叱られて奴らはぐうの音も出ない。自分で自分に赤切符を切れ! 今は他人を取り締まれる警察じゃない。
警察が日頃から見逃してきたから阿呆どもは、やっても良いと思い込んでしまった。さんざん戦ってきたこそ解るのだが、他人がやってれば自分がやってもいいって浅はかな考えしかできない連中。
横断歩道は車道上である特質上から歩道走行の例外には含まれておらず、いかなる車両も通行することはできないのだが自転車の阿呆どもは通行、走行しやがる。そして、例外による歩道通行も時速5キロ以下のノロノロ運転が徐行(通行区分違反+速度超過6ヶ月以下の懲役または10万円以下の罰金)だって警察庁が見解を出していたのに都道府県市町村警察も理解してない馬鹿ぶり。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」という極悪な言葉を現実化させた。死んでいった人も含めたら何億人「前科者」と言っても過言ではない。今起きていることは確信犯とも言える連中で、さんざん報道されているのに大人になっても守る気がない人間のクズを問題視している。
どうやら“地方症”を患ってる連中は自分がどんなに愚かな人間なのかに気づかず真っ当なのだと思ってる。幼少期から違法行為を繰り返しても誰にも咎められたことがないから罪悪感を持たない。
大勢の他人の中で育たず真っ当な社会生活と教育ができない末路ってこういうこと。そうした連中が社会を構成してもマトモな子は育てられないから集団就職で人里に降りてきた団塊の世代の孫は無知無能のままモンスター集団と化してしまった。そうしたモンスター チルドレンは自分が人殺し行為をしてるなんて知らない段階から、知ったこっちゃない段階へと移行してしまった。
原則歩道走行禁止/歩道を通行できる場合もノロノロ運転/左側通行/赤信号は止まれ、この幼稚園レベルの法的義務のどれも守れない。東海テレビのニュース映像は名古屋市の中心部である栄の周辺であり、車道が広いばかりか歩道も広く、伏見通り、桜通なんかには自転車専用道があるにも関わらずそこを走らない奴が多い。久屋大通なんて自転車が通るべきところが違法駐輪場にされてしまってるから歩行者に危険が迫る。
栄の中心部が酷くても比較的に東京より安全なのは道路が広いからだが、逆にそれだから無謀運転がやりやすくなる。東京で安全だった商店街が危険になったのだが、それは賑わいが衰退したことで人通りが少なくなり暴走チャリがデカイ面しで走れるようになったからだ。コロナ禍がそれと同じ状況を作り出している。
地方は好き、でも地方症に冒され真っ当な社会生活もできない“怪物”に反吐が出るだけである。
子育てに良い環境と称して色々な意味の“怪物”を育てているということに、いつ気づくのでしょうか?
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自転車、自動車など車両の運転中だけではなく、歩行中でも有り得ないイヤホン(ヘッドホンステレオで音楽聴きながら)に歩きながらスマホの何が悪いのかも理解できない頭のご不自由な連中。その行為をやってるだけで人間としての価値がない。
繰り返すが、自転車を運転している奴は100%犯罪者(警察官を含む)は過言じゃない。2016年6月まで歩道についての例外はなかったが警察官も歩道を走っていた。いまでもそれは変わってない。危険じゃなくても車道を走らず徐行もしない。だから釈迦に説法が愚かな行為じゃなく警察官に道交法の説教が必要。
警察官になったとしても根付いた“地方症”は治らないのである。もちろん法律を説いているから俺らに叱られて奴らはぐうの音も出ない。自分で自分に赤切符を切れ! 今は他人を取り締まれる警察じゃない。
警察が日頃から見逃してきたから阿呆どもは、やっても良いと思い込んでしまった。さんざん戦ってきたこそ解るのだが、他人がやってれば自分がやってもいいって浅はかな考えしかできない連中。
横断歩道は車道上である特質上から歩道走行の例外には含まれておらず、いかなる車両も通行することはできないのだが自転車の阿呆どもは通行、走行しやがる。そして、例外による歩道通行も時速5キロ以下のノロノロ運転が徐行(通行区分違反+速度超過6ヶ月以下の懲役または10万円以下の罰金)だって警察庁が見解を出していたのに都道府県市町村警察も理解してない馬鹿ぶり。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」という極悪な言葉を現実化させた。死んでいった人も含めたら何億人「前科者」と言っても過言ではない。今起きていることは確信犯とも言える連中で、さんざん報道されているのに大人になっても守る気がない人間のクズを問題視している。
どうやら“地方症”を患ってる連中は自分がどんなに愚かな人間なのかに気づかず真っ当なのだと思ってる。幼少期から違法行為を繰り返しても誰にも咎められたことがないから罪悪感を持たない。
大勢の他人の中で育たず真っ当な社会生活と教育ができない末路ってこういうこと。そうした連中が社会を構成してもマトモな子は育てられないから集団就職で人里に降りてきた団塊の世代の孫は無知無能のままモンスター集団と化してしまった。そうしたモンスター チルドレンは自分が人殺し行為をしてるなんて知らない段階から、知ったこっちゃない段階へと移行してしまった。
原則歩道走行禁止/歩道を通行できる場合もノロノロ運転/左側通行/赤信号は止まれ、この幼稚園レベルの法的義務のどれも守れない。東海テレビのニュース映像は名古屋市の中心部である栄の周辺であり、車道が広いばかりか歩道も広く、伏見通り、桜通なんかには自転車専用道があるにも関わらずそこを走らない奴が多い。久屋大通なんて自転車が通るべきところが違法駐輪場にされてしまってるから歩行者に危険が迫る。
栄の中心部が酷くても比較的に東京より安全なのは道路が広いからだが、逆にそれだから無謀運転がやりやすくなる。東京で安全だった商店街が危険になったのだが、それは賑わいが衰退したことで人通りが少なくなり暴走チャリがデカイ面しで走れるようになったからだ。コロナ禍がそれと同じ状況を作り出している。
地方は好き、でも地方症に冒され真っ当な社会生活もできない“怪物”に反吐が出るだけである。
子育てに良い環境と称して色々な意味の“怪物”を育てているということに、いつ気づくのでしょうか?
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| emisaki | 2020-09-10 Thu 22:10 | 大衆媒体::テレビ全般 |
2020-09-09 Wed
大麻所持にて逮捕の俳優の名前まで認識してなかったが顔は忘れないので逮捕報道を受けて思ったのが再放送はどうなるのかってことだった。既に見ていて批評済みだが、日本テレビ「ボイス 110緊急指令室」の再放送がCS放送 日テレプラスにて放送中だ。報道で警察学校の教官役だったドラマに出演していたと伝えられたが私は他の出演作を知らず「ボイス」の印象しかない。そこでは警察権力の傘の下に隠れた狂気の快楽殺人者とピッタリの役柄だったから印象深い。
<追記 2020年9月9日 14時: 「ボイス 110緊急指令室」は放送中止となった>
過去の発言が取り沙汰されてるが「大麻で人生崩壊するのは難しいと思うけどな…それならお酒の方が簡単」とは自己弁護か、まるで詐欺師が泥棒のほうが悪いと言ってるよう優劣のつかない同種のものを比較している程度の低さ。どっちだろうと人生崩壊さてるんだよー。
俺は酒もタバコも拒否してることで「人生半分損してる」と言われたことがあるが、小さい頃にバーとかスナックと呼ばれる酒場が家の近くにあったため、そこに出入りしている現実逃避しているだけ堕落した酔っ払いどもが反面教師になってくれたのかもしれんように、逆にこっちからお前らのほうが「人生の全て損している」と言ってやれる。酒をたしなむ程度を否定することはないが、夜の街頭インタビューに出てくる酔っ払い連中は自覚症状がないだけの社会の落伍者にしか見えない。
お笑い番組で笑ったほうが何万倍も楽しいわけで、酒という薬物によって楽しいという勘違いをしたところで何の意味もない。タバコより善し悪しは関係なく常習性のある禁止薬物なら尚更である。笑えるだけならいいけど喜怒哀楽の全てのリミッターが外れ、先日の事件にあったようタクシーの窓ガラスをたたき割り運転手に殴りかかるよう本性を現す。俗に言う“バカッター”のよう人間選別の価値はあるな。
世界が合法化している理由も知らず頭のおかしいコメンテーターがこのままでいいのかなんて偉そうなクチを叩くわけだが、合法なタバコだって中毒性に加えて他者への傷害とクズ行為でしかないわけだから世界の野蛮な連中は犯罪組織を絶てないからって敗北宣言から合法化しているだけ。だからって日本でどうこう語る必要は微塵もない。合法化している国家を野蛮と批判してやるべき。犯罪組織にカネを回さないため合法なんて理論は気違い沙汰。
またもだが、タバコより毒性が低いなるバカ話を取り上げるワイドショー出演者も狂ってる。こういうときこそ上から目線である必要があり「外国より日本のほうが真っ当」であること認識すべき。こうした事件から考えるべきことタバコを禁止薬物として議論する必要あり、加えて酔っ払いだから何かしても許されるではなく酔っ払って自ら心神喪失が罪であり、自分を制御する能力がない低評価される奴らだと認識を変えさせる必要がある。
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俺は酒もタバコも拒否してることで「人生半分損してる」と言われたことがあるが、小さい頃にバーとかスナックと呼ばれる酒場が家の近くにあったため、そこに出入りしている現実逃避しているだけ堕落した酔っ払いどもが反面教師になってくれたのかもしれんように、逆にこっちからお前らのほうが「人生の全て損している」と言ってやれる。酒をたしなむ程度を否定することはないが、夜の街頭インタビューに出てくる酔っ払い連中は自覚症状がないだけの社会の落伍者にしか見えない。
お笑い番組で笑ったほうが何万倍も楽しいわけで、酒という薬物によって楽しいという勘違いをしたところで何の意味もない。タバコより善し悪しは関係なく常習性のある禁止薬物なら尚更である。笑えるだけならいいけど喜怒哀楽の全てのリミッターが外れ、先日の事件にあったようタクシーの窓ガラスをたたき割り運転手に殴りかかるよう本性を現す。俗に言う“バカッター”のよう人間選別の価値はあるな。
世界が合法化している理由も知らず頭のおかしいコメンテーターがこのままでいいのかなんて偉そうなクチを叩くわけだが、合法なタバコだって中毒性に加えて他者への傷害とクズ行為でしかないわけだから世界の野蛮な連中は犯罪組織を絶てないからって敗北宣言から合法化しているだけ。だからって日本でどうこう語る必要は微塵もない。合法化している国家を野蛮と批判してやるべき。犯罪組織にカネを回さないため合法なんて理論は気違い沙汰。
またもだが、タバコより毒性が低いなるバカ話を取り上げるワイドショー出演者も狂ってる。こういうときこそ上から目線である必要があり「外国より日本のほうが真っ当」であること認識すべき。こうした事件から考えるべきことタバコを禁止薬物として議論する必要あり、加えて酔っ払いだから何かしても許されるではなく酔っ払って自ら心神喪失が罪であり、自分を制御する能力がない低評価される奴らだと認識を変えさせる必要がある。
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| emisaki | 2020-09-09 Wed 08:25 | 大衆媒体::テレビ全般 |
2020-09-08 Tue
ゴー トゥー トラベルが文法すらできてないなら、やっと始まるゴー トゥー イートのほうが更に酷い。そして、どこの馬鹿が言い出したのか テイクアウト に イートイン、どっちも英語じゃない。外国人に日本語の意味を尋ねられて答えに困ること多々あるでしょう。「こんど」と「つぎ」、「ちょっと」と「少し」、こんな感じを説明できずして、おいそれと外国語をカタカナ読みして日本語にしようなんてほうが頭が悪い。
ずっと前から英語圏で「憎悪を伴う復讐」の意味でしか使ってるの聞いたことがないのに裏も取らずに馬鹿の一つ覚えのようリベンジと言う。間違えそうな理由も予想できるが、ならば間違えるなと言いたくなる。F*CKが絡む複数の言い方、revulsion、animosity、hatred、balefulness など個々の意味の違いと使いどころを理解しないとダメだろう。英語は日本語の何倍も汚い言葉が存在するのでまるで意味合いが異なる雪辱と復讐が英和辞書で同義語に感じる。多くの辞書が感情説明を伴わず単文で説明するから間違う。
勉強すれば never give up と don't give up は使いどころが違うことわかるのだが日本人の大多数は前者しか知らない。同様に don't worry と don't mind でも日本人の多くは「don't mind → お前が失敗しようが俺は知らない(俺は気にしない)」と失礼な使い方をする。
こんな迷惑を生み出した悪の根源は誰なのか? 勉強する側として真実を知ると腹が立つ。
辞書じゃなく場面に応じた用例にて調べると リターンマッチ、リターンゲームなる従来からある英語を逸脱して リベンジマッチ なる英語も使われるようになったが日本人が使うような甘ちゃんな場面では使われていなかった。アメフトだの格闘技だと血を見るような場面。ボクシングの映画「サウスポー」の場面にあったが、やっぱり日本の連中が気安く使うようなところではなかった。例えばK-1ファイターが負けてリベンジと言うなら良いが、単なる「やり直し/再挑戦」でリベンジと言うのは大間違いであること変わりはない。
過去の辞書に掲載されてないように世界のどこでも新しい言葉が作り出されるのだろうか?
双方の言葉に熟知している方々に説明して欲しいのだが、日本にて過剰に「死闘」なんて使ったりするわけだから比喩表現を鵜呑みにしてはいけないだろう。正しい事を言って欲しいだけ。
官僚が考え出すことやマスメディアが発信すること間違えだらけって、いつからこうなった? 一般的に疑わないし確認もせず報道されることやマスメディアから発信されることは鵜呑みにされるのだから訳の解らない言葉を使ってはならない! 日本人のくせに日本語すらできず意味をねじまけてきた。
鵜呑みにできたらどんなに楽か。でもそうすると赤っ恥をかくんだよ 間違ってばかりだから。
恥をかかない時が多いのは日本中が大馬鹿で間違えに気づかないからさ。世界的な恥晒し。
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勉強すれば never give up と don't give up は使いどころが違うことわかるのだが日本人の大多数は前者しか知らない。同様に don't worry と don't mind でも日本人の多くは「don't mind → お前が失敗しようが俺は知らない(俺は気にしない)」と失礼な使い方をする。
こんな迷惑を生み出した悪の根源は誰なのか? 勉強する側として真実を知ると腹が立つ。
辞書じゃなく場面に応じた用例にて調べると リターンマッチ、リターンゲームなる従来からある英語を逸脱して リベンジマッチ なる英語も使われるようになったが日本人が使うような甘ちゃんな場面では使われていなかった。アメフトだの格闘技だと血を見るような場面。ボクシングの映画「サウスポー」の場面にあったが、やっぱり日本の連中が気安く使うようなところではなかった。例えばK-1ファイターが負けてリベンジと言うなら良いが、単なる「やり直し/再挑戦」でリベンジと言うのは大間違いであること変わりはない。
過去の辞書に掲載されてないように世界のどこでも新しい言葉が作り出されるのだろうか?
双方の言葉に熟知している方々に説明して欲しいのだが、日本にて過剰に「死闘」なんて使ったりするわけだから比喩表現を鵜呑みにしてはいけないだろう。正しい事を言って欲しいだけ。
官僚が考え出すことやマスメディアが発信すること間違えだらけって、いつからこうなった? 一般的に疑わないし確認もせず報道されることやマスメディアから発信されることは鵜呑みにされるのだから訳の解らない言葉を使ってはならない! 日本人のくせに日本語すらできず意味をねじまけてきた。
鵜呑みにできたらどんなに楽か。でもそうすると赤っ恥をかくんだよ 間違ってばかりだから。
恥をかかない時が多いのは日本中が大馬鹿で間違えに気づかないからさ。世界的な恥晒し。
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| emisaki | 2020-09-08 Tue 19:03 | 大衆媒体::テレビ全般 |
2020-09-06 Sun
2020年9月5日放送 TBS「世界ふしぎ発見」の放送では世界の有名な所と似たところが日本にもあるとして紹介されたが、世界の彼方は知らないことばかりだが日本ともなると知らないところが出てこない。終始「なんだそこか」だった。そこで本場とやらの世界のほうに目を向けてみる。日本でも恥知らずどもが歴史的文化財に対してエレベーターを付けろと騒ぐが、おおかた反政府活動家の場外乱闘に利用されているのだろうが、恥知らずの本場ではもっと愚かであった。「百龍天梯」、何を考えてるのか…金儲けか。
中国「武陵源」、確かに群馬県のじゃ似てるなんて言えないどころか足下にも及ばないわけだが、本場を調べて真っ先に出てきたエレベーターにドン引きした。あれは世界遺産登録抹消に値する酷さだ。でも、連中のことを思い起こせば気にも留めるはずがないことわかる。断崖絶壁に強度がない透明な足場を作ったり、超有名な事件として北京~上海新幹線のように技術盗用してハリボテしか作れず事故を起こすこと何度あったことか。国家体制を考えると恐ろしい。
連中のような考え方を決して真似してはいけない。熊本城にも名古屋城にもエレベーターなんて付けたら恥さらし。あの落ちぶれた大阪城を見ろ!シースルーエレベーター。それじゃあ、大仙古墳の横にも五稜郭みたいタワー建てればどうだい。看板一つ立てられただけで台無しもあるわけで、金に目がくらんた奴らに余計なことをさせてはならない。
そういえば今まで日本でもウユニ塩湖みたいな場所って宣伝も複数あったが、なぜ日本人ってやつは外国と似てる事が好きなのか?今回のテレビ企画のように簡単には行けない場所を似た場所で済まそうってことなのか。良い意味の集団性の傍らで自主性を失った国民だからな。そして人がいるところ、わざわざ集まりたがるのもコロナ禍では大問題だ。
| emisaki | 2020-09-06 Sun 21:24 | 大衆媒体::テレビ全般 |
2020-09-05 Sat
「世界一受けたい授業」は始まった当初はよかったと思った。ところが途中から異端をあたかも真っ当な説かのよう語る連中が出演しだし、番組の構成上からも第二の「あるある大辞典」の二の舞を演じてると感じるようになり、見るに値せずと判断していたが同じネタがきたぞと知ったため録画してみた。1年前に見ましたなんて騒ぐのは馬鹿だが、ずっと指摘してきたのは数日の間のネタかぶりが実に多いことであり、新装開店で報道が集まるのは当たり前だが、なぜ速報性もない同じネタが近日に繰り返されるのかってことが多すぎるのだ。
下請け制作が同じなのか知らないが、TBSの「この差って何ですか」にて以前に取り上げられた昭和歌謡の魅力、時間がないと第2回が今週に放送され、例によって企画パクリの連鎖というか本日放送の日本テレビ「世界一受けたい授業」で取り上げらられたわけだが、全く同じ部分として「卒業(斉藤由貴版)」「木綿のハンカチーフ」が語られたのだが残念ながら くりぃむしちゅー有田がいい加減で、TBSでの爆裂お父さん(加藤浩次)のほうが桁違いに感情がこもって熱弁していた。
これらの番組の大きな違いは、TBSは歌詞を受け止める側の立場として昭和生まれの人達の中、昭和歌謡にはまった平成生まれの子を登場されたのだが、日本テレビのほうは作詞家である松本隆を出演させたことにある。作詞の真意を計り知る上で確実である一方、たった一人に限定してしまった。異端な説を語るのが登場していた「世界一受けたい授業」なだけに当事者が出演することに意味はあったが、あまりにも時間が短すぎた。
TBSの番組を意識したとしか思えないのが「第2弾」という誤魔化しであり、企画のパクリと思われないようにするため 2018年12月29日放送に遡るが「赤いスイートピーに隠された秘密」として1コーナーの放送があったことを第1弾にして、ずっと先にやってたと言いたかったんだろうが、1曲の事と昭和歌謡全体では話がまるで違うのである。
パクリもお約束になっているが、ネタの使い回しなら同局内においてもあり、例えばクイズ番組が2本続く フジテレビの「今夜はナゾトレ」「潜在能力テスト」では軽く10回以上は同じ問題が出ている。だから19時台に知ったことが20時台の答えになるのである。馬鹿としか言い様がないし、これらの番組は終わらせるべきほど、つまらなくなったままダラダラ続けている。
→ 2020年7月28日放送 この差って何ですか? > 「昭和ポップス」と「平成ポップス」の差
→ 2020年9月1日放送 この差って何ですか? > 「昭和ポップス」と「平成ポップス」の差~第2弾
→ 2020年9月5日放送 世界一受けたい授業 松本隆先生 に学ぶ!人を惹きつける“魔法の日本語表現”第2弾
関連余談:
たった一人の語ることを鵜呑みにする問題点はTBS(MBS)の番組にもあり、それは「プレバト」で、芸術性は個々に違うことが解っているのに一人が決めつける。「美文字」なんてのも複数の放送局が取り上げたが、先生が違うと言うことが違うので何が美文字なのかも疑う。
過去の教訓が生かされてないのだが、かつての「ボキャブラ天国」が深夜でくすぶっていたのが、22時台で視聴率を増やすこととなったのは当初タモリが独断で決めつけていたこと審査員を増やしたことにあると若輩者の視聴者としても感じたこと。友達と話していたことだがタモリには一般と笑いのツボにズレがあったためだ。
ですから昭和歌謡を語るならば、できる限り当時の大勢の作詞家、そして作曲家よりも編曲家の意向を探らねば総じて語ることはできない。「マツコの知らない世界」でも取り上げられたが、作曲家なんて編曲家に比べればたいしたことないのに報われない。視点を間違えて祭り上げてはならない。
安倍総理が他者のように利用して投稿したら「くつろいでる場合じゃない」と非難された映像での原曲も意味不明な平成・令和音楽と言え、曲調と歌い方は「f分の1ゆらぎ」とは離れている。そういうのが悪く感じないようになったのは音楽界の荒廃とも言える。海水浴場でラリってるような連中が鳴らしていた曲調に近いのや「ヘビメタ」とも呼べない酷い音楽が近代若年層に蔓延していたことで、更に酷いのは美輪明宏さんも言ってたが音楽の体をなしてないラップと呼ばれているやつだ。統計的事実で音楽の好みは人間性および社会を表していると言えよう。それは「割れ窓理論」に等しい。
このようなことから数少ない真っ当な部類の若年層が昭和歌謡に目を向けたのではなかろうか?
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これらの番組の大きな違いは、TBSは歌詞を受け止める側の立場として昭和生まれの人達の中、昭和歌謡にはまった平成生まれの子を登場されたのだが、日本テレビのほうは作詞家である松本隆を出演させたことにある。作詞の真意を計り知る上で確実である一方、たった一人に限定してしまった。異端な説を語るのが登場していた「世界一受けたい授業」なだけに当事者が出演することに意味はあったが、あまりにも時間が短すぎた。
TBSの番組を意識したとしか思えないのが「第2弾」という誤魔化しであり、企画のパクリと思われないようにするため 2018年12月29日放送に遡るが「赤いスイートピーに隠された秘密」として1コーナーの放送があったことを第1弾にして、ずっと先にやってたと言いたかったんだろうが、1曲の事と昭和歌謡全体では話がまるで違うのである。
パクリもお約束になっているが、ネタの使い回しなら同局内においてもあり、例えばクイズ番組が2本続く フジテレビの「今夜はナゾトレ」「潜在能力テスト」では軽く10回以上は同じ問題が出ている。だから19時台に知ったことが20時台の答えになるのである。馬鹿としか言い様がないし、これらの番組は終わらせるべきほど、つまらなくなったままダラダラ続けている。
→ 2020年7月28日放送 この差って何ですか? > 「昭和ポップス」と「平成ポップス」の差
→ 2020年9月1日放送 この差って何ですか? > 「昭和ポップス」と「平成ポップス」の差~第2弾
→ 2020年9月5日放送 世界一受けたい授業 松本隆先生 に学ぶ!人を惹きつける“魔法の日本語表現”第2弾
関連余談:
たった一人の語ることを鵜呑みにする問題点はTBS(MBS)の番組にもあり、それは「プレバト」で、芸術性は個々に違うことが解っているのに一人が決めつける。「美文字」なんてのも複数の放送局が取り上げたが、先生が違うと言うことが違うので何が美文字なのかも疑う。
過去の教訓が生かされてないのだが、かつての「ボキャブラ天国」が深夜でくすぶっていたのが、22時台で視聴率を増やすこととなったのは当初タモリが独断で決めつけていたこと審査員を増やしたことにあると若輩者の視聴者としても感じたこと。友達と話していたことだがタモリには一般と笑いのツボにズレがあったためだ。
ですから昭和歌謡を語るならば、できる限り当時の大勢の作詞家、そして作曲家よりも編曲家の意向を探らねば総じて語ることはできない。「マツコの知らない世界」でも取り上げられたが、作曲家なんて編曲家に比べればたいしたことないのに報われない。視点を間違えて祭り上げてはならない。
安倍総理が他者のように利用して投稿したら「くつろいでる場合じゃない」と非難された映像での原曲も意味不明な平成・令和音楽と言え、曲調と歌い方は「f分の1ゆらぎ」とは離れている。そういうのが悪く感じないようになったのは音楽界の荒廃とも言える。海水浴場でラリってるような連中が鳴らしていた曲調に近いのや「ヘビメタ」とも呼べない酷い音楽が近代若年層に蔓延していたことで、更に酷いのは美輪明宏さんも言ってたが音楽の体をなしてないラップと呼ばれているやつだ。統計的事実で音楽の好みは人間性および社会を表していると言えよう。それは「割れ窓理論」に等しい。
このようなことから数少ない真っ当な部類の若年層が昭和歌謡に目を向けたのではなかろうか?
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| emisaki | 2020-09-05 Sat 22:29 | 大衆媒体::テレビ全般 |
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