2020-03-10 Tue
うちでは戦争の中身の話は避けられていたと思う。小さい頃に聞かされてきたことと言えば、関東大震災で焼け出されて川向こう(隅田川の東という意味)へ逃げ、そして戦争疎開で更に東へ逃れたから東京大空襲から逃れたものの、終戦後に襲われたのがカスリーン台風だったって話。戦争以外で自然災害だらけの日本では、特に大火災など繰り返し見舞われてきた江戸では教訓は残すものの忘れなければ前へ進めない。反面教師が現実にいるが、もし常に後ろ向きで現実逃避、嘘で発狂することにしか生き甲斐のない民族になっていたら世界から蔑まれることになる。
燃えてる状態ではないから終戦後に進駐軍が撮影したと思われるが、向島(今の東京スカイツリー)あたりの上空から南方向の写真を見たことがあり、右側には隅田川、中央にコンクリート造りだったから焼け残った当時の両国国技館だけで、あとは一面が焼け野原だった。
原爆が一発でということもあるが、無差別爆撃で一晩に死んだ人数も10万人と大差なかったわけだ。大部分が一瞬で消し飛んだより死体だらけだったのに、原爆の衝撃度とマスメディアの取り扱いによって広島長崎となり東京大空襲は先祖代々と東京に住んでいながらよく知らなかった。
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