2020-01-02 Thu
→ 「チリンチリンじゃねぇよ」歩道でベルを鳴らす自転車に怒りの声、違法じゃないの? 2019.9.25記事には書かれてないが、歩道上で自転車に乗った人が言葉で「どけ」のように言っても歩行者往来妨害罪になる。以前に取り上げたが、昔のCM、商店街のアーケード内で自転車に乗りながら歩行者に「もっとはじっこ歩きなさいよ」が一部で問題になったようだが、自転車による違法行為がまかり通っていた時代でもあり私は幼少期なので後で聞いた。
稚拙コメント問題はちょっと置いといて、記事の本質としては過去に自転車による違法行為がまかり通っていたのに社会問題化されず、今になって事故が多発してる原因、日本人の落ちぶれ加減について追及すべき。
弁護士ドットコムの記事であるのに自己中が染みついた連中のコメントが見られる。また、別件であったように文章が正しく理解できない連中もコメントにて証明される。正論のコメントもあるが少ない。
「普通自転車歩道通行可の道路標識があるとき等~」と説明している方がいるのも読解力の低下によるもの。「警察庁長官の国会答弁で時速4-5km程度」は私も聞いており、テレビを通じても語れている。ですから都道府県や下の所轄が勝手に決めるなと書いてきた。
「自転車乗ってる警官も平気で人を追い越してるけどねぇ? 道交法にそんな規定あったっけ?」ともあるが、警察官が違法行為を犯さないという保証はありません。現に私は警察官に何度も注意してます。お前らが違法行為をするから世間に示しが付かないと。道交法を読んでもない無知のくせにあたかも間違ってるようなコメントは恥を通り越し哀れ。「アホなこと平気で言うようになったら日本もおしまいだな」なんてよく言えるものかと。
このように狂った概念が通る社会で育てられた結果、自分がイカレてるとも思えずに自分ルールが正しいかのように振る舞ってきたのが “地方症” の恐ろしさなのである。
「車両」に対して「軽車両」は単なる屁理屈。自転車は車両となるという文章であり、車両とは何かがわかってれば間違ってません。ここでも読解力のなさを知ることができます。日本語が理解できない人達によって不要なコメントが埋まるというのは実に迷惑。これも便所の落書き程度の巨大ネット掲示板が影響しているでしょう。
よくも自分勝手な主張でしかないコメントを付けられるのかと思う。本当に影響のある間違えと小学生レベルの屁理屈・難癖の区別が付かない体だけ大人が増えすぎた。コメントの年齢(年代)が正しいとすれば、稚拙な人ばかりであり、それこそ日本もおしまいでしょう。
団塊の世代の前は戦争中で生きるのに精一杯だったろうが、その後の高度成長期とやらに明け暮れて生活環境が大きく異なるにも関わらず、子に対して正しい教育を行わなかった団塊の世代の責任なのだ。だから都会を舞台に団塊の世代の子、更に勘違いしてる孫と“地方症”同士が揉め事を繰り返してきた。
集団社会で真っ当な暮らし方も知らぬ自己中に育てられた哀れさに いつ気づくのか!?
出典:弁護士ドットコム
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「普通自転車歩道通行可の道路標識があるとき等~」と説明している方がいるのも読解力の低下によるもの。「警察庁長官の国会答弁で時速4-5km程度」は私も聞いており、テレビを通じても語れている。ですから都道府県や下の所轄が勝手に決めるなと書いてきた。
「自転車乗ってる警官も平気で人を追い越してるけどねぇ? 道交法にそんな規定あったっけ?」ともあるが、警察官が違法行為を犯さないという保証はありません。現に私は警察官に何度も注意してます。お前らが違法行為をするから世間に示しが付かないと。道交法を読んでもない無知のくせにあたかも間違ってるようなコメントは恥を通り越し哀れ。「アホなこと平気で言うようになったら日本もおしまいだな」なんてよく言えるものかと。
このように狂った概念が通る社会で育てられた結果、自分がイカレてるとも思えずに自分ルールが正しいかのように振る舞ってきたのが “地方症” の恐ろしさなのである。
「車両」に対して「軽車両」は単なる屁理屈。自転車は車両となるという文章であり、車両とは何かがわかってれば間違ってません。ここでも読解力のなさを知ることができます。日本語が理解できない人達によって不要なコメントが埋まるというのは実に迷惑。これも便所の落書き程度の巨大ネット掲示板が影響しているでしょう。
よくも自分勝手な主張でしかないコメントを付けられるのかと思う。本当に影響のある間違えと小学生レベルの屁理屈・難癖の区別が付かない体だけ大人が増えすぎた。コメントの年齢(年代)が正しいとすれば、稚拙な人ばかりであり、それこそ日本もおしまいでしょう。
団塊の世代の前は戦争中で生きるのに精一杯だったろうが、その後の高度成長期とやらに明け暮れて生活環境が大きく異なるにも関わらず、子に対して正しい教育を行わなかった団塊の世代の責任なのだ。だから都会を舞台に団塊の世代の子、更に勘違いしてる孫と“地方症”同士が揉め事を繰り返してきた。
集団社会で真っ当な暮らし方も知らぬ自己中に育てられた哀れさに いつ気づくのか!?
出典:弁護士ドットコム
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