2011-01-19 Wed
古めの温泉とか銭湯で見る黄色い物に。そして
○○○のコンビーフ。
これら...
インパクトがCMの命・・・そんなことは横っ腹で笑っちゃう。
衝撃なんか一瞬のものであって、やり続けなければ効果がないし成功し続けるとも限らない。
人間は飽きっぽいのだ。 一時的な効果でも価値がある大規模な組織でしかできない芸当。
しかし、出した例では、いやらしくない方法と忍耐によって溶け込んだもの。
ケロリン
ノザキのコンビーフ
これは大多数の人がすぐにわかるのではないかと思う。
物販として成功しているかは不明だが、私のような団塊Jr.から銭湯は絶滅の道を歩んだため幼少期の記憶しかなく、見た目をよくしようとした温泉地やスーパー銭湯と呼ばれる施設からも消えていったと思われるケロリンの広告が入った風呂桶。平成生まれには無理かもしれないが、そのほかの多数が、なんだかわからなくてもケロリンというのを知ってる。
ノザキのコンビーフは新聞雑誌広告とかテレビCMを見たことがない。私が産まれてからはテレビCMをやってないようだ。なのに、なんでノザキのコンビーフなのか? ある種の洗脳みたいな結果だと思うが、通勤、通学にて電車の電柱広告を見続けることによって記憶に定着していた。だから、通勤、通学に関わらない人へは認知度は低いが、その時代を通り過ぎていった人は忘れてはいないでしょう。
このようにテレビCMを1本作って関東のゴールデンタイムにたったの1回だけ放送するよりも安い費用で桁違いの効果があった。希な例かもしれないが、ここから得るものはある。
有楽町、銀座界隈には全国都道府県の観光案内から物産販売店へ変化した。
以前は閑散としていた単なる観光案内所ばかりだった。有楽町は過去には駅前から銀座方向へ抜け道として新橋寄り出口のパチンコ屋(甘栗屋)店舗の間の抜けて日劇マリオンから銀座四丁目へ、もう一つは交通会館を抜けてプランタン方向があった。
近年、その中間がイトシアとして再開発され有楽町駅前は開けてしまい、人の流れは変わった。地方アンテナショップの変化のきっかけは再開発が動き出した頃からマスコミによって交通会館の中に存在する店舗が紹介されたことだと思う。それまで一部の店舗にオバちゃんたちがちょこちょこいただけだが、紹介されてから人が増え、この動きに便乗して銀座界隈には各地のアンテナショップが爆発的に増えた。
東京であり日本一土地代が高い所がある銀座の周辺に店舗をかまえるのは簡単にはできないが、前記の通りテレビCMを1本やる気になれば1ヶ月くらい維持できる。そこに宣伝効果と売り上げがあれば、閑散としていたままの観光案内所を出しているより遙かにマシだから後乗りでぞろぞろ各地から乗り出してくる理由もわかる。認知度が上がる前から存在を確認しているが観光案内程度で多くの特産物のない所は閑散としたままであるが、それぞれの考え方があるでしょう。
マスメディアを使った広告の対価ってのも考えるからこそ変わってきたことだと。物販や観光において自らの土地で何か活動したところで大きな効果は得られない。だが、高額家賃な場所に案内所だけなら絶対に考え直すべきだ。いまどき社員旅行の営業では機能しないだろうに。
≪ 続きを隠す
先頭へ △