2011-03-29 Tue
昔から各地の友人たちとテープ交換していたり、ビデオデッキごと送ってあったりして東京にいながら各地の番組を知ることができた。配送による視聴時差はあるものの比較するには十分な情報量を得ている。タイトルを旅番組にしたが、報道番組の違いも顕著で、東京は何か隠しているとか、誰かに配慮しているという胡散臭い。ボーっとしか見てなく気づかない人が大多数だが、よく見比べていれば地方では即座に取り扱った内容も東京では後になってから“とりあえず話題にしました”的な感じが多分に見られるのだ...
ですから私は、
“東京キー局の制作者は「不治の病」に冒されている”
と言いたい。そして、視聴者はそうした目で見ることが大切だと。
勘ぐれば地方局よりしがらみが多い東京の局は何かよからぬ力に支配され言いたいことも言えない状態であろうと。これを裏付ける「東京の番組なら言えない」発言を地方の番組内で聞いてる。関東以外にはネットしている番組も多いため、関東のほうが日本の4分の1と孤立して何か真実からそれて動かされていると感じる。関東の人間はこの違和感すら気づけない。
本題の旅・散策番組ですが、東京の局で制作されているものでマトモに見えるのはテレビ東京にしか見あたらない。対象年齢層によっても違いますが、高齢者向けだと思う番組すら うるさすぎる 今風に言えば ウザイ(うざったい) のである。
うざったいには3通りあり、出演者、ナレーション、映像(カメラワークや字幕など)。三重苦として揃ってしまうのは東京制作だけで、地方局ではあっても1つがいいところ。
東京の制作者の病気は何かしないと不安で仕方がないとかナレーションや字幕を埋めることで仕事をしたと大きな「勘違い」をしているとこにある。黙ったまま長く映像を見せるということができない連中なのだ。せっかくの景色や音をぶっ潰すのが得意なのである。
東京で認められるテレビ東京「いい旅 夢気分」で失敗する時は出演者の選択を間違った時くらいで、これもほとんどない。うざったい部分は良いほうの番組なちい散歩のナレーションやぶらり途中下車の旅にすら当てはまるのが出てくるのが東京制作。
「もしもツアーズ」はバラエティー色が強すぎ対象年齢層も異なり純粋な旅番組と分類してないからとやかく言うつもりはない。同じくキャイーンのウド鈴木が出ている番組として名古屋テレビ「ウドちゃんの旅してゴメン」があるが、「もしもツアーズ」でのノリはなくじっくり見れる作りになっている。同じ名古屋の中京テレビ「ゴリ夢中」のナレーションは必要最小限に抑えてあり、大阪の番組中の旅コーナーも見やすいのが多い。
「メリハリ」というものを知らない
常に余計な加味をしないと気が済まない。わかりやすいのがスポーツ実況で、メリハリのあるメジャーリーグは緊迫感も伝わるが、常時しゃべり続けろと教え込まれてる日本の実況は試合の緊迫感を台無しにする最低な行為であることに長年気づきもしない。競技場に行く人数は変わってなくてもテレビの視聴率が下がってる理由を考えた方がいい。応援団の終始馬鹿騒ぎからしても日本はちょっと変じゃないかい。
例えば15秒以上に渡って現場の音のみの映像を流す。それでこそ真の状況が伝わってくるんだが奇病に冒されてる東京の連中はそんな長い時間何もしない恐怖に耐えられる奴がいない。不必要な字幕を入れるのを仕事したと勘違いし、出演者のしゃべりの隙間にはナレーションを入れないと気が済まないんだ。この映像汚しは東京だけだろう。
どこの制作だがわからないのだが、BS放送の旅番組だと一転して地上波のようなうざったさがなくじっくり見ることができる。この作りの違いはなんだろうか!?
日本の実況(アナウンサー)の問題はラジオにあると推察する。ずっとラジオとテレビ同じと捉えてしまってる。だから見ればわかるテレビでもラジオのように実況している。ラジオからテレビに流れてる古い人達が原因だろう。そう言える理由の一つに現在は価値がなく言うことがある。
それは 「放送席、放送席」 だ
映像も見えておりインタビュアーはインカムからの指示で開始しているにも関わらず「放送席、放送席」なんて何の価値もない。本当の暗黙の状態から呼びかける時になら使うだろうが、そんなことは現代において無い等しい。インカムや返しの音声も聞こえなかったり、映像も見えないラジオ時代から続き絶滅してない伝染病だと。この繰り返しは呼び出しは無線の「ハロー CQ CQ」ではないかな。
やすらぎを与えないのは旅番組にあらず
地方局は東京の大間違いをマネしないことだ。マネしなくてはいけない部分は他にある。ただでさえ、よい番組を作ってスポンサーを呼ぶではなく、先にスポンサーありきの本末転倒な制作方針になってしまったのだから…。
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“東京キー局の制作者は「不治の病」に冒されている”
と言いたい。そして、視聴者はそうした目で見ることが大切だと。
勘ぐれば地方局よりしがらみが多い東京の局は何かよからぬ力に支配され言いたいことも言えない状態であろうと。これを裏付ける「東京の番組なら言えない」発言を地方の番組内で聞いてる。関東以外にはネットしている番組も多いため、関東のほうが日本の4分の1と孤立して何か真実からそれて動かされていると感じる。関東の人間はこの違和感すら気づけない。
本題の旅・散策番組ですが、東京の局で制作されているものでマトモに見えるのはテレビ東京にしか見あたらない。対象年齢層によっても違いますが、高齢者向けだと思う番組すら うるさすぎる 今風に言えば ウザイ(うざったい) のである。
うざったいには3通りあり、出演者、ナレーション、映像(カメラワークや字幕など)。三重苦として揃ってしまうのは東京制作だけで、地方局ではあっても1つがいいところ。
東京の制作者の病気は何かしないと不安で仕方がないとかナレーションや字幕を埋めることで仕事をしたと大きな「勘違い」をしているとこにある。黙ったまま長く映像を見せるということができない連中なのだ。せっかくの景色や音をぶっ潰すのが得意なのである。
東京で認められるテレビ東京「いい旅 夢気分」で失敗する時は出演者の選択を間違った時くらいで、これもほとんどない。うざったい部分は良いほうの番組なちい散歩のナレーションやぶらり途中下車の旅にすら当てはまるのが出てくるのが東京制作。
「もしもツアーズ」はバラエティー色が強すぎ対象年齢層も異なり純粋な旅番組と分類してないからとやかく言うつもりはない。同じくキャイーンのウド鈴木が出ている番組として名古屋テレビ「ウドちゃんの旅してゴメン」があるが、「もしもツアーズ」でのノリはなくじっくり見れる作りになっている。同じ名古屋の中京テレビ「ゴリ夢中」のナレーションは必要最小限に抑えてあり、大阪の番組中の旅コーナーも見やすいのが多い。
「メリハリ」というものを知らない
常に余計な加味をしないと気が済まない。わかりやすいのがスポーツ実況で、メリハリのあるメジャーリーグは緊迫感も伝わるが、常時しゃべり続けろと教え込まれてる日本の実況は試合の緊迫感を台無しにする最低な行為であることに長年気づきもしない。競技場に行く人数は変わってなくてもテレビの視聴率が下がってる理由を考えた方がいい。応援団の終始馬鹿騒ぎからしても日本はちょっと変じゃないかい。
例えば15秒以上に渡って現場の音のみの映像を流す。それでこそ真の状況が伝わってくるんだが奇病に冒されてる東京の連中はそんな長い時間何もしない恐怖に耐えられる奴がいない。不必要な字幕を入れるのを仕事したと勘違いし、出演者のしゃべりの隙間にはナレーションを入れないと気が済まないんだ。この映像汚しは東京だけだろう。
どこの制作だがわからないのだが、BS放送の旅番組だと一転して地上波のようなうざったさがなくじっくり見ることができる。この作りの違いはなんだろうか!?
日本の実況(アナウンサー)の問題はラジオにあると推察する。ずっとラジオとテレビ同じと捉えてしまってる。だから見ればわかるテレビでもラジオのように実況している。ラジオからテレビに流れてる古い人達が原因だろう。そう言える理由の一つに現在は価値がなく言うことがある。
それは 「放送席、放送席」 だ
映像も見えておりインタビュアーはインカムからの指示で開始しているにも関わらず「放送席、放送席」なんて何の価値もない。本当の暗黙の状態から呼びかける時になら使うだろうが、そんなことは現代において無い等しい。インカムや返しの音声も聞こえなかったり、映像も見えないラジオ時代から続き絶滅してない伝染病だと。この繰り返しは呼び出しは無線の「ハロー CQ CQ」ではないかな。
やすらぎを与えないのは旅番組にあらず
地方局は東京の大間違いをマネしないことだ。マネしなくてはいけない部分は他にある。ただでさえ、よい番組を作ってスポンサーを呼ぶではなく、先にスポンサーありきの本末転倒な制作方針になってしまったのだから…。
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