サイト内 移動
NEW ENTRIES
Search Box
CALENDAR
S M T W T F S
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
<<  2024 - 11  >>


2024 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2023 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2022 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2021 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2020 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2019 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2018 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2017 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2016 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2015 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2014 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2013 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2012 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2011 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
2010 - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
COMMENTS
    類似デザイン応募お断りの徹底を
  • emisaki >12.19
  • ツル >12.18
    噂の!東京マガジン 青梅の梅ウイルス問題
  • さらぽん >04.24
CATEGORIES
ARCHIVES
Status
現在: ゲストモード
PROFILE
OTHERS
POWERED BY
ぶろぐん

デジタル写真は創作物!?
 どっかの科学者の調査委員とやらは訳のわからないカタカナ連発の会見から日本語もおぼつかないようだったが、捏造(ねつぞう)は「事実ではないことを事実らしくつくり上げる」と辞書に書いてある。わかりやすい言い方なら「でっちあげ」であり、適用範囲の違いなら虚構という日本語もある。一般的には無から作り出してしまう意味なので「改ざん」という言葉のほうが正しく使える。

 フィルムだろうがイメージセンサーで捉えようが写真は写真であると考えられるが、問題はそこから先。フィルム時代の改ざん(加工)と言えば敷居が高く光学的処理も行っていたが、低水準では写真を切り貼りするくらい。デジタル化してからは悪気はなくとも「無意識に意図的な改ざん」が横行してしまって、過去の光学的に何か細工を施すとは大きく違ってしまった...

 論文、実験資料であってはならない見やすくするための加工を捏造と言うならば、デジタル写真なんて最初から全てが捏造ではないのだろうか? ほぼ全てのデジタル写真家さんが画像に対して行っている事を考えれば、某研究者の資料画像を非難する権利はないだろうね。

 プリント倶楽部には改ざんを超えた でっちあげ機能 が搭載されているが、それと似たようなことはやってるはずだ。ファッション誌や広告、アイドルの写真集を見ればよくわかる。修正と呼べる代物ではなく、綺麗にする過剰修正が私には「不気味」に見える。もはや悪意があるとかないとかいう感覚すら忘れ去ってしまって定常化している。イメージを良くするはずが悪くしているのに全く気づかない。

画像の改ざんはコンピューターが一般化しない時代から業界の風習。


 当方の写真機材の低さと芸術性のなさは痛感しているが、なぜ違いすぎるのかと思っていろいろ尋ねてたときがある。確かに機材より撮影環境の作り出しによって光の使い方などで劇的に変わるのだが、画像処理ソフトウェアを使っての後処理が思った以上に効いている。元画像を見せられると機材や撮影環境に比例した写真となっていたが、調整後の写真だと何か違った肉眼では見ることがない世界とも言える。ソフトウェアでは色温度合わせでない特定の色、特定の範囲だけの調整も簡単にでき、

もはや現実ではない虚構の世界である。 (虚構:現実にないことを現実らしく作り上げた)



 人間の目に近づけた処理もあるが、補正ではなく加工(改ざん)となると、それは捏造と言っても過言ではなかろう。そうした行為は日常茶飯事であり「作品」として溢れかえっているわけだが、確かに研究結果と創作物では加工(改ざん)を行っても良いか悪いかがハッキリ分かれる。

写真の世界であっても報道の世界で改ざんを行ったら報道の体をなさない。


 人間が見たのが全て本当かというと難しい。シャッタースピードを何千分の1にして撮った写真は人間が認識できなくても現実だし、反対に長時間露光も同じだ。時間という空間(次元)を延ばしたり縮めたりするのを、ここで取り上げるところの捏造と言えるだろうか。

 それでは、シャッタースピードを何分の1で撮れば現実なのか? 明確には誰にも答えられないのではないかと思う。色もわからないイメージセンサーから算出によって画像を作り出してるとか、細かいことを言い始めたら望遠だって広角だって画面がひん曲がってるし現実とは言いがたいが、そういう屁理屈を言う気はない。


 例えば花火の撮影でデジタルカメラでは不可能な多重露光をシャッターを開いたまま遮光によって実現しているわけだが、非現実であることは確かでも捏造と言えるか? 後からコンピューターで合成したり、一部カメラの内蔵機能の擬似・多重露光(内部で合成処理)をやったら捏造なのか? どちらも結果的には同じ場合で考えたい。

 全く別の場所とか別の日とか合成したら捏造と言われても反論できないが、フィルムならそれすら普通にできてしまう。悪意があるかどうかで決めるのも無理があり、そして撮影技法と呼べるかが問題だ。デジタルカメラでは大なり小なりコンピューター ソフトウェア的な処理が介在する。カメラ内部でも行われているため、何を持ってして加工なのか? 一般的には付属または市販のソフトによって意図的な加工が施されるため、

元来の写真ではなく「創作物」と謳う必要が出てくるわけだ


 世の中には「その空の色は有り得ない」って写真がありふれてますし、カメラの性能として絞り値によって変化してしまうこともあるが、それは技術進歩したかのように見えても人間の目より相当劣って(デジタルおよびフィルム)カメラでは表現できないからで、捏造でも加工でもない。

 テレビの「家電カラー(濃い発色)」のように人間が綺麗だと誤認識する非現実の派手な色に加工処理されてる場合も多い。昔、ソニーは色がない(薄い)と言われてたことがあるが、それが現実であって、他のメーカーのテレビが標準値として嘘を表現していただけ。現実じゃないのを人間が綺麗だと勘違いするから改ざんされる。シソの葉っぱを入れて梅干しを漬けたところでどす黒い赤にしかならないのに、合成着色料で鮮やかな赤にしてしまうようなものだ。それを気持ち悪いと思わないところが不思議。実物じゃなければいけないと言ってるのではなく、いじくっているのなら「創作物」だということだ。

私に足りないのは芸術性と改ざん技術なのか(笑) 現実派には難しい問題だ...。
| emisaki | 23:40 | comments (0) | 映像音声::静止画(写真機) |
コメント