2014-08-14 Thu
兵庫県の須磨海岸での海水浴客の悪行が報道されている。水着のまま一般の街中まで歩き、濡れたままや砂をつけたまま店にまで入るのだと言う。この報道の発端は逗子海岸の条例制定で、そこから関西方面では須磨海岸が酷かったと取り上げたのだろう。また戻って今度は鎌倉から江の島の海岸が酷いって話になってる。逗子海岸にしても以前はヤクでラリってるかのような感じの連中に異様な雑音・騒音(あれは音楽じゃない)と日本とは呼べないような状態であった。類は友を呼ぶってことで集中していたわけだが、排除しても鎌倉から江の島と昔からヤンキーで有名な場所が受け入れるもんだから今後何が起きるか怪しい。
先に一つ、逗子海岸で客が激減と海の家が怒ってるのだが、近隣の店舗が言うならわかるが、自分の土地で商売してるわけでもない海の家が言うのは筋違いでしょう。
各地で海の家の建設費の増大も利用者が頼んだというより競争の結果であるから客に責任はない。日中の海水浴客だけでは足りず、モトを取るためによからぬ連中を呼び寄せる流れになっていったのではないのか? この流れまで報道してるのが見当たらなかった。
逗子の条例だが、昔のCMにあった言葉、「臭いものは、もとから絶たなきゃダメ!」ってあったでしょ。ところが、まるで害獣を駆除しないで追い払ったら隣町を襲っただけのような対応。だから日本として決めないとダメでしょう。日本なら海岸で酒が飲めるとか言って酔っ払って暴れてる外人だっているわけだし。
海水浴場で酒を飲む必要がどこにあるのか!?
アメリカなら逮捕、罰金でしょ。日本はおかしい、酒での犯罪を大目にみる。世界標準が全て正しいとは言わないが、自ら心身喪失状態となること自体が罪である。特に日本人は酒に弱く飲み方も知らないので規制すべき部分。
逗子海岸も鎌倉から江の島までの海岸もイベントやら花火大会で何度も行ってるので知らぬところではない。逗子海岸の報道するわけだが、それでいなくなったのはロクでもない客だけ。激減ってことは、そんなのが大量にいすぎたこと事態にびっくりしている。
家族連れに限らず真っ当な人は鎌倉~江の島の海水浴場より逗子を強くお薦めする
逗子海岸と江ノ島の違いは民家との距離だろう。逗子では海岸沿いの片側1車線の道を挟んでファミレスがあるだけで他は全て民家である。ところが、江の島の片瀬海岸なら広い砂浜に、駐車場など20m以上の距離に加え、片側2車線な国道134号線を挟んでやっとマンションなどがある。一般的な一軒家はもっと奥地なので道路を走る車以上の音が聞こえることはないだろう。だから騒音問題がないのではなく問題に気づけないだけ。国道では、いかにもヤンキー車両が目立ちたいのか騒音を出しに来るのは相変わらずのようだ。
水着で濡れたままや、砂をつけたまま街中を歩き、店にまで入る奴らがいるのは須磨海岸だけでなく鎌倉、江の島でも同じだから、町の内陸までそのまま入り、江ノ電にまで注意書きがあるなんて地に落ちてる。鎌倉地域は近くにお寺も多くて、イメージ悪くなってるとの報道。 路上というか歩道のみならずコンビニのトイレを着替える場所にしてるとかいう不道徳者までも。張り紙がなされるくらい他人数が行ってるわけだ。
逗子の条例で問題があるとすれば営業時間の短さだろう。夏期でいえば、まだ明るいうちに終了してしまう。ウザい連中を排除できたのに営業時間まで早める必要はなかろう。最近の気象状況なら夕方からのほうが行動しやすいのだから。
幼少期の記憶だと、湘南は行かないから千葉や伊豆だが、旅館から水着で海水浴場には直行していました。そして旅館の外には洗い場があった。今でいう犬の足を洗う場所みたいな感じだった。着替える海の家が立ち並ぶ海水浴場ばかりではなかった。だから昔だって水着のまま移動することはあった。問題は濡れたままとか砂が付いてるとか、そのままではいけないと考えられない脳ミソが軽量化したことだ。少し前までベビーカー広げて電車に乗るような“自己中”が皆無だったように全体的な道徳が崩れてしまっている。
各地で問題を起こすような連中は何が悪いか考えて実行する能力を失い罪悪感も失った。
逗子海岸での条例制定がニュースになったとき、これは先手をとって千葉や伊豆で密かに条例を作っておくべきだと書いた。いつか来るかもしれない事態の予防線を張っておくべきでしょう。
条例の前に正しい教育で、性能上の大きな違いから「区別」をさせていただくが、都会を知らぬ人が増えたため、大勢な場所が当たり前の場所で他人へ配慮する能力が欠落している人が大量に生み出されている。地方でも部分的な都市化も原因だと思うが、指摘してきたように、人が見てる前に平気で立てる奴らってのは固有じゃなく多くの場所で見られるようになった。座席が並んでる途中で立ってられる 俺には考えられない神経。そして自らのイカレ具合に全く気づいてない。残念ながら近代において地方から出てきて都市を形成したような場所に非常に多く見られる現象である。
(この状況は、ゆるキャラ、花火大会見学のリポートで何度もしてる)
ようするに、
何が悪いのか理解してないから “罪悪感” というのを持ってないのです。
だから、こちらが怒っても、何が悪い!? という表情をする。
親から根本的に再教育が必要だ。
問題が起きることにバカなマスコミが出現するが、この問題を水着のままがいけないとか的外れな苦情にしてはいけない。既に始まろうとしてるのは水着でなければいいという風潮。上にTシャツでも着れば、濡れてても砂が付いてても良いとか思われるぞ。もとから配慮する心を持ってたら不道徳行為が平然と出来るわけない。意味を教えず規制だけ教えるから理解されないのだよ。学校教育の責任にするな、全てバカ親の責任である。
社会教育にしても、ゴミを拾う人がいるのはゴミを捨てる人がいるからで、拾う人を賞賛のは間違っており、先に捨てる奴を非難すべきだから順番が間違っている。ポイ捨てしなければ拾う必要がないのは誰でもわかる方程式。この間違えは社会の多くで起きてると思う。例えば警察の検挙率の低さは犯罪を生み出さない努力を怠ったこと。凶悪犯だけに目を光らせ、世の中の小さな罪を見逃してきた事の顛末だから。
海の家の経営側が「表現の自由」という言葉を使い、それを垂れ流すマスコミと双方で頭が悪い。彼らの言う意味は「勝手な表現」という無責任であり、マスコミがやってることと同じ。報道ならば法を犯そうが、他人に迷惑をかけようが、ストーカーよりたちが悪い行為をしても良いと思ってる。責任を伴う制限の中の自由はあるが、勝手など許されるわけない。「表現の自由」の意味を取り違えるな!
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