2015-05-13 Wed
私が前から指摘してきた部分は「“藪からスティック”みたいな言い方がおかしい」という点から、ゼロ、いち、に、さんとか言うな!って点であった。学校の先生すら腐ってしまった言葉遣いで、日本語を話す上で零(れい)と言ってくれるのはアナウンサーくらいだと嘆いたところ。アナウンサーと書いたよう当てはまる日本語がない、または古来より常用化した外来語なら仕方ないが、わざわざ長い英語へのカタカナ化は格好悪い。いや、頭悪く思う。仕事の場でも、そんな言葉遣いを多用する連中をリスペクト(←嫌味)するどころか信用できない奴だと感じてきた。ところが、零がZEROじゃないって話が出てきた...先日の日曜の番組にて、零細企業という言い方があるように、全くないではなく「わずか」って意味だと言われ、辞書で調べると載ってた。これを基にして番組では言い切っていたが、辞書では零は数字の 0 でもあるとしており、単語用法によって意味が異なる。ならば、番組で語られた、れい%とゼロ%は異なるってのは用法として正しいのか疑問であった。0 の概念がなかったところへ漢数字として零を割り当てたのであるのだから、零はゼロとなるし、では英語でこの区分けはあるのか?
降水確率を例にしていたが、それは予報の統計でありながらも「予報」であるから曖昧な値しか公表できないのと人間的に解りやすく10単位と、10%表示なら5%から14%(15%未満)を示すなんて勝手に決めてるだけ。降水確率は0% であるとも記載され、零%との表記ではない。0 と表記されている以上はゼロであるが、予報として全く降らない訳ではないとしているだけにすぎない。だから降水確率としての 0% が範囲を示すからって零に“わずか”という意味があるからと関係がない!
零細と降水確率の話を結びつけたのは大間違いじゃないか。
飲料水のカロリー表示ではゼロが全くないではないように、ある種の業界として認められてる言い方が、あたかも社会通念であるかのように語ったのは林先生あるまじき行為ではないのか! 断片的に正しいだけで、それを基に他に結びつけるのは正しくない。
2015年5月10日放送 TBS「林先生が驚く 初耳学!」にて
ゼロ: 無 全くない
れい: 数字 もしくは、無ではないがほとんどない
となると、「ゼロ、いち、に、さん」との言い方はどっちな理由にしても用法が間違っていることとなった。
そして、英語で 0 は ZERO(識別上、オーと読むのは別)と言ってるのだから、本件においては ZERO じゃなく、ゼロという和製英語であるがゆえの意味ではないのか。だって零は日本語ですから英語にはないし、ZEROなら日本語じゃないから国語の先生が偉そうに言う出番など無い。何もないを意味する日本語の単語はゼロじゃなく「無」じゃないか!
当方では半導体機器を扱う上においてカタカナ語は欠かせない。それは対応する日本語がない場合と、日本語にすると余計に訳がわからなくなってしまうから。例えば、ハードディスク(HARD DRIVE)と直訳すら不可能な物を日本語にすると漢字の羅列でややこしくなる。コンピューターは電子計算機となりまだよいが、デジタルを日本語(単語)にしろと言われてもできないわけ(文書説明するしかない)。それらと、尊敬をわざわざリスペクトなどと言い換えるおかしな奴らとは根本的に分けて考えなくてはならないでしょう。
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