2021-02-01 Mon
2021年2月1日 羽鳥慎一モーニングショー画面は見てなく、ボーっと聞いてたら、ええ! 08時26分前後、羽鳥「楽観視できない」
楽観視は新聞各社も重複表現(重言)と定めてるからテレビ局も倣っている。出川哲朗が言ったら聞き捨てるけど、真っ先に間違えを見つけて訂正してきたような人だから、これはないだろ。
× 楽観視 (観=視)
○ 楽観
通じるから捨て置いてるけどテレビで「犯罪を犯す」って重複表現を言う人達が大勢いる。
ついでに「ほぼ」はオノマトペではないので「ほぼほぼ」も世の中から抹消すべき。間違いを説明すると確率で「100%ない」を「10000%ない」なんて有り得ない事を言うのと同じで、「ほぼ」に対して更になら「ほとんど」がある。強めたという向きがあるが「ほぼほぼ ≒ ほぼ」である。
別件でも語ってきたように日本人は言いやすいように言葉をもてあそぶ。しかし、そうした連中は程度が低く見られること確か。それと似たことでカタカタ語(外国語)を使うのも、格好つけてると勘違いした阿呆に加え、言いやすいからって理由もあろう。言いにくいカタカタ語は浸透しない。
「ただただ」のよう昔に正当化されてしまうと文句がいえなくなる。
英語で例えれば、possibly / perhaps / maybe / probably と確率が増してゆくが、それに対する誰もが知ってるであろう日本語もあるのに、世間の特に若年層は日本語も知らない奴らが増えてしまって言葉を捏造するようになった。マスメディアが世間の阿呆どもに乗じて広げてはならない。拡大しないうちに排除するのがマスメディアのすべきこと。
| emisaki | 2021-02-01 Mon 08:49 | 大衆媒体::テレビ全般 |
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