2021-06-27 Sun
外れて欲しかったが予想通り「馬鹿に阿呆の舞い踊り」が、またまたまた起きてきた。渋谷、新宿に加えて全国の悪名高き繁華街、なぜか人間のクズどもを惹き付ける。ほぼクソガキどもであった。路上飲み、ノーマスク、大騒ぎ、理性がまるで無いから動物以下だろ。
本日も山奥暮らしの番組が放送されるだろうが、東大卒の塾講師が断片だけで良い人だなどと言う。そりゃあ、番組中で「あれは犯罪です」なんて指摘したとして放送されるはずもないが、遺伝的に都市の集団生活者から言わせてもらうと「子育て環境に良い」なる発言も含めて、彼らはとんでもない間違いをしている。他の番組からも見えたが、子育て環境としては最悪だった。
まずは信じがたい好き勝手が繰り返されてきた。「三つ子の魂百まで」にて、ああいう環境では加害行為に対して被害者が出にくく、犯罪が犯罪として表面化しにくいなど最悪の環境。自分勝手な人間を作る環境が揃ってるのだ。そうして育った奴らが都市部に出てきても、全く同じことをしでかす。今度は他人がいるのに、脳内では自分しか存在しないのだ。
そうした状況証拠はいくらでもあり、例えば何千回、何万回と起きてきたであろう妨害運転に至るのは、究極の自己中が辺りも気にできず勝手に車線変更して他者(他の自動車)に危機を与えたのに、クラクションを鳴らされたって激高する気違い沙汰。事件としては大なり小なりあるにしても、自覚せず恐るべき人間性に作り上げられてしまってる。
かつて明治や江戸時代なら序々に来た人間を社会が再教育してきたであろうが、戦後の集団就職によって、その社会的教育システムは完全に崩壊してしまって地方症=究極の自己中がする無秩序が町を支配した。原因である団塊の世代の子、孫、ひ孫と進んだ子孫ほど、テエメらの何が悪いのかも理解できなくなった。
阿呆で埋め尽くされた環境ではテメエがいかに阿呆であるかも気づかない。
人間は一人では生活できないのだ。社会の一員として、いかに人間のクズであるか頭で解らないなら体で解らせる必要があるのではないか。責任の取らせ方にもいろいろあるが資産没収やら簡単にブタ箱に放り込めるくらいの法律は作っていただきたいものだ。「自由」とは責任を伴い、問題を起こす奴らがやってるのは「勝手」と言う無責任。勝手に育った奴らは恐ろしい。
新宿、渋谷、六本木、いつでもクズが集まる場所だけで判断すると見誤る。10年、20年と見れば人間性が狂いまくった新橋のサラリーマンで判断すれば人間性の落ちぶれ加減がよくわかる。
熊さんは撃たれ、お猿さんも駆除される。気違い沙汰でも人間様なら駆除されない!大バカを小バカが見て自分は真っ当だと間違える。テレビ局は自分たちのこともあって一部の人とか言うが、真っ当なのが一部で残りが全部カス!!
| emisaki | 2021-06-27 Sun 18:45 | 旅・散策::旅の記録 |
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