2021-08-30 Mon
# 本件は玄関先だけど離れてる。そして自宅だけど他人だからマスクして会話マンション、アパート、新興住宅地は住みにくいってさ。変なのばっかりだから。不在で再配達が問題になったが、昔はそれがなかったのも隣近所が預かってくれたから。
今じゃ、置き配も危険だが、古くから「隣に誰が住んでるのか知らない」なんて言う連中が増えたように近所付き合いがないから預かってもらえないのは拒否されるからだと言う。
ですから最初からコミュニティーが形成されてる恐ろしく狭い地域でしかできない。確かにウチの所はアパート、マンション(団地)に取り囲まれてる「都会の一軒家集落」と言える。
ウチの縁側を寝床にしてる黒猫(本物)がいるけど、彼らも集合住宅が嫌いなようだ。
バイト芸人がテレビで怒ってたよう食料の宅配で住所と表札の名前が違うから連絡したら、置き配の指定を守らなかったって低評価を入れられたと語ったように「地方症=究極の自己中」は、そこらじゅうに転がってる。そういう連中は自分がいかにクズであるかも認識してない。
アマゾンでの「置き配」の苦情を調べると浮かび上がってきたのは人間の程度の低さであって、いくら置き配を指定されても置いて帰ることはできないのまで置いてってしまったり、雨が降りそう、水に濡れそうだと判ってる場所にも置いてしまう。また、届けられる側(注文側)も住んでいるのだから問題を把握して指定しなければならない。文句を言ってる奴らの不用意が起こしたことでもあるため、双方が阿呆であることばかりだ。
基本的に黒猫は置き配をやってないのも、イカレた客が増えてしまったかららしい。製品(工場生産品)ではない無くしたら代用が利かないため、配送物を適当には扱えないのだと言う。
だから製品だと判ってれば別ってことだが、アマゾンなど何か入ってるのか書いてないため判断できないってのもある。黒猫が具体的に書いてくれって言うのも、食料品としか書かないと野菜、果物、パッケージに入った総菜、お菓子…何がなんだか判らない。他には(なまもの・こわれもの)って選択肢だから配達を考えたら具体的であるべき。中身を知られたくないってのは自己中でしかない。
偏差値の高い学校を出られた頭のご不自由な方々が激増してるのだから、こういうことを説明すべきだね。近代の地方症を患ってる連中は自分で考える能力を失ってる。手取り足取り説明しなきゃ駄目。だからって俺みたいに説明不足を避けるため長文にするとTwitter程度の長さしか頭に入らない奴らの読解能力を軽く超え誤解が多い。
箱も輸送のためにあるのに販売店に対して箱も隠せとか要求があるとのことだが、「あの人、あれ買ったとか」見られて何か言われるって、そういうのこそ俺が忌み嫌う危険思想が渦巻く地域だ。そういうのは、お互いに何しても影響を与えない見せかけの近所付き合いの産物。
そうした連中が集まってきたのがアパート(通称マンション)であり、一軒家でも新興住宅地であると昔ながらの近所付き合いもないため、隣に預けるなんて有り得ないし怖くて置き配も難しいのだと言う。
賢ければ理解できてるからアマゾンで買い物をするとき送料無料の条件を満たしていれば、濡れたって良い物と、濡れたから困る物を分けて注文することがある。もしくは、雨に濡れたら困る物が入ってる場合には置き配を止める。仕方なく不在で置き配をして欲しいときは、地面だけ濡れるなら台座を用意したり、入れ物を置いて張り紙をしておく。なぜ、この程度な当たり前のことすらできないのか?
地方症を患ってる奴らは自己中だけに要求はするが、他人への配慮ができない愚か者なのだ。
アマゾンの場合は地域で業者が異なるため統一した社員教育がなされず、事例には固有の人間が原因であって地域性が高いと推測してきたが、箱が凹んでるとか濡れてるとか負わされた事から客であるテメエらが犯した不道徳が覆い隠されてしまってもいる。そうした症状は「あおり運転の犯人が被害者を責める」ってのと全く同じである。
「地方症」なる造語は、当事者に責任のない痴呆症状より社会への影響が酷く、集団生活能力がないことに自覚症状がなく無秩序、無責任を繰り返す連中の総称。
道の歩き方も知らねぇ、列の並び方も知らねぇ、電車の乗り方も知らねぇ、隣近所に迷惑をかけない暮らし方も知らねぇ等々、自分ルールで無秩序に気づきもせず知ったかぶって生活から商売にて迷惑を繰り返してきた。あらゆる自分勝手な問題を含める「地方症」なる育ちの悪さは世界的な大問題である。
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