2016-08-27 Sat
今年の花火大会のテレビ中継も、相変わらず、というのが妥当な意見でしょうか。隅田川については春の「花」も夏の「花火」も同じで見るものじゃなく単なる宴会場だ。伝統などと言えない状態で見たくもなくなった。宴会的な番組作りは地上波テレビも同じで、花火を見せるのではなく長い現場実況と宣伝にしか見えない。NHKを除けば下手に予算がないほうが真っ当な「花火中継」になっている。ケーブルテレビの場合はグループ会社でも市町村など管轄によって放送されるのが違うが、同じ花火大会の中継があるときがある。「いたばし花火大会・戸田橋花火大会」(東京・埼玉)および「長岡まつり大花火大会」(新潟県)があったとき、その大きな違いを見ることができた...
「いたばし花火大会」と「戸田橋花火大会」は江戸川と市川などと同じ共同開催ということらしいが、何らか政治的問題かテレビとしては別になっている。よってテレビ埼玉は戸田橋花火大会として中継され、ケーブルテレビ(J:COM)が対岸である板橋側と戸田側で別々に放送された。加入地域からJ:COMは見ることができても片側だけ。
ケーブルテレビ(J:COM)なら純粋な花火大会が見えるとは限らないが、今のところ可能性が高いことは確かだ。制作している地域(支局)によって番組の作り方が違っているからで、純粋に花火だけが見えるところや地上波のように出演者が多くて「うるさい黙れ」って思う作りをするところもある。昨年は芸人を出してうるさいばかりで、昨年よりはよくなったものの「足立の花火」はその傾向が残る。だから開催日が近いこともあり足立区と葛飾区の花火中継は対照的に見える。
多くの花火中継では打ち上げ前後のつなぎのために出演者がいるが、花火が打ち上がってる最中でも うるさい 作りは地上波というか東京キー局の悪いところをマネしてしまってる制作方法である。
音も大事だからと指摘してきたわけだが、実は音ばかりか映像汚しの傾向はケーブルテレビ局にも病気が伝染してしまっている。花火中継だから暗いシーンだって言うのに、明るい字幕を画面の隅だとしても大きく出すわけ。気づいたときには出っ放しになっていた。たまに出るならまだ許せる。
演出とか大きな勘違いをしてる東京キー局の悪い病気、ウザイの極致である「しゃべったまま字幕」の一歩前にあった行為が余計に字幕やCGを表示し続けることだった。本当の字幕放送と違って消すことができないからケーブルテレビも見通しが暗い。
目障りだったのが、あの「諏訪湖湖上花火大会」の生中継で左上に字幕を光り輝かせ続けたのが BS-TBS だった。以前、BS-TBSは賞賛していたのに残念である。賞賛した理由は副音声は原音のみという選択肢を用意していてくれたことにある。番組出演者の会話を聞く必要がなく花火を見ることができた。
同様にBS日テレの「長岡まつり大花火大会」は問題が詰まっていた。BSだから、ほぼ花火の最中にはブツブツ言わないものの、“おまえは路線バスの中で寝てろ”ってテレビに向かって言いたくなった箇所もあった。曲のイントロでしゃべるな、映画で終わないうちに出るなとも思う側には特にそう思うわけ。あなたたちは仕事をしてるつもりだろうが、実は見るべきものを汚しているのだと。
BS日テレの「長岡まつり大花火大会」は、20時半だから30号3連は放送されたものの20時54分終了のため以後のクライマックス(尺玉100連発など)を前にして中継が終わるというとんでもない予定だった。時間が押したわけでもなく最初から決まっていただけに呆れたが、J:COMのほうは21時半までの放送枠で見ることができた。
元NHKのアナウンサーがフジテレビ批評で言ってた 「黙る勇気」
東京キー局の馬鹿なアナウンサー教育は黙る勇気なんて教えません。反対にしゃべり続けろと大間違いの教育を受けてる。そうして野球にしろサッカーにしろメリハリなしの うざったい実況 しかできない。人気薄になったのは趣味多様化の理由もあろうが、ウザイ実況って理由もある。芸人も真似するほど常にうるさい実況だった人は濃いサッカーファンから嫌われていた。共感じゃなく、うるさすぎてファンもドン引きしてしまうわけだ。
BSで米国の野球中継(原音のまま)を見たあとに日本の中継を見たら、某国団体客の真ん中に置き去りにされたのごとく気が狂う。ちょっと黙れ、もっとボリューム下げやがれ!見せろ(聞かせろ)ってね。
ゴルフ実況が可能で、なぜ野球じゃできないのか!?
キー局に限らないがアナウンサーの問題としてテレビとラジオを掛け持ちしている放送局は問題が発生しやすい。ご存知、ラジオで黙る勇気やったら放送事故ですからね。アナウンサーでもテレビとラジオは職業が別である。
ラジオ番組の出演者、DJなどのモノマネ病でみんな同じようなノリ(芸風)になってゆくよう、何らか自己陶酔に陥ってしまって番組ごとの違いも考えられず、何をすべきなのかも忘れてしまうのではないか。
映像制作会社の間違った昇格(AD→D→AP→P)に触れたことがあるが本来は全く違う業種なのに似たことだと可能だと勘違いしている代表格がテレビ局、映像制作会社だ。フライドアテンダントがパイロットになるような訳のわからない昇格方法をしてる。ADのA「アシスタント」があの連中の誤認識に追い討ちをかけており、間抜けディレクターは子分だと思ってるわけだ。今の間違った昇格方法では弟子扱いだが、実体は弟子ではない。業界の職種名が間違っている。年齢、体力的に別の職種に移るのはまた別件だ。
職種の違いに上下関係はなく、素人ディレクターがプロのディレクターへと進むのが筋。だからプロADより小僧Pのほうが力量としては下とされるべき。呆れる昇格方法では換わるごとド素人に転落するわけだからプロが育たず問題(事件)を引き起こすのも当然。
低迷や不祥事へ管理職、経営者が考えもしないところから意識、構造改革が必要。
黙る勇気の映像版が 「加工しない勇気」
SE、DVE、字幕、CGのオーバーレイは番組を見てきたなかで大部分の場合、映像けがしでしかない。本当に必要な説明として入れる場合は少ない。仕事したつもりになって実は余計なことばかりしている。
そんなのは演出でもなく、親切でもなく、目障りなだけである。
今は知らないが私が知り得た時期に外から見ていると仕事の効率が著しく悪い。もっと早く帰れば仕事にも反映されるっていうのに、帰らないを仕事してると勘違いしている。効率的かつ論理的な人はいられない世界で、変な奴らだけ残れる職場なのかもしれんな。今でも何の役に立たない陰湿な体育会系が残ってる業界なんだろうか?
余談だが、ビデオカメラやPCでのビデオ編集ソフトが一般化したとき、余計な特殊効果を入れるほど素人の駄作となった。字幕って説明のためなのに特殊効果として用意されてるからって飛び回るのを入れたり、動かしている時間は判読できず結果的に表示している時間が長くなり見せるべき映像を汚すのは当然のこと。それは素人の例だとしても、似たような迷惑ごとをプロが増やしている。このような低次元すらわからないのが今のテレビ番組制作ではないか。画面に字幕CG出しまくって肝心の映像が見えないなんてことはよくある。四隅は全部使って挙句の果てに真ん中にデカイ文字なんてのも特にバラエティー番組で日常的。
マンガ本の影響が大きい
二次元って言われてるように時間軸がない。時間経過は同じ次元の別の場所に移るだけだ。動きも音も出せない表現力のない世界だから使うしかない手法なのに、それを三次元(二次元+時間)テレビに持ち込んだ世代が違いも解らず表現の方法を間違えてしまったのだと考える。それを「新しい」などと勘違いした奴がもてはやしたのだろうが、その結果は目障り、耳障りであった。
初心忘すれるべからず、と言っても今の制作者は初心(事の本質)すら知らないか…。
本日8月27日 秋田県大曲 全国花火競技大会 が開催され、いつもとおりNHK BSで放送された。これは純粋に花火鑑賞ができるので放送には問題ない。全国の花火業者の「質」を見ることができる良い機会である。煙が少ない調合、煙出まくりなどの違いも知ることができる。
毎年だけに確信に近づいてくるわけだが、やっぱりあそこは球に開くのが作れない業者なんだと。経験の少ない大玉がいびつに開くのは仕方ないとしても競技大会で打ち上げるのがあの程度だと見せられるとね。加えて得意だからって時差点灯ばかりには落胆した。ほかの業者も、いびつな形のばかりとかあるので、大曲のは発注の指標として見る価値は高い。だが、十数回から夏は毎日開催もあるよう観光地は客寄せ宴会芸の一種と見てるから質なんてどうでもよく開催することに意義があると考えているようだ。
花火大会開催としてまとめて協賛金を集めるのではなく、協賛企業ごと分けた花火は企業同士に競争が生まれる。うちのほうがスゲぇーのやるってね。そして花火を複数業者に依頼しているところのほうが良い花火だと感じるのも業者間に競争の原理が働くからではないだろうか?
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