2016-09-10 Sat
私が思う 三大 処罰されない犯罪行為・自転車による犯罪[違反] 歩道通行義務違反、安全運転義務違反(傘さし 各種ながら運転等)
・道路不法使用 広告物、店を広げる(商品陳列)、植木鉢を置くなど定常的な歩行者往来妨害
・歩きタバコ禁止/路上喫煙禁止条例違反 薬物中毒だから法律なんて守れるわけがない
道路以外も空間を含めれば膨大な現行犯(空間は一部お金の支払いで解決されてるが、それは認めるべきではなかった)。窃盗罪なのにマスコミが万引きと軽々しく呼ぶから後を絶たないわけで、違反という言葉を使わず正しい意味でもあるから「犯罪者」と呼んでやることが強く伝わるのである。それくらいいいだろって思わせることが悪へ加速させる...
こういうのが自覚症状なき捕まらない犯罪者の上位をしめることは統計とらずとも明白でしょう。改善どころか増える一方に感じる。喫煙者は減ってきたわけだが中毒から抜けられないたちの悪いのばかりが集約して残ったと考えることもできる。もっと大きな犯罪でも捕まらない奴らはたくさんいるが、何桁も違う多数としてこれを挙げた。
日本の警察は上層部からバカ間抜けで検挙率ばかり気にして逆に犯罪を増やしているが、
小さな罪悪感が大きな犯罪を防ぐってのは先進国の当たり前 (結果も出てる)
政府および制服組がバカな日本は凶悪犯を追ってたいして捕まえられず、予備軍を見逃してばかりと後退している。
昔の日本のように社会が小さなことからブツブツ言ってれば犯罪は減るのである。割れ窓理論が意味するとおり、犯罪大国の街で落書きを消したことで犯罪率が低下した事実は変えようがない。日本は真逆で大きな犯罪ばかりを追って、予備軍な連中を厳しく取り締まることをしない。
私の幼少期から青年時代は、怪しくなかろうともあたり構わずってくらい警察官に声をかけられたわけだが、いまは現行犯が目の前から来ても軽犯罪となれば無視である。だから交番の前でさえ、こっちが注意する始末。いや、先に警察官に説教が必要だ。それも無駄だと思うのは、命令でしか動けない連中、悪の根源は別のところにいるから。
多いことは多いので歩行者の信号無視じゃないかって思うかもしれないが、歩行者にしろ自転車にしろ、無法者って言いたくなる奴らも意外と信号は守るのだ。だったら歩道走るんじゃねーとか、ヘッドホンステレオで音楽聴きながら走るんじゃねぇー、だったら信号も無視しやがれって言いたくなる。単に、ほかは犯罪の自覚がないのと自分の身だけは守りたいと推定される。夜にライト付けないのは田舎者だから都会は明るいと勘違いして田舎の夜道と都会の夜道の違いを知らない。
歩きたばこ禁止にしたって路上喫煙を禁止にしなければ、副流煙(受動喫煙)は防止できないし、火の粉が飛んできて目に入るなど障害の原因も防げない。定めている歩きたばこ禁止条例は路上喫煙を禁止に改めなくてはならない。ヤク中の学者に限って肺がんリスクなんて低いなどと言うわけだが、そんなことより、排ガスがその瞬間から大迷惑だ。吸っていながらゴキブリ並みの生命力な奴は知らんがCOPDにさせられるかもしれない加害行為が法律で認められているほうがおかしい。
東京にて注意すると逆ギレしてくる統計は、中国人、韓国人、関西人だって書いたことがある(発音を元に判断)。中韓の場合は嘘の歴史教育から日本人に敵意を持ってるのが多いが自国にいても同族ですぐ揉めるような連中。昔からいて日本に順応している方々にとってそういう連中は迷惑なことだが、残念なことに区別がつけられない。
東京にいるとなかなか他人から注意されないし若年層はそもそも他人から怒られなくなったから余計に逆ギレしてくるのかもしれない。
最近テレビでは爆買いの特需が過ぎ去り、同時に発生していたが隠されていた中国人の悪行が取り上げられるが、奴らは場所も人目も気にせず集団で悪事を働くから目立つのである。昔からいればそこそこ日本のルールも知ってるわけだからその方々とは区別して考え、近代の在住者だと思うが江戸川だか荒川だかの下流で貝を採取して貝殻を捨ててゆく行為や河川敷に勝手に畑を作って自分勝手な言い訳を繰り返すのは、全く精神的に進化しない現在も続く4千年の侵略歴史のまま。
日本人だって勝手に河川敷に畑を作ってる奴はたくさんいるし、立入禁止の柵を越えて釣りをする奴はいる。注意すれば逆ギレしてくるクズは人目が少ない地方ほど多い。怪しげな逮捕がある一方で、それら現行犯は指導してゆくって逮捕者なしの意味がわからない。
既に腐ってしまった連中に対してテレビ番組に抑止力はなく、日本人に対しては罰金や豚箱より市中引き回しの刑、公表され、履歴に残るほうが抑止力が高い。個人情報には保護されるものと公表すべきものとがあるべきだ。自動車免許で違反すれば反則点と罰金があるが、運転者だけじゃなく日本で生活している人のすべてに反則点制度を適用すべきではなかろうか。
保険に等級があるように、それで税率なんて変えると、必然的に真っ当な人になるってことはないだろうか。格差を生む税の取り方よりよっぽど人間という評価において迷惑な奴から多く徴収してやったほうがよい。以前、確率的には正しいから「都市生活不適合者迷惑税」ってのを先祖代々の居住実績で決めたらどうだろうとしたが、個人ごとに評価してしまえば公平性が保たれる。
学校の校則のように抑圧されることによって統制が取れてきた歴史があり、戦後日本は急速に進化してきたのに世界の標準とか大間違いのことを言って堕落させたのが今の日本ではないだろうか。格差の激しい外国はまだ日本の良い部分を語るが、私から見ればそこは次々と堕ちている部分である。壮大な話につながっちゃうわけだが、このくらいのルールも守れねぇ奴らからロクな子が育つわけがない。反面教師になるのは天文学的確率の低さ。“年取った幼稚園児”は自覚させるところから始めよう。
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