2016-11-12 Sat
もはや必要悪では済まされない自動車、運転手という名の人殺し。高齢者の事件は連日のようにアクセルとブレーキを間違えたなど聞き飽きた言い訳。運転する能力がないのだから免許は返納しなくてはならない。1~2ヶ月で高齢者運転で死者を出したのは数件か、運転者数からして多いのか少ないのか? ヒヤヒヤ事件なら桁違いに発生していることでしょう。若年層であっても暴走や爆音音楽で耳をふさぐこと、運転しながらゲームなど意図的な事を原因とするものもあるが、明らかに能力が低下することがわかってる老人も含めて義務を怠っているのだから、それを過失だなんて頭おかしい法の解釈であり傷害・殺人事件である。交通事故というのは十分に避けられる過失においても信じがたいほど罪が軽い。中でも飲酒運転は確実に故意であるから危険運転なにがしじゃなく重犯罪者とすべきだ...
免許更新時に検査するではなく先に免許を老人全員から取り上げることから考えるべきでしょう。そこから新しい試験を通過したら許可すればよい。人を殺す恐れがあるからナイフを売るなってのと訳が違う。自動車運転にはとてつもない能力が必要なのだから。止められるのであれば年齢に関わらず更新1年で飛行機のパイロットみたいに厳しい検査にすべきでしょう。
昔より減ったとしても自動車は年間5千人も殺している。
こういうふうに表現しないと認識なんてしやしない。過去に事故のデータを見たことから真の事故は少数であると推測され、大部分は運転手の違反や犯罪行為によって引き起こされているものではないのか。
よって戦争がなくなった日本では最大の人殺しが自動車運転手である。ほかに事故があっても、そこまで死なせはしない。多くが事故と呼ぶべきものではないと感じ、過失と呼ぶにはあまりにも被害者が可哀想だ。スピード違反、飲酒運転と避けられることは過失じゃなく故意である。法律はイカレてる。
私が歩いてるだけで迷惑だと怒ってるように、都会において言うならば若年層とてエセ都会人では老人レベルの能力であるから年齢だけで区別するのは的確ではないが高齢は確実な能力低下がある。制限速度なんて関係なく路地で猛烈なスピードを出せる段階で下衆野郎だ。汚された都会で歩行者の信号機標語は「赤は道路から離れて道路見ながら待て、黄は渡るな、青は注意して渡れ」となってしまった。
本日も子連れなのに路上でタバコ吸って、子の近くにタバコがあるわけだ。その状態で信号待ちしてるのではなく、信号で立ち話をして往来妨害をしてた。そのほか数々の状況証拠から田舎者って都会ですら他人がいることが全く、全く見えてない。ドアが閉まりそうな電車でも自分だけ乗ったら安心して後ろは完全無視なのだ。そのように脳の活動能力がまるで違うことは注意散漫や加齢症状よりも恐ろしいことである。
一般的な検査であると物忘れと軽い痴呆は区別が付かないのではないか。脳の活動を調べて決定的に知ることはできないのだろうか? 脳の特定領域の反応を調べると完璧な嘘発見器を作れるようだが、痴呆症状はトンチンカンな反応を示すわけだから応対や筆記テストを通過してしまうようなところを科学的な方法で炙り出すことができないものか。直近で役に立たない研究に予算つけてる暇があったら真っ当な研究しろって思う。
マスコミは地方だと車がないと生活が成り立たないからなどと平然と言うのだが、そんなことは障害殺人の予備軍でいる理由にはならないんだよ。大衆による自動車の歴史なんて100年も経ってない。役所の支援も引っ越す自由もあるのです。生活がままならない 住んでいたいを理由にするのは単なる自己中。
免許発行する側も忘れてはいけないのが、「運転免許は許可であって権利ではない!」
田舎ほど車が必要だとか甘く見て免許を取り上げないのは事故を誘発、いや幇助してるも同然ではないか。免許を返納しない老人は、あと何人殺せばわかるのでしょうか。制度のほうでは、自動車免許は18歳以上、上限制限なし。ついでに権力者も上限の年齢制限なしは暴挙ですよ。
人命がかかっているのだから社会がもっと重たく考えるべきである。
もし、私の愛する人が殺されたら・・・痴呆老人だろうと関係ねえ地獄行きだ、法律なんてクソ喰らえって豹変するに違いない。日頃から道徳守れって言ってるが、相手次第じゃ話が違うってんだ。遺族の気持ちがわかるとは言えないが、このように想定はできる。
田舎は必要だからというマスコミ論調には嫌気が差す。
それには、こうもってして答えよう 人を殺す権利もあるのか!?
<追記 2016年11月14日:
記載後も3日間連続で高齢者運転による死傷事故の報道があった。これは社会として殺人事件に等しい。本日、判明しているだけで4件が発生しているという。中でも事故が大きい場所は隠れた運転手モラル最悪の地である茨城県である。厳重な検査をする気がないなら運転させない以外に避ける道はないでしょう。過去にどれだけの報道されてない高齢者運転事故が起きてるでしょうか?
私が学生時代に外国の自動車会社による素晴らしい運転教室が紹介されたことがある。そこでは運転免許学校では教えない現実を教える。だから凍結路面とか危機的な状況になったときの対処法を実体験することができ、デモンストレーションではスリップ路面でタイヤの向きと逆方向にくるくる回る演技ってのか技能を披露してた。そこはエンターテーメント性が強すぎるとしても、日本は何事においても教育機関および提供側は綺麗ごとしかやらないという大問題がある。
自動二輪(バイク)、自動車の前に免許のない自転車があるわけで、最近少し見かけるものの自転車の教習やスタントマンが危険を見せて心理的に植えつける手段は一般化されてない。教育がなされてないからポケモンGoやりながらチャリに乗ってるから注意すれば悪態をついてくる人間のクズが生まれるのではないだろうか。今もだが、これから来る老人のほうがもっと恐ろしい気がしてならない。なぜなら運動能力以前に老人になると痴呆症状によって道徳が崩壊し悪ガキに戻り、果ては究極の自己中と化すからである。責任の取れない人には自由は与えられないのがこの社会である。タブー視して避けるな。
マスコミの論調に嫌気が差すのだが、事故で死ねば被害者にはどうしようもないってことなのか加害者ことばかり。田舎だと必要、タクシーは使えないって、そんなの運転を正当化する理由になるわけないだろ。年齢差別はしないさ、暴走族も飲酒運転など交通前科付きに一生免許を与えるべきではない。だから、免許は権利ではない。
顔を見せないところで運転手は言いたい放題も見つかるが、免許取り上げることが非人道的なら、ひき殺すのは何だっていうんだ!頭おかしい。それでも運転させろってイカレた発言は被害者や遺族を目の前にして言って欲しいものだ。
>
<追記 2016年11月16日:
80歳の運転手によって未来を奪われた15歳少女の母親が法廷にて涙の訴え。求刑は、たったの禁固2年6ヶ月。過去には1年2ヶ月ってのもあった。凶器となる自動車の扱いが軽すぎるのである。罰は重くすればいいってもんじゃないと言う奴がいるが市中引き回しの上、打ち首獄門でも軽すぎる。
いままで報道されなかっただけでしょ。本日も高齢運転者による事故が複数起きたと報道された。
爺さん、婆さんよ、子を何人殺せば気が済むのですか? それでも運転は辞めないか。ヒヤっとしたことがあるならば脳が辞めることを判断できなくなる前に免許は返納しなさい。自動車を自分で運転する必要がないところへ引っ越す必要がある(市町村が支援すべき)。そんなの無理だと運転し続け人を殺すに至る権利を有すわけがねぇだろ。どこまで日本人って自己中心的になってしまったのでしょうか。
(河川敷違法建築、河川敷ゴルフ、立入禁止侵入魚釣りなど問題になってるよう自己中は高齢者症状)
アホなマスコミは高齢者を見捨てるのかなどと言う。運転させないことが見捨てることにはならない!だが運転させ続けることは死傷事故の確率はゼロではなく高い確率であるのだ! だからって自動運転って考えは間抜けである。自動車を使わないでよいところへ移住させるしかないのである。
人間社会において「自由」とは必ず責任を伴っている。責任のとれない人には自由は与えれない。無責任を日本語では「勝手」と言うのである。
別件も語れば、なにも高齢者だけではない。飲酒運転においては厳しくなる傾向であるが、まだまだで、特に日本は酔っ払うという自ら心身喪失する行為の罪の重さがわかってない。概念が狂ってて、酔っ払い(酒の席)だから仕方がないじゃなく、酔っ払うという故意の罪に加えて事件を起こせば重罪とするのが先進国です。身体的に酒に弱いのに酔っ払うまで飲むという日本の社会通念がとんでもないのだ。
なーにが、事故は起こそうとして起こすものではないだと 綺麗ごとを言うな某テレビ局。
避けられるものを避けないのは故意に起こすも同然だ! どれだけ加害者を守るのかこの国は!
>
<追記 2016年11月18日
記録のある過去10年(2014年まで)とそれ以前で65歳以上の事故が2倍になったと報道。
>
<追記 2016年11月21日
月曜までも高齢者運転が原因による事故が連日起きている。テレビを見てないのか、加齢病の自己中で人殺しも躊躇しなくなったのか、それとも認識もできないのか?まったく減る気配がない。東京のイナカモンなんぞは年齢関係なく存在自体が迷惑であることすら気づきもしないで生活してるから自覚がないのかもしれん。自覚症状がないのが最も恐ろしい。
>
<追記 2016年11月27日
解決策の考え方についての○と×
× アクセルとブレーキを間違え防止装置(臭いものに蓋をしただけで根本的解決をみない)
○ 自動運転(ただし現在のは使い物にならない。自動にできない一般道こそ歩行者の危機)
やはり、いままで報道されなかっただけと思える。強い報道がなされてから本日までも高齢者運転手の能力低下による事故、死者がなくなる気配がない。加齢症状が激しくなると、体が動きにくいくせに気が短くなってスピードを出したりする。アクセルとブレーキを間違えるようでは運転資格がない。頭が回らなくなるからで、ほかの要素を考えられなくなるからである。この状況は全運転手に対して防止するなら良いが、老人だからって装置で防げばよいって問題じゃない。そうなる人はもはや運転能力を失っているから逃してはいけないのである。根本的解決になってない。
自己中、気が短くなるでは歩行者として信号無視、道路横断などで事故に遭う側としても非常に多くなっているが、それを被害者など呼ぶのはおかしく、むしろ加害者である。酔っ払いや健常者の故意もだが、その場合に限っては歩行者と自動車の強弱関係は失われてるのに自動車が悪くされる。また上記のよう自動車運転手が一方的に悪くても、たいした罪に問われないのが道交法の処罰と交通裁判という一般とは異なるイカレた世界なのだ。
繰り返すが、自動車運転は許可であって権利じゃねぇんだよ!
事前に察知して逮捕する映画マイノリティーリポートではないが、既に危険行為を犯した飲酒運転経験者や能力がない殺人予備軍は免許を一生取り上げるべきである。なぜなら、日本にはそういう連中が自動車運転しなくても生きてゆける制度も社会構造もあるからで、いつまでも自分勝手を許しておくほど寛大である必要はない。それとも、毎年、何十、何百人が殺されますけど免許与えますか?って国民投票やろう。
若年から人間性の判断によって免許資格がないことを潰してゆけば、発生するのが本当の不慮の事故だけに近づけることができる。人間性の問題だと言うことは地域性ってのが証明してくれているじゃないか。一般的に買える自動車の歴史なんて100年ないのにこの有様だ。では100年前に田舎に住んでた人は?・・・ほら、今の老人がただ自己中なだけだろ!
当方ではバカ親やってクソガキってのを叩いてきたが、もっと前から原因があったのだ。
>
この記事に対するコメントの受付は終了しています。
コメント
先頭へ △