2016-03-09 Wed
第一に他人に迷惑をかけないという元来の日本人気質や東京五輪(1964)開催から浸透させた道徳によってベビーブームでも今ほどの自己中な不届き者の親なんていなかったはずだ。自分が生まれた頃は第二次ベビーブームってやつになるのか、そのあたり核家族化という言葉はあったと思うが東京で小学生になったとき50人が5クラスってほど子はたくさんいた。スネ夫のママみたいな教育ママゴンはいたが、モンスターペアレントやら逆訴訟で自殺原因と認定されたモンスターマザーなんていなかったと思う。逆ギレなんて言葉はなかったものの金属バット事件なんてのがあってから萎縮してしまって社会が子を育てないでワルガキを放置(無視)するようになったのが転落の始まり。そこから後に生まれてきたのが、今、ごちゃごちゃ能書きを垂れてる自己中な親であろう...マスコミが悪い方向へ助長させるし、全マスコミが同じほうを向いているのが恐ろしい。社会問題も扱ってることから黙っていられなくなった。本当に困ってる人を影に追いやって自己中な奴らの主張が通る世の中に虫唾が走る。
道徳心というか、正しい社会を形成する上での世の中の決まりごとってのは、そういう思想の奴らが増えて変わってよいものなのだろうか? 私は断じてそうだとは思わない。では、昭和の交通戦争とか言われた時代は年間1万人もの死者を出していたが、今は半減しているので制限速度を緩和しますとか言って良いわけがないだろ。変えちゃいけない概念はある。
論点をずらし、自己中な要求を今の社会やらマスゴミやらが助長させている。
この問題として毎度例に出すしかない自己中親の車内ベビーカー利用だが、過去には子も多くて今ほど家事を助ける家電もない大変な時代なのに、誰からも言われることなく電車内でベビーカーを広げてるようなことなく、不届き者を見たことがなかった。昔だからないじゃなく、ベビーカーはあったし、もっと昔なら乳母車と呼んでた。電車では、みんな折りたたんで乗っていたのを見てきた。ところが今はなんだ!
なにごとにも「東京、なめんじゃねー」って言いたくなる奴らばかりだ。
基礎となる道徳が違うのだから、そういう連中ばかりの社会だと落ちぶれたとの自覚症状がない! テレビで配慮してるだとか言い訳がましいのが多いが、行為自体が問題なのだと理解できないわけ。それって誰も見てなきゃ罪を犯しても良いという理論と同じですよ。ちょっと言い換えれば深夜だから信号無視してもいいとか。
それが「終わりの始まり」だった。
ガキをベビーカーに押し込んで、躊躇なく優先席に座ってスマホいじり。泣いても放置同然なのまで見かけるのは、たったの一人を見たから言うのではなく、ごろごろいる。核家族化によって子育てすらわからない連中のくせに態度だけはデカイ。こっちの世代なら赤ん坊が泣くのは仕事だってわかってるけど、最近起こってるトラブルってのは無能、無配慮な親の側にも責任があるからだ。
題材に「自己中」を含めたように、他人や社会より自分勝手を最優先にするようになってしまった。それは子を見れば一目瞭然で、以前よりとんでもなく失礼だとか場をわきまえないガキどもばかりになってしまった。
注意すれば、こっちを異常者扱いだよ イカレてるのはお前のほうだから注意したんだろ
自分が真っ当だと思ってる自覚症状がないのが怖い。
毎度のキーワードだが 「赤信号みんなで渡れば怖くない」 という恐るべき社会になってきているのである。歩いてるだけで迷惑だというのが理解できないよう、周りじゅうが同じ連中だから自覚することができない。それどころかまとまって訳のわからない主張をしてくる。まるで某国人を見るかのようだし、自国と違うって当たり前に文句言う来日外国人級の自己中ぶり。
そもそも、
不条理な言い分で自己中な要求を正当化
しまくってきたのを、政治家やマスゴミが人気取りで後押しするのがいけない。
子育てを舐めきってきたおかげが今のバカ親どもなのだから、元をただせば団塊の世代の子育てに原因がある。今、マスゴミがこぞって助長している問題は託児所(保育園)である。これを政治叩きに絡めて視聴率稼ぎができる格好の材料だった。社会がそんなこともわからない体たらくなわけだから、まんまと乗せられてデモ騒ぎまで発展。前から取り扱ってきた多くの原因は団塊の世代から移民の流れな 「都市生活不適合者」 に集約される。団塊Jr.=逆ギレする下衆の極み世代ではないかな。
違反してなければ建築許可なんて下りるんだから街づくりも相談せずに不動産業者が勝手にマンションを密集建設しておきながら幼稚園がないだの小学校がないだのって当たり前だろうが。買う前に未来を予測して調べる必要があり。急速な変化(再開発)で役所やら鉄道会社に文句は筋が通らない。勝手に都会に来ておきながら自分勝手な言い分な都市生活不適合者は理解できず傍若無人な某国民を見るようだ。いかに日本人として落ちぶれたか。
私は親戚に預けられた だからこそ子の立場で物申す
母親でも父親でも どーでもいいから 子をちゃんと、お前が育てやがれー!!
職業も続け、息抜きでもなく今まで通り遊びもする。そのどこに子供を育てる能力があるとでも。産んじゃいけない人でしょ。小さい子の虐待死とか餓死の事件を思い起こすが、大なり小なり子育てをなめきってる奴らばかりなら予想できる流れだ。
昔の寿命と今の寿命から年齢層を書いてゴムで伸ばして長さを合わせて比較した学者がいたが、そこから18歳選挙権なんて大笑いで、現実からしても大きな子が赤ん坊を産んで育ててる状況は疑いようがない。ガキも育てられないような奴が活躍とか言ってんじゃねーよ。ガキを真っ当に育てることが活躍だろうが、ボケ! それが主夫だっていいんだよ。差別とかもいうが主婦が主夫を白い目で見てんじゃねーよ。どここどいつが会社で仕事することが活躍だって言っただよ いってねーだろが
この程度の連中なら少子化上等、日本人消滅上等!
子は親を選べないし、子は文句を言えないんだ
結局、マスコミもどっちも親の立場でしか語ってない阿呆である。託児所(保育園)が少ない問題で分けて語らないといけないのは、母子家庭だとか貧困だとかで働く必要がある人と、いい暮らしがしたがために子育てより共働きしたいという自己中である。これが論点にならない。
少子化対策だからと政治頼りも自己中のうちであろう。大量に子供がいたときに問題にならなくて、子供が少なくなって問題になるのだ?普通なら逆だろ。高齢者は増えたが、劇的なほど構造は変わってない。変わったのは新しい世代の人間性のほうだ。そんな人たちを作った団塊の世代の方はと言えば老害に片足から全身まで突っ込んできている。
都合が良いときだけ子が必要で、都合が悪いとき子は邪魔・・・ペットじゃねーんだよ!
マスコミ取材によれば世間を騒がせることとなった原点も共働きであり貧困という言葉は出てない。マスゴミと言われるだけに、これを分けて論じた番組にいまのところ出会ってない。特に左向きな局ほど政治叩きでしかないわけだ。どっちにしろ利用されてる。
何かと視聴率が取りやすい論調ばかりに触れる。テレビ局の実働人員も同じような育ちだと考えると、もはや教育機関の欠片も残ってないようだ。個人なのか社会構造の維持なのか、はっきりしていただきたい。個人の言いたい放題になったらロクでもない外国と一緒じゃないか。日本の未来って何、大災害起きたら略奪と暴動かい。そういう終わりが始まっているんだよ。
母子家庭、貧困と本当に困っている人は表に出てこず、子のこと、子の立場で考えられない大人になりきらないまま親になって自分勝手な要求で騒いでいるというのが保育所入れない問題の真相ではなかろうか。そうでない自己中に自覚症状のない連中を擁護するマスコミはもはや機能を果たしてない。
腐敗政治vs.子育て資格のない親 どっちもどっちだ。
子が激減しているのに足りなくなってる理由も考えられないで、断片だけ拾って騒ぎ立てるマスコミは芸能も政治も基本的に変わりはない。それをもとに騒ぐなんぞ、実に世の中が自己中な親で溢れかえってるのかを証明している。
<追記 2016年3月12日
日本と海外の思想(外国人は基本自分勝手)の違いはあれどもフィフィが例によって的を射た投稿をしている。録音された事実の不適切シーンやらツイッターでの暴言投稿でネット炎上の前科を持つ例の精神科医だが、当事者でもないのに自分ごとかのように扱ってネット新聞連載という商売に読み取れた。私が批判しようが保育所入所に落ちた母親を救うような投稿をしているならともかく、フィフィが言うように便乗騒ぎでしかない。その本文を読んだが筋も通ってない。フィフィの言うとおり論点がズレていたわけ。この件を批判した週刊誌は、自分に子はいないと書いておきながら当事者ぶって政治批判するのではなく精神科医らしい精神面での意見の出し方をすべきだったと書いている。我々一般人と違って、ある筋の専門家を名乗って商売をしている人が、その程度だと世間も知っておくべきだと感じるやりとりであった。
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<追記 2016年3月17日
自らも子育て中の区議が批判したところブログが炎上したとの報道で確認してみた。その反応内容からしても「自己中に自覚症状のない連中」と指摘したのは正しいだろう。子のことではなく自分のことが優先されているから言えることとしか思えず、原因の元となった投稿者も共働きだ。「日本*ね」とか言わなくても、そういうお前らによって日本は消滅に向かうあろう。区議は生活に困ってないから言えるとか出てるが、文句を言ってる連中だって大部分が生活に困ってない連中と考えられる。
あいつの失態は、論じてひねり潰しているわけではなく便所の落書きと書いたことにある。それで全てが消えた。もし書くならば何か言ってきたらねじ伏せてやるくらい想定問答集を考えておくことだ。嫌われるかもしれないが、負けはしない。
結局、母子家庭、貧困家庭など本当に問題を抱えている人たちは自己中どもの影に隠れてしまったし、子育てより自分のことな現在のバカ親を指摘するマスコミがいないのが残念である。それで数々の社会生活における自己中心的な不道徳行動までもが正当化されてきたわけ。私からしたら呆れる行為をマトモだと思ってるのだから自己中だと自覚できる訳がない。そんな連中と向き合ってるのだ。
マスコミは何の問題にせよ議論の余地なく先に誰かを叩いて話題をさらう=視聴率、購読者を得る戦法。だから別件でもお約束なのが、一度突き落としてから2~3日すると真逆の擁護する報道が始まるのだが、例えば犯人扱いしたりと間違ったときの報道被害で名誉は回復されないのである。稀に悪に制裁を加えるのもガス抜き程度にしか感じない。社会的制裁という権力を持ったマスコミのやり口は何も変わってない恐ろしいものだ。
報道によれば某芸能人が「リアルゲス」と呼んだようだが、あの有名な不倫事件からしても「お前はガキか?」って言いたくなるほど理解してないし、結婚できるような精神年齢に達してるとは到底思えない。要するに自分の立場と世間との関係に理解も自覚もしてない おこちゃま なのである。車内ベビーカー、自転車二人乗り三人乗りのよう、そんな連中が集まって大声を張り上げ、自己中が正当化される世の中であって良いのだろうか? 恐ろしいのが自己中に自覚症状がないことである。
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<追記 2016年4月3日 TBS 「噂の!東京マガジン」 待機児童問題
これを見ても本質的に意見が変わることはない。なぜなら子の立場で語られることは全くなかったからである。近代の親の自己中度合いが増していることがわかり、全体的な子育て責任の水準が下がりまくっていることに問題が見えた(周りがそれだから自己中に自覚できない)。ようするに以前の親であるならば、そんな自分勝手な言い草はしないで子を育てたであろうということだ。子育てをなめきった親ばかりとなったがゆえの問題である。
役所の点数制度においても問題がありすぎた。母子家庭や貧困層の優先度があまりにも低すぎる。さらに書類上、母子家庭を偽造するやつの登場なんぞ、指摘どおり人間失格である。企業側がどうしても必要な人材ならば自前の託児所または類する方法を用意するのが筋といえる。可能なほどの企業であってもかなりそれを怠ってはいないか。
東京(都会)も知らない職員やマスコミ連中が車内でベビーカーを使わせろに同調してからマスコミも自己中水準まで落ちたのだと認識された。本物の都会人に教えを請う前に都市生活不適合者に攻め込まれて自分勝手を繰り返され、それが普通だと思われるようになってしまったのが東京近郊。団地、マンション、新興住宅地とやらがそうした都市生活不適合者を増長させてしまったわけだ。従来ならば、街の中にポツポツと新しい住居などできて周辺から教育される状況にあったのだが集合住宅ではそれができなかった。
巣立つと違った意味で日本の核家族化は大間違いだった。そうした中で育った今の親たちが、なにかとブツブツと自覚症状なき自己中なことをほざいている連中なのである。テレビも役所をつつくのではなく、世間の風潮がイカレたなら、それを叱りつけたらどうなのか!視聴率絶対主義がある以上は無理だろうがね。いつまでも阿呆を育てればいいさ。親への教育と子育ては社会全体に関係する。学歴のあるガキどもすら人間性は失墜し、そいつらに餌食にされる日がきっとくる。そのときに後悔しても遅いぞ。
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