2021-10-26 Tue
『無秩序は常に増大し続けるしかない …外的な要因を加えない限り』フジテレビ「めざまし8」の天気予報のコーナーで傘の持ち方というのをやっていたが、それを教えなければならないのも大勢の他人で構成される社会というものを知らぬ地方症(究極の自己中)が台頭してきたからである。
昔から「殺す気か!」って思ってきた訳で、特に恐ろしい「頭のご不自由な方々」がやらかすのが、傘をさして自転車を運転したり、たたんだ傘を槍のように積載して走行する犯罪行為。
他人の存在を全く理解してない証拠。
傘の持ち方なんて氷山の一角でしかなく、私が「道の歩き方も知らねぇ奴ら」と怒ってきたように、祖先に渡ってまで親たちが理解してないのだから子に教育できるはずがない。
高学歴な人や先生方々が偉そうに言うのだが、田舎が子育て環境に良いのは「自然環境」だけです。人間関係や生活上の観点から最低最悪の「教育環境」である。人間社会で真っ当に生活できるよう教育されてないのが都会という大勢がいる社会に出てきて迷惑なんて言葉では済まされない気違い沙汰を平然と犯してきた。
中途半端な都市が不良どもを最も増殖させ、そいつらが大都会に攻め込み、更なるモンスターチルドレンを世の中に放ってる。親が既にモンスターだから大都市へクズを送り込んできて、迷惑○○って報道されても止まらない。
そんな悪い例が、自己中な理由で不登校なら親は叱りつけるのは普通の教育なのに、とんでもない主張を繰り返すバカ親。そんな異常者が増え、モンスターチルドレンに登校されたほうが迷惑な事態。本来ならは社会的な更生が働くはずなのだが、地方症=究極の自己中には作用しない。
人の流れが増え2019年以前に戻ったかのようチャリカス軍団が幅を利かせてる。テレビでは厳罰化されても後を絶たない「あおり運転」とか異常者が報道されるが、ガキから乗れる自転車による「犯罪」は「自己中」育ちを映し出している鏡であるのに長年と社会的に放置されてきたことが「あおり運転」を悪例とする死傷者を出すことに繋がってる。
エントロピー増大の法則。地方症と名付けた自覚症状なき究極の自己中に育てられ落ちぶれた奴らは、残念ながら「愛」では正せない。ケンシロウじゃなくラオウが必要。幼少期から正しい社会教育ができない親たちが諸悪の根源。だから頭おかしい奴らは老若男女に関係ない。
「大勢の他人との関わり合いがない場所ほど人間関係の不出来な人間を作り出す」
そう育ってしまった奴は大勢の場に出てきても自己中を推し進めることしかできない。
本日は、テレビ朝日から、フジテレビ、TBSと渡って同じスケボーの阿呆どもを取り扱う。渋谷、原宿のみならず、地方都市で繰り返されるスケートボードをやってるクズどもが取り扱われたが、他人(ひと)の迷惑省みないのは地方症の頭のご不自由な方しかやらない。格好良いじゃなくダサイ。
道路があっても暴走族なる犯罪集団がいるようにスケートボード場が足りないは関係がない。既に人間として腐ってる奴らがしでかすのだから。「類は友を呼ぶ」「馬鹿は死ななきゃ治らない」
暴走族の今の形、迷惑をかけるどころか罪を犯してまでも振り向いて欲しいという哀れな害獣と化す。群れたくて仕方がないのであり、都会に寂しさを感じるのは遺伝的に人間関係を構築したことがないからであろう。それで迷惑事から犯罪まで数々の事件を起こす。
再びエントロピー増大の法則。割れたガラスを元に戻すことができないように、他人の存在を理解できない無秩序に育てられ成人した子は二度と幼少期から教育をやり直すことはできない。
「親ガチャ」ねぇ、だからってクズで有り続けていいなんて道理は ねぇーんだよ!
産むほうは金持ちと後先考えないヤンキーに二極分化したと見える。別々の意味でモンスターチルドレンを大量に生み出す層である。いくら少子化だからってクソガキども、そんな言い方では済まされない犯罪集団を保護する必要など、どこにあるのか?まずは自覚症状がない大人の阿呆どもの自己中、クソ思想から始末せよ!
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