2023-03-16 Thu
初回放送2014年5月19日 BS-TBS 吉田類の酒場放浪記 #603新小岩「おばこ」テレビのネタのついでと、この前に立石に行ったから調べようと思ったらアルコールお断りの私が録画しているはずもなく資料がなかったため3月14日再放送された回を録画してみた。
幼少期に住んでいたのは南側(江戸川区)だが土地勘はあるため番組に登場した金魚屋(金魚の吉田)は北側(四つ木・立石方向)。春巻き屋が紹介され新小岩1-2-3と書いてあったが、どうみても東新小岩1丁目のココ(Googleストリートビュー)でしょ。東西南北が抜けるパターンと小岩と新小岩を間違えるのが多そう。
9年間で何度再放送したか知りませんけど誤植のままですが、その疑問に戸惑ったのも画面に表示された住所は荒川近くの住宅だが、近くに住宅街だってのに洋菓子店があるから。
移転が反映されたと考えたのも隣の「牛や」も移転したみたいだから。春巻き屋はBS-TBSのページから削除されてるが、ここに移転してるよ(新小岩1-37-6 東京はるまき新小岩本店)。元の東新小岩1-2-3(Googleストリートビュー)は見てのとおろボロ屋で取り壊しになるから移転したようです…経営者が書いてるブログを見つけた。
潰れたのは「ほっかほっか亭」で「魚丼(うおどん」なる店になってる(Googleストリートの過去の記録にて)。「魚丼」って「丼丸」のビジネスモデルを真似したとしか見えない。丼丸新小岩北口店の北口商店街にあるじゃん[Googleストリートビュー]
「丼丸」は建設中の東京スカイツリー撮影帰りによく立ち寄ってた(笹舟丼丸 押上店)だがフランチャイズを仕切る本社は四つ木だった。あの頃はそこしか知らなかったが、フランチャイズが大成功したようだ。
題材にした番組だが入った酒場は江戸川区松島。地名で言えば新小岩じゃないっても新小岩駅の利用者半分は江戸川区民ってほど葛飾区の端っこ。東京だとよく使われ地名が違っても電車の駅を中心領域として捉えられ駅名で語られる。だから地図を見ると江戸川区松島でも新小岩って名称が多い。
葛飾区って外枠のほうが栄えてる。立石のところで書いたが京成電鉄のみならず大々的に誰も再開発する気になれない場所なんでしょうが、JR線が走ってる外側において新小岩の再開発は遅すぎたのではないか。周辺人口を考え、亀戸も平井も小岩にも止まらない快速が止まる乗降客数の多い駅だってのに千葉の田舎でも建て替えられてた駅舎は最近までボロ駅のままだった。今もハリボテで構造的に変わってないから大雨で水没するんだ。
駅ビルもないって書こうとして調べたらやっと建設中にまでなったが中身は想像する駅ビルじゃなかった。たぶん商店街の反対が恐ろしく強いのだと思う。幼少期の話だけど北東に大きな商業施設って話を聞いたことがあるが実現しておらず運動場になってる。ことごとく計画を潰す奴がいたのなら本当に住みやすい街3位とか意味わかんねぇ。
南はともかく北にはデカイ店があったほうがいいでしょ。江戸川区を見ても場所がないのに新小岩駅から数百メートルに新小岩公園(元は大同特殊鋼の工場)ってのと私学事業団総合運動場(元は貨物列車の車両基地)。
新小岩なのに平井工場ってのが大昔からあったと思わせたが1938年にできたとあり、それは昭和13年だ。新小岩駅ができたのは1928年(昭和3年)であり、荒川放水路が完成したのも1928年のため工場を作ったときは既に平井とは分かれてたし小松菜発祥の小松という地名だったから平井と何の関係があるの?
このあたり調べて行くと「新小岩公園再整備事業(高台整備)」なんてのが見つかり反対活動も見つかった。当たり前だ。たかが100メートル四方を高台にしてどうしろってんだ。真横は荒川だぜ。そこで決壊したら6メートルなんて意味なく、他所からでも誰がそこへ辿り着けるのか?
死んだ曽祖父は新小岩駅から家まで泳いだと言ってたのを思いだした。一帯水没してるから2階(昭和22年)。都落ちの戦争疎開地だったんだから当時は田舎。今になってみれば聞きたいことあったが良く聞いた当時は幼稚園児だから記憶は一部だろうし晩年は多くの老人と同じで頭のほうに問題が来てたから。
今はどこもビルだらけだから、そこらのビルに逃げたほうがいい。そんなところの高台を使える人はほとんどいないし、事前ならば江東区が言ってるように周辺に逃げろと言うべき。作るなら強固な地盤に鉄骨でヘリポートと船着き場でも作れ。これだから東京を知りもしない奴が考えるなと。スーパー堤防なら立ち退かせて外側じゃなく内側に作れば良い。
例によって細かいことが気になってしまう「良い癖」であった。
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移転が反映されたと考えたのも隣の「牛や」も移転したみたいだから。春巻き屋はBS-TBSのページから削除されてるが、ここに移転してるよ(新小岩1-37-6 東京はるまき新小岩本店)。元の東新小岩1-2-3(Googleストリートビュー)は見てのとおろボロ屋で取り壊しになるから移転したようです…経営者が書いてるブログを見つけた。
潰れたのは「ほっかほっか亭」で「魚丼(うおどん」なる店になってる(Googleストリートの過去の記録にて)。「魚丼」って「丼丸」のビジネスモデルを真似したとしか見えない。丼丸新小岩北口店の北口商店街にあるじゃん[Googleストリートビュー]
「丼丸」は建設中の東京スカイツリー撮影帰りによく立ち寄ってた(笹舟丼丸 押上店)だがフランチャイズを仕切る本社は四つ木だった。あの頃はそこしか知らなかったが、フランチャイズが大成功したようだ。
題材にした番組だが入った酒場は江戸川区松島。地名で言えば新小岩じゃないっても新小岩駅の利用者半分は江戸川区民ってほど葛飾区の端っこ。東京だとよく使われ地名が違っても電車の駅を中心領域として捉えられ駅名で語られる。だから地図を見ると江戸川区松島でも新小岩って名称が多い。
葛飾区って外枠のほうが栄えてる。立石のところで書いたが京成電鉄のみならず大々的に誰も再開発する気になれない場所なんでしょうが、JR線が走ってる外側において新小岩の再開発は遅すぎたのではないか。周辺人口を考え、亀戸も平井も小岩にも止まらない快速が止まる乗降客数の多い駅だってのに千葉の田舎でも建て替えられてた駅舎は最近までボロ駅のままだった。今もハリボテで構造的に変わってないから大雨で水没するんだ。
駅ビルもないって書こうとして調べたらやっと建設中にまでなったが中身は想像する駅ビルじゃなかった。たぶん商店街の反対が恐ろしく強いのだと思う。幼少期の話だけど北東に大きな商業施設って話を聞いたことがあるが実現しておらず運動場になってる。ことごとく計画を潰す奴がいたのなら本当に住みやすい街3位とか意味わかんねぇ。
南はともかく北にはデカイ店があったほうがいいでしょ。江戸川区を見ても場所がないのに新小岩駅から数百メートルに新小岩公園(元は大同特殊鋼の工場)ってのと私学事業団総合運動場(元は貨物列車の車両基地)。
新小岩なのに平井工場ってのが大昔からあったと思わせたが1938年にできたとあり、それは昭和13年だ。新小岩駅ができたのは1928年(昭和3年)であり、荒川放水路が完成したのも1928年のため工場を作ったときは既に平井とは分かれてたし小松菜発祥の小松という地名だったから平井と何の関係があるの?
このあたり調べて行くと「新小岩公園再整備事業(高台整備)」なんてのが見つかり反対活動も見つかった。当たり前だ。たかが100メートル四方を高台にしてどうしろってんだ。真横は荒川だぜ。そこで決壊したら6メートルなんて意味なく、他所からでも誰がそこへ辿り着けるのか?
死んだ曽祖父は新小岩駅から家まで泳いだと言ってたのを思いだした。一帯水没してるから2階(昭和22年)。都落ちの戦争疎開地だったんだから当時は田舎。今になってみれば聞きたいことあったが良く聞いた当時は幼稚園児だから記憶は一部だろうし晩年は多くの老人と同じで頭のほうに問題が来てたから。
今はどこもビルだらけだから、そこらのビルに逃げたほうがいい。そんなところの高台を使える人はほとんどいないし、事前ならば江東区が言ってるように周辺に逃げろと言うべき。作るなら強固な地盤に鉄骨でヘリポートと船着き場でも作れ。これだから東京を知りもしない奴が考えるなと。スーパー堤防なら立ち退かせて外側じゃなく内側に作れば良い。
例によって細かいことが気になってしまう「良い癖」であった。
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| emisaki | 2023-03-16 Thu 12:55 | 大衆媒体::テレビ全般 |
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