2023-04-06 Thu
2023年4月5日テレビ朝日「スーパーJチャンネル」、2023年4月6日フジテレビ「イット!」等より根底から社会道徳を知らぬ過疎地は他人の真似をするのは正当行為だと思ってる。だから大勢が集まる都市部で不道徳が連鎖的に起きる。過疎地では何をしても被害者に出くわす確率が低く不道徳どころか犯罪すら見つからずに育ってしまう。
社会が形成されてないのだから他人のことなんて考えられない残念な子しか育たない。
こうして法律を守らない奴らは、とっくのとうに作り上げられていた。既にいた劣等種を表面化させたのは東名高速道路の追い越し車線上で強制停車させ家族を死に至らしめた事件、常磐自動車道での殴打事件なる凶悪事件など。
それを発端にドライブレコーダーの搭載が激増し、更に多くの事件が露呈した。
マスメディアがマスゴミを呼ばれるゆえんだが、幹線道路を違法横断して車に引かれて死んだ大迷惑を批判せず過去の栄光を祭り上げたコントグループの一員の自業自得な死。
幹線道路である蔵前橋通り(東京都江東区亀戸)での違法横断が取り上げられたが、続いて各所で発生してることが伝えらてきた。今回、交通事故が報道されたのは、北海道札幌市中央区南1条西 札幌パルコの南西。
→ 北海道札幌市[Googleストリートビュー]
交通事故が伝えられた札幌パルコの横、Googleストリートビューでは、
・2021年5月は女性が横断中
・2019年5月には佐川急便が台車を押して横断しようとしてる
・2016年8月は高齢夫婦が横断しようとしてる
・2015年6月は男と自転車が横断しようとしている
・2014年8月は自転車が横断中
・2010年8月も歩行者が横断中
瞬間を捉えただけでもこの有様ってことは常態化しているわけだ。報じられた事故映像からやってる連中を見ても老若男女に関係がないと言える。
その道路、南北の横断歩道まで、たったの40~50メートルしかない。横断してはいけないにしても高齢者が言うならまだわかるが、健常者なら単なる自己中。
世界が羨む日本も、そうしたクソガキを育て続け、更にモンスターチルドレンを生みだしてきた。
江戸っ子の子孫として継承された遺伝子が叫ぶのだが「せっかち」と「自己中」は全く違う。社会性を考えることができるから合法的かつ道徳的に最短の道を探すが、歴史的に集団生活能力を有してない大多数は自分勝手でしかない。
同様に「自由」と「勝手」も意味が大きく違うことが解ってない。
悪くないかと自問自答する能力もない連中がすることだが、小便が大便を臭いと言ったり、大便が小便を臭いと言ったりすること。どっちも臭いだろってことが解っておらず自己を正当化する。
集団生活能力が無い迷惑者の証拠として、昨今、新型コロナウイルスが下火になってきてマスクを外せる場所の判断に周囲の人を見る=真似をするって言ってる奴ら。だから不正も真似をする。
何が悪いが全くわかってないってことは教育が間違っていたと言える。親からして集団生活能力が無い自己中なんだから子供を真っ当な社会人として育てられるはずがない。
現代は子が罪を犯したとき社会から制裁を受けることがあっても、もはや失われてしまったのが世間様に顔向けできないと思う親である。逆説的に考えれば、そう考えられる親からクソガキが誕生することは少ない。大多数は親からして腐ってるのである。自覚症状がないだけ。
「自家用車に溺れた田舎は都会より歩きたがらない」
過去に現実の体験から出した結論だが、更に状況証拠を上積みしてくれたのがテレビ番組「秘密のケンミンSHOW」で300m離れた店に車で行く人を扱った。
そうして無謀運転や高齢者になっても免許を手放さない自己中に育った連中が言い放っているのが「自動車がなければ生活できない」。愚か者には「自動車がなければ生活できないなら、とっくに人類は滅びてるぜ」と言い返してやる。単なる自己中なのが理解できないのだ。
さて、先日に起きた無謀横断による自業自得事故だが、俗に言うチャリカスが左右確認もせず札幌駅前から すすきの に続くメインストリートを横切ったため走ってきた自動車と衝突した。
規模は小さいが2022年11月、住宅街の道路にて私の目の前で起きた件と似ており、建物や車で隠れたとしても交差点の手前では視認できる空間があるにも関わらず減速もせず道路を横断するから自動車と衝突する。
他に出回ってる事故映像からも共通点は私が過去から使ってきた言葉と一致する
『目で大勢が見えていても脳内では自分しかいない』
個々が御山の大将だから厳罰化しても「あおり運転」がとまらない。
良いのは自然環境だけで人間環境(社会環境)が最悪な地域で育った子孫は天高く積み上がってる状況証拠から信じがたいほど他人というものを理解できないのだ。
「事故が起きないのが偶然であって、事故が起きるのは必然」
なぜ、こうした頭のご不自由な方々が存在するのか考える気があるのか問いたいが、日本中で発生しているように「考えることができない」とするのが正しい。ですから役所も警察も理解しない。
報道される映像に見る行為、マジで気違いにしか見えないんですよ。
歩道橋という歩行者を安全にして交通を円滑に進める「都会のシステム」も理解できない連中が「バリアフリー」なんて言い出して多数の歩道橋を撤去させ歩行者を危険に晒したのは大罪。
集団生活能力を遺伝子レベルで有してない自己中が社会を崩壊させる。いつになったら解るのか!?
交通違反、交通モラルの低下問題は誰にも関係があることだから述べる権利がある。
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・2021年5月は女性が横断中
・2019年5月には佐川急便が台車を押して横断しようとしてる
・2016年8月は高齢夫婦が横断しようとしてる
・2015年6月は男と自転車が横断しようとしている
・2014年8月は自転車が横断中
・2010年8月も歩行者が横断中
瞬間を捉えただけでもこの有様ってことは常態化しているわけだ。報じられた事故映像からやってる連中を見ても老若男女に関係がないと言える。
その道路、南北の横断歩道まで、たったの40~50メートルしかない。横断してはいけないにしても高齢者が言うならまだわかるが、健常者なら単なる自己中。
世界が羨む日本も、そうしたクソガキを育て続け、更にモンスターチルドレンを生みだしてきた。
江戸っ子の子孫として継承された遺伝子が叫ぶのだが「せっかち」と「自己中」は全く違う。社会性を考えることができるから合法的かつ道徳的に最短の道を探すが、歴史的に集団生活能力を有してない大多数は自分勝手でしかない。
同様に「自由」と「勝手」も意味が大きく違うことが解ってない。
悪くないかと自問自答する能力もない連中がすることだが、小便が大便を臭いと言ったり、大便が小便を臭いと言ったりすること。どっちも臭いだろってことが解っておらず自己を正当化する。
集団生活能力が無い迷惑者の証拠として、昨今、新型コロナウイルスが下火になってきてマスクを外せる場所の判断に周囲の人を見る=真似をするって言ってる奴ら。だから不正も真似をする。
何が悪いが全くわかってないってことは教育が間違っていたと言える。親からして集団生活能力が無い自己中なんだから子供を真っ当な社会人として育てられるはずがない。
現代は子が罪を犯したとき社会から制裁を受けることがあっても、もはや失われてしまったのが世間様に顔向けできないと思う親である。逆説的に考えれば、そう考えられる親からクソガキが誕生することは少ない。大多数は親からして腐ってるのである。自覚症状がないだけ。
「自家用車に溺れた田舎は都会より歩きたがらない」
過去に現実の体験から出した結論だが、更に状況証拠を上積みしてくれたのがテレビ番組「秘密のケンミンSHOW」で300m離れた店に車で行く人を扱った。
そうして無謀運転や高齢者になっても免許を手放さない自己中に育った連中が言い放っているのが「自動車がなければ生活できない」。愚か者には「自動車がなければ生活できないなら、とっくに人類は滅びてるぜ」と言い返してやる。単なる自己中なのが理解できないのだ。
さて、先日に起きた無謀横断による自業自得事故だが、俗に言うチャリカスが左右確認もせず札幌駅前から すすきの に続くメインストリートを横切ったため走ってきた自動車と衝突した。
規模は小さいが2022年11月、住宅街の道路にて私の目の前で起きた件と似ており、建物や車で隠れたとしても交差点の手前では視認できる空間があるにも関わらず減速もせず道路を横断するから自動車と衝突する。
他に出回ってる事故映像からも共通点は私が過去から使ってきた言葉と一致する
『目で大勢が見えていても脳内では自分しかいない』
個々が御山の大将だから厳罰化しても「あおり運転」がとまらない。
良いのは自然環境だけで人間環境(社会環境)が最悪な地域で育った子孫は天高く積み上がってる状況証拠から信じがたいほど他人というものを理解できないのだ。
「事故が起きないのが偶然であって、事故が起きるのは必然」
なぜ、こうした頭のご不自由な方々が存在するのか考える気があるのか問いたいが、日本中で発生しているように「考えることができない」とするのが正しい。ですから役所も警察も理解しない。
報道される映像に見る行為、マジで気違いにしか見えないんですよ。
歩道橋という歩行者を安全にして交通を円滑に進める「都会のシステム」も理解できない連中が「バリアフリー」なんて言い出して多数の歩道橋を撤去させ歩行者を危険に晒したのは大罪。
集団生活能力を遺伝子レベルで有してない自己中が社会を崩壊させる。いつになったら解るのか!?
交通違反、交通モラルの低下問題は誰にも関係があることだから述べる権利がある。
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