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回想から考察 小さい頃に旅行に連れ回されてたこと思い出してみた
 統廃合に低金利で今や銀行員がエリートではなくなってしまったっが私が小さい頃は手厚い福利厚生があったと思う。熱海はうちの親の関係だが、小学生まで親戚に預けられていたとき、そこの娘(私から見て十数歳上)が日本橋三越の隣の三井信託銀行(当時)に勤めていたため箱根の宮城野、神戸の六甲山の保養所に何度も行ってた。

 連れ回されてたときと成人になってから単独で旅するようになって宿が主体か、見て回ることが主体かが決定的に違った。過去には二泊三日が多く、二日目が観光で前後は移動が主体だった。

 ゴールデンウィークに弘前に連れて行かれたのは記憶にないくらいの年齢で駄々こねたらしい。東北新幹線は盛岡までで、そこから時間がかかりすぎたと思ったら東京から自家用車で行ったらしい。ならば当然に時間がかかる。そして年齢的に城も桜も興味がない。小さい頃ってそれなんだが何か社会勉強として意味があると思うが子供として観光地には全く興味がない。

そうして再訪すると昇仙峡のときみたいに来たことがあると思い出すかも。

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 後になって考えれば旅行は高齢者を伴っていることが多いため移動すら疲れる。そこは高齢者にならずとも今になって理解できたよ。旅費がもったいないと詰め込むから疲れる。

 コロナ禍で危険回避から行動を抑制したため体力を失ったから、ワクチン接種会場や税務署まで3~4km歩いただけでヘトヘトになった。今は無茶できない。

 以前ならテレビ見ながら「6km、そんなの1時間だろ」とかつぶやいてたんだが、今はリハビリが必要。以前に脚を怪我したときを思い出し、筋力が低下して動かないと負の相乗効果で余計に歩けなくなる。それが高齢者に起きる現象で疲れたり痛いで動かない→余計に動けなくなる。

 今の状態なら伊豆山神社の837段どころか、愛宕神社の出世階段がいいところ。大門坂から那智大社に向かったら途中で倒れるに違いない。



 今も昔も客のことが解ってない観光業界があればタナボタで残ってるだけだろう。マスコミ業界みたいなもんでブラック企業でも次から次へと憧れる奴がいる。そうすると問題点に気づけない。

 一人で行動できるようになってからでも、30代も後半に入れば翌日の仕事に支障が出る。旅先から新幹線通勤?なんて無茶はできない。以前に書いたよう休息日を入れて予定を組む。

 それだから日曜日の夜に花火大会とかバカヤローって言ってたわけ。月曜が休みなら別だが、学生の夏休みじゃないだから無理だろって。

 まだ高齢者には程遠いから休息日の前なら、とんでもない予定を考えてしまう。しかしながら以前に新宮でやったような駅に23:13着で、翌日にバスの発車時刻が05:53なんてホテル入っても寝てる時間もないよう誰もついて来られない予定どころか自分でも辛いのはもう無理。

 疑問が生まれるのだが、小さい頃に私を連れ回したのは収入がない高齢者だった。そういうことは毎日休日も同然なわけで移動日として泊まるだけの必要もないと考えてしまうのだが、旅しても動けないほどになってしまうということか?



福利厚生、恐るべし。

 そうした贅沢に見える旅行ができたのも家族に適用された福利厚生で企業が運営する保養所にて費用が劇的に安かったからだと思う。それくらいで金持ちとは無縁。関東大震災、第二次世界大戦で都落ちして何もかも失ってる家系だから残ったのは江戸っ子のプライドだけで貧乏だった。

 旅館で二食付き一泊は安くて1万何千円だが、小さい頃に小耳に挟んでいた保養所だと負担額が2千円台だから2~3泊して何の問題もなかったわけだ。年齢的に関係ないと思っていたがバブル経済の恩恵を受けていたんだな。

そんなバブル経済も崩壊してから多くの企業が経費のかかる保養所を廃止。



想い出を探すも…

 誰か当時の事を書いている人がいないかネット検索してみたが欠片さえ見つからなかった。存在していた当時に利用したであろう人達の年齢を考えると今は後期高齢者か既にお亡くなりになってる年齢かもしれない。そうなるとネットに書くこともないか。

 公務員の保養所だった熱海の施設の事を書いてあるのが見つかったのは廃止が平成13年(2001年)だったからでバブル崩壊時期に閉鎖されてると古すぎ。小さな子じゃなく、当時に中高学生くらいだった人が写真を撮っていて載せてくれないことには無理か。当然、バブル崩壊が理由だろうが何か経緯でも知ることができたらと思った。

 各方面に新幹線は伸びたにせよ旅の方法は大きく変わってないと思う。年代と資金が左右している。個人差だと思うが体力がある若い頃でお金がなくても青春18きっぷで延々と旅するとか長距離夜行バスを使う考えにはならなかった。旅先で使う体力を奪われるくらいなら旅行自体が無しって考えだったから。そのくせ今でも無茶な予定を考えてしまう。このあたりも世間的に年代別にどのような考えを持っているのか知りたいところ。

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| emisaki | 2023-04-17 Mon 20:21 | 旅・散策::考察・批評 |