2013-11-13 Wed
私は身長が高いため雑踏の中で子供が見えないことがよくあり、一歩後ろに下がって尻相撲みたいな状態で子供を倒してゾッとしたことがあるが、幸いコケただけで何ら怪我もなく泣かれもせずホッとした。その場で頭をぶつけなくても地面に頭をぶつけられたらと考えただけでも怖い。それから後ろというか下に注意するようになったが、いまどきの親は自分のことが先で子を放置するから注意しても恐ろしいのが現代。先日、バリィさんの後ろから触るなのようなことが言われてたが、何かあったからかもしれない。なぜなら以前は尻尾(鳥だから尻羽か)がふわふわで触ったらどうのと言ってたよ!? 皮が柔らかいとしても、あの巨体では小さい子は吹っ飛ばされるから後ろは危ないとしてるのかもしれない...
「人混みで金属カメラケース持ち歩いている奴は空気読めないどころじゃなく危険人物だ!」
と、今年始めに記述したのも上記の危険理由によるもので、直接的に人間・ゆるキャラにぶつけられるのとは危険度が違う。カラの時点から硬くて重たいのに機材が入って肩掛けで加速が付いた状態、もしくは歩行中、走ってたら最悪、そこから子供の頭に激突してしまったら両者の人生が終わるでしょう。
金属カメラケースが一般市場から消えたのは、もう昔のことだから理由を知らなくても使われなくなってる。なのに現時点で使ってる層がいるのが不思議だ。お立ち台としてチビには重宝されるだろうが、危険な問題だからお立ち台が必要なら別に考えるべき。不思議なのは使うも使わぬも大多数が理由を知らないくせに使ってるのがマスコミを騒がせるとか、世間的に迷惑かけてる自己中心的な層に多いのはなぜだろうか?
昔は主流だったから私も少年時代に小さいのを持っていたが、のちに保管庫や車での輸送用となった。当初は理由に辿り着いてなかったため、単に重たいとかいう理由だけで大口径レンズ(サンニッパ)すら付属の金属ケースで運んだことが一度もなかった。危険な理由に辿り着くまでは知らずして加害者となる可能性を下げていたにすぎない。それに私は江戸っ子なので「人混み」ってやつが遺伝子に染みており荷物を持ったら自分が拡張したとして動けるようになる。それでも多くの要因から全ての危険を避けられないから注意喚起してるので、人混みをおわかりでない方々はこのように思いつく能力すらないのでから桁違いに注意をしなくてはいけない。
余談だがヘッドホンで音楽聴きながらとかスマホ画面見ながら歩くなんて恐ろしい行為は真っ当な都会人には怖くてできません。過去より培われてきた経験をもとに脳みそフル回転でも危ないからだ。人も車もいないド田舎と勘違いされてる方だからできるわけです。コンプレックスを逆手にとると危ない行為を止めることができる。
カメラを肩からぶら下げてるだけでも危険は潜んでいるのだから今でも気遣わなくてはいけないことに変わりはない。パレード追走を何度となくやってきて、人混みゆえに怖いから無理せず注意も払ってきたわけだが、非日常空間では危険がどこにぶら下がってるかわからないし、向こうから飛び込んでくるかもしれない。“安心はない”と思い続けないと自分が痛い目にあわされる。長年、歩道チャリンコ暴走族が放置されてきたようマスメディアは警察と同じで何か起きないと行動しない。ならば誰かが世間が認知するよう先んじて発信し続ける必要があろう。
何事も注意しなくては!
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