2023-03-06 Mon
「おじさんビジネス用語」と呼ばれてるのを見たんだが、おじさんな私には全くと言ってよいほど解りません。だからもっと古いはずだと(爺)ジジネス用語だと思う。報道されてるのは知っていたが例によって誰かの宣伝に繋がってるのか?死語のはずが「おじさん企業」で残ってしまったのではないか?「おやじギャグ」とか言って実はギャルたちの会話のほうが遙かに下らなく笑えないのと同じ、若者言葉のほうが非論理的かつ通じる世界が非常に狭い。また、老害とか言ってるガキどものほうが桁違いに害悪だってことを理解しないままでは話は通じない。ネット上で頭悪すぎるガキどもを見てきたが、ネット使えるなら調べれば簡単に解ることを質問箱で尋ねるお馬鹿さんが一定数いる。学力に関わらず、そういう脳の構造に狂ったとしか思えない。
報道で紹介された8語の中でビジネス用語ではないため知っていた「ロハ」と「良しなに」。「ロハ」は「只」を分解して言うようになった言葉と知ってたし「良しなに」は普通の日本語だ。
「良しなに」と近い意味だと思うのだが個人的に悩まされたのが「そんな感じで」って言われることだった。頭の中で「どんな感じだー」ってずっと思ってた。
私の時代は賢明に間違いや訳のわからない言葉を正そうと思ったのかもしれないが、下の時代が「IT系」なんて言い始めてから詐欺師にしか聞こえない奴らが激増。通用してない外国語を「カタカナ語」として言いまくり、言われる側の「恥の文化」を利用してマウントを取り、言いくるめるようになった。
いったんは上に向けた「IT系 詐欺師」も反撃を喰らって社会的に無知な若年層へと相手を変更。この流れで多数の事件が起きてきたわけだが、犯罪者となってしまった側の映像が報道されるとビジネス用語などではなく「ちょっとナニ言ってんのかわかんないですけどー」と言い放ってやりたい演説を繰り広げてる。
事件後に放送された投資詐欺師の演説にして大量に言い放たれる謎のビジネス用語、正しく伝わらない言葉を放つ奴には近づかないほうがいいという教訓。最近、問題になってるカルト教団の演説を聞いても詐欺師の手法が満載であった。
年代ギャップがあれば尚更である。若年層ほど「知らない→見下される→知ったかぶり」が間違いを犯したり、騙されたりする原因だと考える。
若年層が「おじさんビジネス用語」と揶揄することが何を示しているか?それは『コミュニケーション能力の無さ』であり、理解できないままでいるなら『スマホの持ち腐れ』である。
コミュニケーション能力を培うにして、おじさんである私の世代であってももう「飲ミュニケーション(ノミュニケーション)」なんて断固お断りであった。飲ミュニケーションしなければコミュニケーション出来ない無能と判断している。
テメエが飲みたいだけだろうが、若年層だった飲んだくれて道端に転がっており下等生物という点では同じ。「地方症」と呼び怒ってきた大勢は「自己中のプロフェッショナル」だからコミュニケーション能力など遺伝的に備わってないかもしれない。
近年は社会が生みだした自己中の 言いなり になってる風潮を感じる。企業が足下を見られてるわけだが、たいして使い物にならない奴のご機嫌なんて取ってる必要があるのでしょうか?
「一丁目一番地」…噂の!東京マガジンで たまにやってたやつ? え、違うの!
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「良しなに」と近い意味だと思うのだが個人的に悩まされたのが「そんな感じで」って言われることだった。頭の中で「どんな感じだー」ってずっと思ってた。
私の時代は賢明に間違いや訳のわからない言葉を正そうと思ったのかもしれないが、下の時代が「IT系」なんて言い始めてから詐欺師にしか聞こえない奴らが激増。通用してない外国語を「カタカナ語」として言いまくり、言われる側の「恥の文化」を利用してマウントを取り、言いくるめるようになった。
いったんは上に向けた「IT系 詐欺師」も反撃を喰らって社会的に無知な若年層へと相手を変更。この流れで多数の事件が起きてきたわけだが、犯罪者となってしまった側の映像が報道されるとビジネス用語などではなく「ちょっとナニ言ってんのかわかんないですけどー」と言い放ってやりたい演説を繰り広げてる。
事件後に放送された投資詐欺師の演説にして大量に言い放たれる謎のビジネス用語、正しく伝わらない言葉を放つ奴には近づかないほうがいいという教訓。最近、問題になってるカルト教団の演説を聞いても詐欺師の手法が満載であった。
年代ギャップがあれば尚更である。若年層ほど「知らない→見下される→知ったかぶり」が間違いを犯したり、騙されたりする原因だと考える。
若年層が「おじさんビジネス用語」と揶揄することが何を示しているか?それは『コミュニケーション能力の無さ』であり、理解できないままでいるなら『スマホの持ち腐れ』である。
コミュニケーション能力を培うにして、おじさんである私の世代であってももう「飲ミュニケーション(ノミュニケーション)」なんて断固お断りであった。飲ミュニケーションしなければコミュニケーション出来ない無能と判断している。
テメエが飲みたいだけだろうが、若年層だった飲んだくれて道端に転がっており下等生物という点では同じ。「地方症」と呼び怒ってきた大勢は「自己中のプロフェッショナル」だからコミュニケーション能力など遺伝的に備わってないかもしれない。
近年は社会が生みだした自己中の 言いなり になってる風潮を感じる。企業が足下を見られてるわけだが、たいして使い物にならない奴のご機嫌なんて取ってる必要があるのでしょうか?
「一丁目一番地」…噂の!東京マガジンで たまにやってたやつ? え、違うの!
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