2023-01-08 Sun
別件の調査過程にて古い記録が見つかった。幼少期だから映像としての記憶は全く蘇らないのだが、現在でもある立体駐車場のように商品が格納されていて数字ボタンを押すと商品が出てくる。連れて行かれた当時は自分が小さすぎ、育ってからは進化した自動販売機を見ているため記憶が混ざってる可能性も捨てきれなかったが、映像によって古くから存在していたことは解った。
近代で商品が多い場合は 0~9 のボタンを組み合わせて2桁の商品番号を入力するが、その40年以上前のは商品とボタンは1対1のため番号が書かれたボタンが60~70個ある。
そこまでの記憶が消えてると言うよりも、そうした場所へ連れて行かれたとしても小さすぎて見えなかったと考えられる。ただし、幼少期から普通の旅行者では考えられないほど連れて行かれたことは確かだが自分が見たのかさえ疑わしい。
後日にテレビで見た記憶と混ざってしまってないだろうか。幼児期まで脳の構造は現実と虚構が混ざってると専門家が出るテレビ番組で聞いたため、そう考えてしまう。
記憶が確かになってくる小学生時代にそうした店舗に入った記憶がないため長期的には存続しなかったか。私の幼少期より更に前の熱海に観光客が押し寄せていた時期のことではないかと。小さい頃には既にレジャーが多様化していて熱海で大混雑って記憶がない。
外国製の自動販売機よりマシになってきたとしても古い時代なら商品が出てこなかったり詰まったりしたのではないかと思う。小さい頃を思い出すと今のような自動販売機でも出口で詰まることよくあったから手を突っ込んで引っ張ったことある。ところが扉が邪魔で商品が出しにくいとかも。扉が邪魔をするのは奥まで手を突っ込んでの泥棒防止だから。
そうした自動販売機が登場した年月は不明だが40年くらい前ってことになると「レトロ自販機」としては新しい部類に入るのかもしれない。レトロ自販機ブームで私も見た記憶がある「うどん・そば」の自販機は更に古いってことになるのか?
1964年の東京オリンピックの時に多くの自動販売機はあったのだろうか?それとも1970年の大阪万博にて出回ったのだろうか。テレビ番組で大阪万博の時期にUCCの缶コーヒー(ミルクコーヒー)が出回ったとか聞いたことがあった。それを調べると1969年4月に発売されたが当初は売れず、大阪万博が売れた大きな理由とは示されていたから自動販売機は関係なかった。浅間山荘事件なんて後の映像しか知りませんがカップヌードルと同種の売れ方か。
自動販売機もマイカーブームとかで高速道路のサービスエリアに設置するために開発が進んだ感じがする。昔は今みたいに店が建ち並んでるとかは無いでしょ? 熱海の場合は昭和の新婚旅行先やら観光ブームで不夜城だったから自販機が必要だったわけだな。
年末に単なる廃墟の玄岳ドライブインを心霊スポットなどと紹介していたが玄岳ロープウェイって何!?ってよう自分が生まれる前に終了してたら当たり前だが見ることもない。
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