2023-09-26 Tue
どっちが正しいかは根拠があるとは思えない。しかし世間としては銀座でぶらぶらである。数年前、偉そうに新聞社の記事で「銀座でブラジルコーヒー」が間違いだなんて読んだが力説するも十分な根拠(証拠)があるとは思えなかった。上げて落としたり、落としてあげたりとマッチポンプはマスメディアのお家芸だから確実性が低いままでも否定したかったのだろうか?
銀ブラが銀座でブラジルコーヒーだと仮定しても、コーヒーはブラジル産だけじゃないし一般化した飲み物になってしまってるから世間の大部分が「銀座でぶらぶらする」になってる。
「断然トップ」なる造語のように著名人が発祥ならば元の根拠が出てくるが、初めて言った人がいるにせよ世間の人々が言い始めた略語であると長い年月で広まり、同時に誤解も生じたのなら根拠を示す書物があるはずがない。世間に広まった後から書いても意味は無い。
「銀ぶら/銀ブラ」の時代は世間に広まる環境は人づてだけだったが、現在では完全に間違った言葉をごく短期的に大多数が使うようになってる。純粋な日本語までも間違ってる。
小さい頃に年寄りから「銀座でブラジルコーヒー」を聞いてる一方、更に古い昭和39年に放送されたニュースを数年前に見たとき、ぶらぶらする意味でナレーターが銀ぶらと言っていた。
江戸っ子界隈で「銀座でブラジルコーヒー」が日常としてのオシャレに喫茶店。移民の方面から「銀座でぶらぶらする」となったのではないか? 根拠として江戸っ子としてはすぐ行ける日常的な場所だから散歩はあったとしてもウインドウショッピングのようぶらぶらする意味は低いから。
「三越につっかけ(サンダル)履いて行けない奴は田舎者」って言われて育ちましたから。イオン(ジャスコ、サティ)、ダイエー、イトーヨーカドー系統のほうが大人になるまで知らない店でした。金持ちではなく都心部に存在してなかったから行動範囲を広げなければ知る由もない。そうした生活環境から「銀ぶら/銀ブラ」を単語だけから意味を取り違えてしまったのではないか?
個人的な記憶と社会からの考察であって証拠はありません。ブラジルコーヒーが珍しかった時代に生きてた人にしか解らないことですから生き証人はもういない。
ようするに以前に読んだ記事の根拠に確実性がみられなかった。そこで考えた解決策は、
銀ぶら = 銀座でぶらぶらすること
銀ブラ = 銀座でブラジルコーヒーを飲むこと(死語)
であるが、今となって「銀ブラ」の実用性は乏しい。
きのうのテレビ番組「じゅん散歩」の字幕は「銀ブラ」だった。あっちも ぶら森田 ではない。ぶらぶらはブラブラとも書かれるが「ぶらり(垂れ下がる)」が語源だから本来はカタカナ語ではない。
ブラジルは伯剌西爾であっても「ぶらじる」とはしない。「銀ぶら」と「銀ブラ」も万人がついてこられる分け方ではない。世間に向けて「普通」じゃなく「ふつー」だと言っても通用しないから。
会話では区別つけられないから略すなってのが希望。別件でもやってきたが、日本人って本質を捨てるような省略も得意のため、なんでもかんでも略すんじゃねぇーぞ。
昭和か大正か知らないけどコンクリって何だよ。コンクリートくらい言えんのか!マンガ、新聞など二次元、静止画、文字数など当然のことである表現の不自由に迫られた奴らによる「表現の“勝手”」という社会迷惑が当たり前だと思うなよ。正しく伝わらなければ意味がない。
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| emisaki | 2023-09-26 Tue 22:51 | 大衆媒体::テレビ全般 |
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