2023-09-26 Tue
当然の欠点である嘘が書かれることがあるって問題は除外して考える。Wikipediaは嘘が書かれる可能性を減らす目的なのか何でもかんでも参考文献が必要とされてくる。だったらリンクだけ張っとけよって言いたくなるし、真実を書いたとしても他人からしたら正当性は不明だから仕方がないとも言える。そこに限界がある。
知らないところを知るには良いんだが、知ってるところを読んでしまうと、あれも、これも書いてないって思うことが何度もあった。だからって私が書き加える気もない。
書いたとしても俺が証拠だから参考文献なんてない。例えば事件と当事者だったとしても新聞やテレビを通じないと「独自研究が含まれる」となってしまう。
結局、知りもしない第三者が文献を集めて書いた分は独自研究もまかり通ってるし、何か知っていたとしてもマスメディアに記録がないと掲載の要件を満たさない。
一部の人しか知り得ないよう関わりすぎていれば反対に書くわけないと後世には残らない。AでもBでも警察沙汰はあったが事件化はしてないから。
時代に葬られることのほうがほとんどで知る人ぞ知るで黙殺すべき件もあるが、自己中が引き起こした件は自覚させるためにも公にすべきだが外部の人間の仕業でも悪いイメージが付くジレンマ。
テレビだと放送されてるから書けるが、イベント会場になるとビデオ撮影してるって証拠があっても提示できる公な証明が必要なところが限界だから百科事典の先には進めないところが限界。
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結局、知りもしない第三者が文献を集めて書いた分は独自研究もまかり通ってるし、何か知っていたとしてもマスメディアに記録がないと掲載の要件を満たさない。
一部の人しか知り得ないよう関わりすぎていれば反対に書くわけないと後世には残らない。AでもBでも警察沙汰はあったが事件化はしてないから。
時代に葬られることのほうがほとんどで知る人ぞ知るで黙殺すべき件もあるが、自己中が引き起こした件は自覚させるためにも公にすべきだが外部の人間の仕業でも悪いイメージが付くジレンマ。
テレビだと放送されてるから書けるが、イベント会場になるとビデオ撮影してるって証拠があっても提示できる公な証明が必要なところが限界だから百科事典の先には進めないところが限界。
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