2017-06-19 Mon
2017年6月18日放送 フジテレビ「60歳以上の怒り第2弾!古舘×梅沢×毒蝮…全国怒りの大調査SP」
5月7日に放送された「フルタチさん 梅沢富美男×毒蝮三太夫×古舘伊知郎が斬る!60代以上怒りの声連発」第二弾となる。あなたたちもそうだと言う部分や加齢症状からくるものもあったが、60代以上じゃなくても怒りに共通点が多くみられた...
怒っていること 番組での街頭インタビュー 抜粋
(文書は放送そのままではなくまとめてあります)
・バスに乗ってベビーカーを乗り入れる人は困る、折り畳むのが当たり前 69歳女性
・後継者がいなくて老舗が潰れている。伝統を守るには変わらなきゃいけない。江戸時代のみりんやしょうゆがうまいわけがない 秘伝のタレとか笑わせるなと 65歳和菓子店主
・最近の方は正座ができない 68歳茶道の先生
・最近のドラマがつまらない 70歳 小倉智昭
以下は梅沢富美男が巣鴨にてインタビュー
・最近の人は自転車のマナーが悪い
・北朝鮮のミサイル問題
・シルバーシートに若者が平気で座ってスマホいじってたり寝たふりして譲る気なし
・歩きスマホ
・商売人だから地球温暖化を考えてないトランプ大統領
・自転車運転
それは日本一の犯罪件数で99.999%以上が略式起訴、いや、違反切符も切られず注意すらされない恐ろしいもの。
最終的にスタジオ見解もインタビュー中に梅沢さんも今そこで危ないと思ったと言ってる自転車の問題だが、被害に遭う側すらマナーと言ってしまうほど意識が低いが、車両なので、
ほぼ道路交通法違反という「犯罪」である
からマナーなんて軽々しいことではありません。この点は専門家の話を聞いたことがあり、昔に世間の人へ自転車が自動車と車両であることの植え付け(教育)を行わなかったのが失敗だと語っていた。
昔はこんなんじゃなかったと言うが、本物の都会人から言わせてもらえば住宅地では昔からそうだった。団塊の世代とか言われる人や集団就職とかいう言葉で地方からやってきた人間が大量にやってきた地域は集団生活の統制ができてない。当時の人間は空気読んでいたから酷さが緩和されていたにすぎず、子、孫となった今では東京生まれを勘違いした都市生活不適合者の責任、そう、梅沢さんやら上の年代の責任です。集団や都会を知らない自覚症状がまるでないことが原因。
恐ろしや 団塊の子・孫ともなれば自覚できないどころか、自分が正しいと信じ切ってる!
過去投稿の繰り返しになるが、バスに乗るのにベビーカーを折りたたむのは、そんな昔ではない10年や20年前なら折りたたんで乗るのが当たり前だった。電車にしてもだが、交通機関が許可や場所を示すなど逆行したことをするから自己中な人間のクズを量産してしまうのである。そのように自己中を助長させることが駅員への暴行の増加など関連性があることに気づけない奴ら。
ずっと言い続けてきてるよう、
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という奴らが数で悪事を正当化!
そんな人間になってて楽しいかい?
これは都会の論理であって田舎じゃそれで構わないって話はどうでもいい。これは都会の怒りだから。
自転車の運転者で言うならば犯罪者を毎日のように見る。
歩道通行義務違反(歩道はやむなき場合でノロノロ運転「警察庁見解時速5キロ以下」のみ可)
速度超過
信号無視
二人乗り (大人)
左側通行義務の違反 (逆走)
無灯火 (点滅は無灯火)
安全運転義務違反 (ながら運転、ヘッドホン使用、日傘・雨傘 等)
警笛違反 (歩行者往来妨害罪)
・・・と罪状を並べ立てればきりがないほど酷い。
警察が面倒だから略式起訴しないだけで、上記のどれも 前科者 の罪。
親子の二人、三人乗りを条件付きで認めた警察も異常である。加えて警察官や都庁、区役所職員が田舎者になってきて都会の理解度が薄れすぎてしまった。
(余談:道交法の脱法では車輪を増やし車体の構造を変えると大人も二人乗り可能を禁止すべき)
そもそも本物の都会人だったら 味覚は関係ないとして重要な順に視覚、聴覚、触覚、嗅覚の一つでも絶って歩くなんて危ないことはしない。普通に注意してても危ない事があるってのに、自転車、自動車を運転しながら何かするなんて考えられない。そんな余裕なんてないのが都会だが、この場で育った奴が解らないのはやはり遺伝子の仕業かとしか言いようがない。
私が旅行してきて「こいつら都会に来たらとんでもない」と思うことばかり。前から言ってるように、田舎だと迷惑をかける相手に出くわさないだけで、迷惑な事を常日頃からやっているのである。それが都会に来ると表面化してしまうが、当人は毎日のように繰り返してきたことなので「何が悪い」ってなるのである。違いが理解できない所も残念すぎる。
ながら歩きすらダメ考えられないのに、運転なんて有り得ません。
少なくとも東京23区内に24時間ボッーとしながら歩ける場所は存在しない。東京なめんな!
当面前を見てなくても事故が起きないと思えるのが田舎者たる証拠。夕方から夜に自転車のライト(前照灯)をつけない奴が多いのも東京(都会)の街灯や看板で明るいと、とんでもない勘違いをしてるから。東京の夜も暗いってことが理解できないのだ。
私としては、たった一つやってるだけでも田舎者に認定する事がある。ながら何々に加え、リュックサック背負ったまま乗る奴って前に書いたが電車の乗り降りの仕方、道の歩き方ひとつでも迷惑な奴はすぐわかる。繰り返すが、地方では誰もがやってることだろうが、それは
迷惑をかける相手がいなかったからにすぎず、
日頃から迷惑行為をしてなかったわけではない。
よって過疎地から集中し都市化したり大都市への移民にて対人関係で揉め事が起きる。現に鉄道会社から4~5月が最も多いというデータが示されていた。共同住宅であるアパート(マンション)など近隣トラブルは迷惑をかける相手の存在がわからない人たちが起こす。そういうのが、公共施設やファミレスなどガキどもが運動会しても何とも思えないバカ親となるのだろう。
信号は守るが、歩道を爆走する。
特に自転車は誰もが歩行者の一環だとしか思ってない。修正には国策教育が必要だ。
・タバコ 喫煙者という事実上のヤク中
自転車は違法行為を知らないのが大部分と、都会と田舎の違いも理解してない自覚症状がないのが、ヤク中も同じだろう。このニコチン中毒に冒された奴らは知ってても法を守らない。なぜなら脳が冒された中毒だからである。迷惑ではなく大なり小なり他人の生命を脅かしている以上は愛煙家などと語る資格はない!法律で禁止されてないのが悪いと言えるが、昔から未開人を労働させたり統制するため薬物はつきものなのである。科学技術とか言いながら精神的には未開人。
年代的にこの点は高齢者のほうが多い。高齢者は問題を指摘もするが、自らも加齢症状における自己中である。これが病である以上は自覚してもらうのは難しい。
・シルバーシートに若者が平気で座ってスマホいじってたり寝たふりして譲る気なし
電車で高齢者に席を譲れない奴らが増えたのも環境の違いが原点にあると私は考えている。でかいクチを叩くくせに以前より若年層の体力が落ちているのも理由に入るでしょう。そして誰でも座れる地方から都会へやってきた若者が座って当たり前という概念から老人にすら譲らなくなってるのではないか。それに、怒られずに育った奴らは危険である。
「老人扱いするな」なんて偏屈な老人は希にしかいない。その一つを盾にして「だから俺は席を譲らない」なんてのは、脳たりんのクソガキでしかない。それが、あなたたちが送り出した坊ちゃん嬢ちゃんなんだよ。妊婦に関してもあったが、座るために嘘で妊婦を示す飾り物をつけてる奴がいたからって本物の妊婦への対応を怠ってはいけないのだ。
大企業からして高学歴なら、そんな育ちの悪いガキをも平気で採用してきた。それらが今の日本の大企業の落ち目ぶりにつながっているのではないかと思ってる。とてつもない社会問題につながっていること。
この節のくくりとして、ながら運転は主に若年層だが、無謀運転に年齢は関係ない。アクセルとブレーキを間違えるだけじゃない加齢疾患による暴走老人はかなりいる! 歩きタバコ、車内通話に注意すると、いい大人というよりもガキよりタチが悪く逆ギレしてくる老人も多いのである。
前回の放送で蛭子(蛭子能収)さんは他人に注意なんでするわけないが、何かあっても自分が悪くないのにとりあえず謝るなんて、とんでもない解決策を語っていた。“やる気”じゃなかったら注意なんてできない悲しい時代なのだ。三つ子の魂百まで、それなりの年齢に達したクズは既に精神回路が形成済みのため愛情では救えなくなった哀れな奴らなのだ。
定番、こんな日本人が大勢いる日本に憧れるなんて外国は行きたくもないほど醜い世界。
・正座ができない
この点は賛同できない。別に悪いことしたからさせられるではなく、小さい頃から正座がつらくないほどやってると脚の形状が悪くなるので、これはお勧めできない。うさぎ飛びが鍛錬にもならず虐待同然ってのと同じように、日本人だとしても正座を作法に祀り上げるのはとんでもないこと。時代遅れすぎて重んじるべきところを間違えてしまってる。
当方も現代人の落ちぶれた部分をたくさん語ってきているが、時代遅れから解き放たれ日本人も西洋人並みにスタイルがよくなってきているじゃないか。遺伝子が関与するほど時間は経過してないので、食い物じゃなければ古い日本の生活環境で抑圧されていたのではないか?
わからぬなら時代遅れで消えた作法、決まり事を次々と語ろうか。単なる決まり事じゃなく正座が必要だと論理的な理由がなければ私を納得させることはできない。現代では虐待にも等しい正座が単に作法だと信じているだけなら反論は無理。では失態を犯したら切腹が作法ですか?
女の子がよくやる 通称 あひる座り も悪いとされている。
・伝統を守るには変わらなきゃいけない
これはラーメン評論家の人が言ってたね。老舗の人気店ならばこそ昔から変わらない味なんてないと。客の舌が進化するわけだからそれに合わせて行かないと味が落ちたと思われると。そんなことでシャッター通り商店街なる自分の程度の低さ委も感じず同じ事しかできないのが潰れるのは当たり前。
何十年継ぎ足しの秘伝のタレ。これも、もし何十年前のが残ってたら劣化してるし汚い! この点は数学者が計算しており、焼き鳥とかウナギのタレの小ぶりな瓶(かめ)は繁盛店なら継ぎ足しても1週間で全てが入れ替わると算出していた。繁盛店なら残ってないから何十年なんて関係がない。繁盛店なら虫が入ったって作り替えてもしばらくすれば元通りですよ。
東日本大震災のときも持って逃げたって命かかってるからアホかと思った。基本はレシピで、後は付け焼きしている際に脂とかが混ざるためだから再現可能。タレのレシピがわかってるなら持って逃げるのは馬鹿である。
繁盛してない店で同じことをやっているなら怖いと言える。高い塩分で菌の繁殖が抑えられていると思うが、細菌に限らず小バエなど混入する可能性を秘めている。テレビで観ている限りでは、本当に継ぎ足しであって濾過して移し替えたりしてるのを私は見てない。商店街やコンビニでも異物や虫の混入の可能性はあるが、全て毎日作り替えるところに大きな違いがある。
何十年継ぎ足してるなら「汚い」だろって疑問を投げかけるところを長年のエキスが出てるみたいに妄想劇場で「旨い」と洗脳したのはマスコミである。前記で示したように定期的に清潔にして味を再現しているほうが正真正銘の店である。秘伝のタレとか言ったところで、それが旨いとされる状態が作れず腕が良いと言えるのか。商店も長年の番組作りによって洗脳されているだけだ。
続いて「江戸時代の みりん や 醤油 がうまいわけないだろ」ってのも大いにうなずける。醤油とか味噌とか伝統の製造方法とか言うのは断片で現代の技術あってこそでしょう。私たちがよく見る伝統の部分ってのは熟成期間で前後の処理は現代技術そのものではなかろうか。特に今の保存技術なくしては味が保てない。醤油の密封ボトルなんてのがいい例ではないか。
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