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ぶろぐん

ルール・法律を守れない人々
 お約束となってきた都会をダメにした原点の人たちシリーズ。ルールを守らない=他人(ひと)の目が気にならない もしくは 他人の目が行き届かないことによって秩序が保たれないのである。

 そのことは大自然の富士山とか、森林がある地域までにならなくても地方都市のほうが不法投棄が桁違いに多いことが示している。防犯用グッズに睨んでいる目のステッカーがあるのも他人の目が重要だからだ...


 証拠写真以外で加えるべく罪状を並べると信号無視、逆走=右側走行(左側通行義務違反)、歩行者往来妨害などお約束の罪が付くが、このあとにもやってくるが、もう どいつもこいつも という言葉が似合うほど傘をさして通行禁止になってる区域に入ってきた。更にたむろってる学生は並走禁止違反で、なんとも3台で歩道を並走だ。

尚、まつり期間中は車両(自転車)の進入自体を禁止している。その看板の横を素通りな連中。


 ゴミ拾いのボランティアの学生に出くわしたが、ここに来たら大仕事だな。そういう箇所がいくつか見られた。時間外に捨てられてしまうのかもしれないしテキ屋が捨てるのかはわからない。

 中国人が増えたUR賃貸住宅周辺でポイ捨てが激増した件について書いたが、日本人の救いは誰も見てないところで捨てるとか、まだ罪悪感が残されていること。外国人みたいになんとも思わなくなったら日本も終わりだ。誰かが掃除するからって捨てるのも悪事に変わりはない。


 前から指摘しているが、大人が子を注意せず、そのまま大人へと育ってしまって全世代まるごとクズに成り下がってしまった。上記の自転車の犯罪者には喫煙しながらの奴もいた。地方だと東京みたいに禁止されてないことが多いので何も言えなかったが、あとで禁止地区だってことがわかった(まつり期間と無関係で常に禁止)。

 警察官が小さいことからぶつぶつ言わなくなった結果、秩序を乱した影響はデカイ! いまに始まったことじゃないが警察官も自転車で道交法違反してるくらいで他人のことを言えない状態だし、傘さし走行とかあきらかな違反にすら見ても何も言わない酷い有様が全国的だ。

 数年前に花火大会で露天商が使うガソリンの取り扱いが悪く引火、爆発が起き死傷者数十名の大事件が起きたが、そんなことはとっくに忘れているようで、露天商による燃料の扱いも非常にいい加減なものだった。ということは、どこでも危険性は残されたままであろうと考えられる。わからないが、危険にさらされる側してステレオタイプの見方で十分、露天商が几帳面でキッチリした人たちだと思いますか?そんなわけねぇーだろ。各種各地で見てきた感じだが地元の出店と流れの露天商は全く別の人種だよ。

違反者、加害者予備軍への締め付けが足りなさすぎる。

 というわけで歩くことだけでも注意しながらの必要性が日増しに高まっている。過去よりこうした多人数共存社会の解らぬ人々が都会の道徳を崩壊させたのである。1964東京オリンピックの前にも発生し、オリンピック開催にあたって一度は修正されたが彼らの子孫は学習することなく育った。その孫が現代の若者であるがゆえ都会人だととんでもない勘違いをしている。聞きながら歩き、見ながら歩きは地域によらず不道徳者だが、特に都会人のすることではない!


 先天的な能力の差はあるものの、子供はどこで生まれようと無垢であり責任はない。それを汚れた人間に育ててるのはいったい誰なのか!よーく自覚することだ。自覚症状がないというのが問題なのだから。

| emisaki | 2017-08-01 Tue 23:24 | comments (0) | 生活::暮らしと社会問題 |
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