2017-09-11 Mon
企業が開始した「泣いてもいいよ」運動に異議あり。都市生活不適合者は知るより堕落する一方で都会を知ることなどない。赤ん坊は泣くのが仕事って聞いて育った私としては電車など泣き出していても何の文句もないが、それには親が役目を果たしているという条件が必須...ところが私が世間を見渡す限りバカ親どもはベビーカーに物かペットのように入れっぱなし、延々とスマホをいじくっていたりゲームやってるご都合主義ばかり。そんなバカ親のガキが泣いて許せるわけがない!
あやすどころか泣き止むまで放置する親までいる。そのようなバカ親を教育せずに泣いてもいいよ運動など言語道断である。分からず屋は都会から迷惑をかける相手のいない所へ出て行っていただきたい。車内ベビーカー利用を認めたなど企業からして社会的教育と都市生活のなんたるかが全くわかってない。例えるならアメリカに行って相手に日本語を話せ風な自己中をやってきていることに気づきもしない。
テレビ報道の街頭インタビューで子育てをしてきて解ってる古い人たちほど迷惑がってる意味を理解すべきだ。堕落した人間が次々と低い基準で堕落したルールを決める。真っ先に足りないのは周囲の寛容性ではなく対象者への教育である。大勢の生活を知らねぇ連中は東京を人間のクズで埋め尽くす気か!(激怒)
江戸時代に確立した都市生活、情勢の変化で上下したとしても昭和までは親の世代を見てもしっかりしていたと思う。なぜ平成に入ってロクでもない連中が激増したのだろうか?
戦後の第一次“分からず屋”の大量流入の団塊の世代の子、孫となり空気読めない感の増大と近年の都心部再開発で高層住宅による新たな“分からず屋”の大量流入の合成が元凶であると分析中である。政府、都庁やマスコミ自身がそうであるから理解してはもらえない。
“概念”を持ち合わせている人たちが先導しない限り東京の未来は暗い。
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