2019-02-27 Wed
2019年2月23日 17:24-17:26 テレビ朝日 スーパーJチャンネル『SOSしたら「行きます」とスマホで人助けの縁結び アプリで心のハドル下がる?』
実験の報道で仕込みだと思われるため新宿駅で待ち合わせ場所へ移動するくらいならスロープあるぞって所には触れないことにするが、報道では子連れのベビーカー使いの親が階段を上るために実証実験のスマホアプリにて助けてくれる人を呼ぶというもの。実験じゃ登録人数も限られてるだろうからマッチングする可能性は低くなる。
新宿駅でしたら、そこらじゅうに人はいますけど??
全員が十数秒も時間に追われてるとは思えません。俺が、もはや我がふるさと東京は侵略されて99.9%敵(迷惑者)にしか見えないって書いたことがあるように都市生活不適合者だらけだからそういうのが必要になる。
赤信号みんなで渡れば怖くないと究極の自己中をやめ、そろそろ気づこうよ 集団社会での無能さを...
流行の映画「翔んで埼玉」から語るならば理解の可能性があるのは埼玉県民だけってことなる。
あとは能力のなさを受け入れず逆ギレあるのみか!?
交通網の運行に対して自己中も許されないのが都会であり、先日あった車椅子が路線バスに乗せて貰えなかった件は詳細な事情が不明のため除外するが、動けないくせに気が短くなる高齢者が路線バスが寸前で行ってしまったと怒ってるのをちょくちょく見かける。いちいち待たないのが当たり前。運転手は、安全な運行、乗り心地の良い運転、正確な時刻の運行に努めるように訓練されている。制限速度以下なのに遅れても遅れっぱなしの地方とは違う。
都会には歩道橋というシステムも必要だから私が生まれる前ずっとから多数存在していて、路線バスが出発してしまう件も含めて、おばあちゃんに小さいころ連れ回された中で文句を言ってるのを聞いたことがない。それが東京だからだ。だからとは言え車内で急病人が出たときは遅延をためらわず緊急停車は当たり前のことである。集団生活を知らない奴らは、どっちに転んでも自己中な考えしかできないよう育てられた残念な人である。
歩道橋は交通戦争と言われたことから人命を守るためのものであるし、主に電車の運行時刻の正確さは五十数年前に実現して世界に轟くまでになり大勢がその恩恵を受けてきたくせに高齢化したらブツブツ抜かし始める呆れた自己中ぶり。明日まで便がないところと違って数分すれば次のが来る。いくら大都会だって終電だったら少しは待つさ。
本題だが、なぜそこらの人に頼めないのか? 俺らからしたら摩訶不思議ですから、やはり遺伝子レベルで人種が違うとしか思えない。私が小さい頃から反発してきた言われ方だが「東京の人は冷たい」ってのがある。正しくもあり、間違いでもある。冷たいのは、そのように言ってくる奴らの子孫(移民者)だからで都市を確立した江戸時代からの家系の人のことではないからだ。
かなり前に証明された件があり「助けてと叫んでも誰も出てきてくれないから火事だと叫ぶ」ってね。私が知る世間なら「助けて」で「なんだコノヤロー」って近所中がバットでも持って出てくるだろうからな。だが、そんな社会も絶滅に等しい。集団生活が遺伝子に刻み込まれてないからか知らんが「私は関係ない」ヅラするのが大多数となり、自らに火の粉が降るならば騒ぎ出す。
交通網は生活を円滑に進めるためのシステムであるし、人が冷たいと言うのは対人関係能力を持ってない移民集団と子孫によるもので、本来、東京の人は冷たいは冤罪である。外国に行ったくせに「日本語しゃべってくれないんです」と文句を言うほどの言いがかり。同じ日本だろうが違いに気づけず別の土地へ行きながらテメエの概念が正しいかのよう振る舞う奴らが多すぎる。元々、集団生活の能力を持っていないから狂った概念を持ち込み自分は真っ当だヅラしてる連中が何割かいて、別の連中がそいう奴らを見て「郷に入れば郷に従え」と勘違いしてきたのが大多数が近代移民者の東京だ。こっちから見ればニュースで取り上げられる不道徳な外国人観光客と何ら違いなく見えてる。
伊豆の観光地で百人以上の観光客のカメラのシャッターを押した経験から、頼めない(他人に声をかけられない)人たちの存在は体感的にわかってた。滅多に人がいないところならともかく、そこそこ人がいるところでカメラ置き台座なんて、なぜ必要なのか?
個人的に おせっかい も嫌いなので頼みやすい場の空気を作ることも大切だった。だから一度頼んだ人から便乗の列ができたこともあった。北国の某観光地ではシャッター押してあげますのよう書いてあるお揃いの服を着た人員が配置されてたが、彼らの問題は余計なお世話と邪魔の領域に踏み込んでいたことだ。
そういうことで、なぜ、スマホ使って誰かを呼ばなければならないのか理解できない。
いつになったら 都市生活不適合者 だと言うことを理解するのだろうか?
→ YouTube > ANNnewsCH > スマホで「人助け」の縁結び 実用化に期待(19/02/23) [動画]
→ えきペディア > サービス [地図(主要駅バリアフリー)/スマホアプリ販売]
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あとは能力のなさを受け入れず逆ギレあるのみか!?
交通網の運行に対して自己中も許されないのが都会であり、先日あった車椅子が路線バスに乗せて貰えなかった件は詳細な事情が不明のため除外するが、動けないくせに気が短くなる高齢者が路線バスが寸前で行ってしまったと怒ってるのをちょくちょく見かける。いちいち待たないのが当たり前。運転手は、安全な運行、乗り心地の良い運転、正確な時刻の運行に努めるように訓練されている。制限速度以下なのに遅れても遅れっぱなしの地方とは違う。
都会には歩道橋というシステムも必要だから私が生まれる前ずっとから多数存在していて、路線バスが出発してしまう件も含めて、おばあちゃんに小さいころ連れ回された中で文句を言ってるのを聞いたことがない。それが東京だからだ。だからとは言え車内で急病人が出たときは遅延をためらわず緊急停車は当たり前のことである。集団生活を知らない奴らは、どっちに転んでも自己中な考えしかできないよう育てられた残念な人である。
歩道橋は交通戦争と言われたことから人命を守るためのものであるし、主に電車の運行時刻の正確さは五十数年前に実現して世界に轟くまでになり大勢がその恩恵を受けてきたくせに高齢化したらブツブツ抜かし始める呆れた自己中ぶり。明日まで便がないところと違って数分すれば次のが来る。いくら大都会だって終電だったら少しは待つさ。
本題だが、なぜそこらの人に頼めないのか? 俺らからしたら摩訶不思議ですから、やはり遺伝子レベルで人種が違うとしか思えない。私が小さい頃から反発してきた言われ方だが「東京の人は冷たい」ってのがある。正しくもあり、間違いでもある。冷たいのは、そのように言ってくる奴らの子孫(移民者)だからで都市を確立した江戸時代からの家系の人のことではないからだ。
かなり前に証明された件があり「助けてと叫んでも誰も出てきてくれないから火事だと叫ぶ」ってね。私が知る世間なら「助けて」で「なんだコノヤロー」って近所中がバットでも持って出てくるだろうからな。だが、そんな社会も絶滅に等しい。集団生活が遺伝子に刻み込まれてないからか知らんが「私は関係ない」ヅラするのが大多数となり、自らに火の粉が降るならば騒ぎ出す。
交通網は生活を円滑に進めるためのシステムであるし、人が冷たいと言うのは対人関係能力を持ってない移民集団と子孫によるもので、本来、東京の人は冷たいは冤罪である。外国に行ったくせに「日本語しゃべってくれないんです」と文句を言うほどの言いがかり。同じ日本だろうが違いに気づけず別の土地へ行きながらテメエの概念が正しいかのよう振る舞う奴らが多すぎる。元々、集団生活の能力を持っていないから狂った概念を持ち込み自分は真っ当だヅラしてる連中が何割かいて、別の連中がそいう奴らを見て「郷に入れば郷に従え」と勘違いしてきたのが大多数が近代移民者の東京だ。こっちから見ればニュースで取り上げられる不道徳な外国人観光客と何ら違いなく見えてる。
伊豆の観光地で百人以上の観光客のカメラのシャッターを押した経験から、頼めない(他人に声をかけられない)人たちの存在は体感的にわかってた。滅多に人がいないところならともかく、そこそこ人がいるところでカメラ置き台座なんて、なぜ必要なのか?
個人的に おせっかい も嫌いなので頼みやすい場の空気を作ることも大切だった。だから一度頼んだ人から便乗の列ができたこともあった。北国の某観光地ではシャッター押してあげますのよう書いてあるお揃いの服を着た人員が配置されてたが、彼らの問題は余計なお世話と邪魔の領域に踏み込んでいたことだ。
そういうことで、なぜ、スマホ使って誰かを呼ばなければならないのか理解できない。
いつになったら 都市生活不適合者 だと言うことを理解するのだろうか?
→ YouTube > ANNnewsCH > スマホで「人助け」の縁結び 実用化に期待(19/02/23) [動画]
→ えきペディア > サービス [地図(主要駅バリアフリー)/スマホアプリ販売]
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| emisaki | 2019-02-27 Wed 20:57 | 大衆媒体::テレビ・映像 |
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