2019-04-17 Wed
議員定数44に対して立候補者数は57は私の感覚では減ったような気がしてならない。強い政党の地盤で対抗馬が出ないこともあるが定数の2倍くらいだと思ったのは勘違いだったろうか? 東京大学に受かるのは親の財力に左右されると統計結果が示されたように政治家も変わず人間性が評価対象となることはほぼない。むやみに立候補させないようにお金も必要で得票率が一定数を下回ると大金が没収されてしまう。お金を持ってれば異様な奴らも立候補してきた。死者13名と数千人の被害者を出したテロ組織を真っ先に思い出すが似たような組織からの政治介入は今でも恐怖してる。都道府県から市町村へと規模が小さくなるほど立候補がしやすくなるが理想には程遠い。
某所では立候補者が定数より3名も増えて激戦とか伝えられるだけで地方政治の危険性を感じる。議員定数プラス1名程度の立候補者数が延々と続いてきただけで激戦なんかではない。そんな状態で落選した奴は、どんな駄目な奴なのかと思えてくる。しかしながら田舎へ行くと高齢者率が高すぎて能力や実績なんぞ精査して投票してなく知名度だけか。議会を見渡しても半分は大金が貰える老人ホームに見える。選挙権も基本的に年齢だけで決まるところに恐ろしさを感じないなら、ポジティブ思考では安泰、ネガティブには平和ボケ。
市町村規模が小さくなると立候補がしやすくなると思いたいが現実は企業の回し者の戦いで有力者の事実上独裁政治になってるところばかり見てきて嫌気が差したが、都市部だと一般住民が大多数を占めるためそれがないのが駄目なりの救い。私はいまでも裁判員制度みたいに選んだほうがマシだと思ってる。トランプのポーカーで言えば、持ち札に絵札なし、全部交換して次に何がくるかわからないほうが希望がある。人は与えられた職務を意外にもこなすのだ。
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