2017-06-28 Wed
周りを見よっても同じ間違った考え方な周りを見ても無意味だ。他所で繰り返される失策を行おうとしているから、過去にあげた例を総合的に振り返ってみる。
真意は不明だが以前に有名タレント某氏が「名古屋に時差がある」と語ったように簡単に移動できるようになっても地域による集団的に同一に進む嗜好は地域時差が見られる。流行が短期的な東京で伝えられたことが時期をおいて地方で放送される。高速道路で自然渋滞が発生する原因かのように時差が拡大する。過去のテレビ、雑誌から更に速報性の高いインターネットへ移行しても大きく変わっていない。
情報入手が容易くなったのに残念ながら何年間も全く変わらず本質を理解してない.。
梅まつり以外での梅園の活用、典型的に間違った方向性を感じてしまう...
結局、あの話になる。過去にテレビ東京「カンブリア宮殿」で取り上げられた足利フラワーパークの失敗と復活である。例えば河津町なら「2月に河津桜で夏場はどうする?」ってのまでは理解できる。だが、熱海がやりつつあるのは私が物心ついたくらいにあった“日本全国酒飲み音頭”みたいに1月は何、2月は何、3月は何って具合に節操がないのである。
それがどういう意味かと言うと、繰り返しになるが足利フラワーパークの入園者数を回復させた方が番組で語られたように
「なんでもあるは、何もないのと一緒よ」である。
今の間違った計画が完了したとき、熱海は何も特徴のない場所に成り下がるのである。
桜(ソメイヨシノの場合)は、たった1週間のために他の1年があるのだ。梅園も同じだろうが、毎年現場も見ているし新聞を通して聞こえてくるのが馬鹿な意見ばかりである。客が少なくなるからゴールデンウィーク、ジューンブライドだの土用の丑の日みたいな策略。イベントならまだしも、それを自然のものでやるから呆れるのだ。
梅園も糸川遊歩道も何年か前と比べて今は“ジャングル”も同然である!
梅ちゃんも桜ちゃんもどれだけ養分を吸い取られちゃってるだろうか?
土の場所が違う ~ そういう問題じゃねぇー ~ 見た目が汚らしいってことだ!
親水公園(海岸沿い)の花壇から盗まれた事件があったあとに見に行ったが、市民がやってると思われる場所の乱雑さったらありゃしない。河川敷の勝手に菜園みたいになってた。
梅園も糸川も総合的に 美的センスがない!!
「なんでもあるは、何もないのと一緒よ」ってことが理解できないように「何かないといけないという病魔に冒されている」。その間違った考え方が上記の梅だ桜だ、そしてジャカランダ、ブーゲンビリアか、次は何だって頭おかしくなる。
そうやって失敗したのが足利フラワーパークなのだ。
足利フラワーパークが復活したのは有名なものに絞って、それを前面に出して宣伝したことで、季節外の来客数も増やしたのである。我々は客として「あそこなら何」ってことで足が向くのである。“日本全国酒飲み音頭”みたいに酒を飲むため節操がない理由を持ち出すなら、固有の場所なんて関係がなくなる。
ジャカランダ フェスティバル観客増加?
来客数の正しい見解を。各地でだが、調査方法が狂っているというか都合よく考えたいとしか思えないことが多い。イベントを開催して人数が前年度より増えたとか言うのだが、入場料を払って入るようは閉鎖空間ならまだしも単なる路上だったとしたら正しいデータは出ない。
なぜなら熱海自体への来客数が増加しているのだから増えるのが当たり前。たまたま でもなく、ついででもなく 確実に固有目的でやってきたというデータが必要なのである。6月10日なら花火大会の日である。これがわかってないとデータを読み違える。
入場料を払って入るところだと入園者数として表れるが、熱海の場合に問題が大きくならないのは人数がそれほど多くないのと、それ自体を目的としてやってきてないことがある。“日本全国酒飲み音頭”だと言ったが、中途半端なことを増やしてきたことで目玉となることが消える。
一方、糸川の桜は?
「糸川桜まつり」と題して始まる前、2009年は 知る人ぞ知る 状態だった。というより桜って話題になるが、実のところソメイヨシノなら日本中で咲いてて都心ですら細々たくさん植わっており「当たり前」「気にもとめない」もの。よって気になるには大規模か情緒が必要。糸川遊歩道は気づいたときは無電柱化していたが全て地下には至っておらず、商業地で使用電力量も多く推定されるため変圧器(緑の長方形のやつ)が都会並みに多く設置されて歩きにくい。糸川にふたをして遊歩道にするまでの予算はなさそう。
2010年は単発のイベントで大きく宣伝はしてなかった。その時期は観光客より現地の人という空気感だったから人混みを気にすることなく写真も撮れた。それまででも川の両端から植物が乱雑に生えて川のほうへはみ出していたが、糸川遊歩道“ジャングル化”へを感じ取ったのは2011年、植物のつるが巻き付くワイヤーが川の上に敷かれた。「梅と桜の共演」として強化するのではなく、“何でもあるは、何もないのと一緒”の道を選んだ。狭い場所なのに色んなのを植えてるから花が咲いても視界が悪い。近年では桜をも見えにくいから呆れる。ブーゲンビリアの花が最も見えやすいのは下流から階段を降りて糸川の中とは「そら(それ)見たことか!」としか言えない。
2012年より本格的なイベントを開始、熱海芸妓なども投入し、2013年に梅園整備につづいて大塚商会元会長の寄付により糸川も再整備がなされるが、糸川は観光地というより住宅地の一角という感じだ。私の場合は客足が増えると興味が薄れるため別の場所へ移っていたが、地元としては糸川桜まつりの客足をまだまだ増やす余地があると思っているでしょう。出店するにも、客が地元民、別荘族、観光客かを見誤ると失敗する。場に合わないものを売ってるときもあったが、男女問わず「いらない」って感じだった。
規模といえば、湯河原のもののようになってるが千歳川沿いの桜が熱海市では最大の規模ではなかろうか。
自然なものを売りにするなら国営公園(立川、ひたちなか市)、足利フラワーパーク、はままつフラワーパーク、そこまでじゃなくて東京の銀座の道路脇の花壇でもいいから視察をお勧めする。
交通の便さえよければ梅園も姫の沢公園も同じであるが、現状で公共交通は雲泥の差で姫の沢公園は箱根との便を利用せねばならず、冬季1日4往復、夏季8往復と悲劇的だ。梅まつり期間に梅園へ臨時便を出すのだから姫の沢公園で定期的に何かやるとなればバス会社という民業が儲け話に乗らないわけがない。
規模が大きければいいってもんじゃないという意見は通用しない。行き先の決定に規模は重要な要素である。だから小さいところほど1本に絞るべきなのである。だから「さくらの名所散策路」へは植えまくるべきでしょう。
そこらじゅうでやってる失策を例えれば、
鶴光がラジオで良く言ってた 「明日の幸せより目の前の銭」
そういうのは出稼ぎや露天商のような地元と関係のない奴らがやることで、役所や地元ならば「明日の幸せ」を考える策を練るべきである。大きな勘違いは熱海だけじゃなく伊豆を通してどこの地方も似たようなものである。
そういう問題じゃねぇーよ
って思うのは、南アルプス市、マンゴー町(うどん県と同じ本当の名称ではない)などや、東武野田線だろうがってのにアーバンパークライン、スカイツリーラインとか呆れることをする面々に共通してみられる勘違いだ。大手企業でもそう思うことが多々ある。“わらをもつかむ”ってことか炎上しても構わんってことなのか知らないが批判のほうが多くみられる。
アルファベットやカタカナを使えばイケてると思ってる概念が古くさいのだ。過去に HAWAII の意味を知りもせず ATAMII だとか筋違いを述べてた地元関係者のことを批判したが、最初の話のように“時差”がありすぎ概念が古くさすぎて困る。どうせなら何百年も時差があれば客が押し寄せてくるのにな。
外国人観光客の増加が言われ始めた頃だけに、特に欧米人は「漢字」のほうが効果が高いってことすら知らない(もちろん説明文は外国語)。内向き(国内)としてもカタカナ語=格好いいとはならないのである。欧米かぶれは古くさい概念。そんなことだから海水浴季節はともかく高齢者の客から脱することができないんだ。
前にも策から示した「明日の幸せより目の前の銭」って方針が見えるのが花火大会だ。開催方法からホテル旅館が牛耳ってることを意味しているので、街としてはよくない傾向である。街ごと宿の関連なら潤うが、もはやそうではない。
花火だけじゃなく熱海の催しや客寄せのもので感じるのが、
ホテルや旅館は定員があり、それ以上の客を呼んでも無駄という考えが見える
企業として自身の経営だけ考える方針を間違いだとまでは言わないが、回り回ってどのように客が来ているのか考えてない。長年とホテル旅館や家族経営みたいな市政に牛耳られていたためバブル崩壊倒産や10年ほど前の財政危機に至ったわけだが、私には痛い目に遭っても何も学習してなかったように見える。
客のおおかたの心理として、人気で泊まれなかったから怒るではなく次の機会を狙う。ツウの客からは嫌われるようになったが、泊まれないからって京都は廃れただろうか?いや、大混雑のままだ。混雑の観光地、京都や大阪で起きている周辺に流れる効果があるのだが(デパートで言うシャワー効果)、誘客を宿の許容度で絞ってると150%、200%の要求から満室に至るのではなく、100%の満室から始までは空きが出る方向に落ちてゆくことにならないか。
花火なくてもいい と 花火がないとダメ では全く違う。それくらいわかるだろ。
その誘客の花火大会だが今年から回数を増やした。“何でもあるは、何もないのと一緒”、ロングラン開催とか言って更に特徴をなくした僻地があることをご存じないようだ。特別な日があるからこそ客は気にするのであって、しょっちゅうやってたら気にもとめなくなる。それは都心部生活者だといつでも行けるから、結局、東京タワー、今なら東京スカイツリーに上らないってのと同じ心理。
個人的だが、毎日のように開催する花火大会には用がない
それは熱海より伊東の傾向だが、伊東には按針祭8月10日があるが熱海には大規模開催日がない。
固有枠で補助金が出てるとなると公平性も考えるべきだ。そこを掘り下げると、別途ある「まちづくり事業費補助金」の審査員がとんでもなく偏りがある人、関係性が濃く不公平であると訴えておきたい。そういうのがまかり通るのも体制に“時差”がある古くさい証拠である。
よりよくするため、しているようでしてないのが市場調査でしょう。昭和から棚ボタ同然で成長したからバブル崩壊に耐えらず結果的に温泉地である景観を破壊してしまったよう個人経営者ばかりだと経営能力がなかった。それは今でも残っていると思われる。
経営手腕ではなく、市役所の策からマスコミ利用の結果なプチ・バブルが崩壊したら耐えられる能力があるとは微塵も考えられないのである。どんな大学を卒業して観光業を学ぼうとも客の動向を調査し続けていなければ経営者として失格だろう。
V字回復ってのもよく見ればリーマンショックと東日本大震災があったからで全国的にV字回復はしているのでマスコミの宣伝トリックだ。本格的にV字回復したと言えるのは、もっと先のことになる。熱海としてはそれより前から下降路線だった理由のほうが重要である。
各地で大手グループ企業の傘下に収まるのかもしれないが、そのほうが客のことをわかっているので客としても良いことかもしれない。ただし宿なら特徴がなくなると客足が遠のく可能性あり。
もはや景観を失ってしまって古風の温泉街で誘客することは不可能となったからには
早く進む時代の流れに乗れるかどうか…。
簡単、かつ、当たり前。 客のことは客にしかわからない。
コンサルタント業に客のことなんてわかるはずがない。客の意見を集めて欲しいものだ。
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