2017-12-16 Sat
各地に桜の花を観賞しに行ってると残念なのが人工物。住居にケチは付けられないが桜並木の横に廃物置き場を見ることも多い。仕方がないのと余計なお世話に分かれ、余計なお世話がライトアップの器具である。本当の祭りならまだしも、桜まつりって儀式じゃなく自然観賞でしょ。だから東京・上野公園みたいな宴会場なんてのは論外。夜のために昼間を犠牲にするという意味不明な行動。ビルか何か人工物の照明と勘違いしてると思う。宣伝言葉のように「ライトアップ」とか言うのだが、自然なものはビルの夜景でもなく工場萌えでもないだから、桜並木なんてのは多くが言う「昼間の方が圧倒的に綺麗」。それを汚してしまっているのが照明器具なのである。
特に空中配線は電線が走る都会で見る桜と同じで、わざわざお金使って遠方まで見に行ってる意味を打ち砕いてくれる。よかれと勘違いするのは都会に慣れきったまま来る(行く)客だからであって、気づかせてやれば電線なんて邪魔以外の何者でもない。取り付けてる側だが、夜間に電線や器具が見えないところで綺麗だとか時間停止=思考停止してるだろ。では昼間にじっくり配線を見ろよ。
呆れたのはライトアップのために桜の木を電柱がわりにしてるところもあった。桜の木に提灯が付いた線を渡して何が楽しいの? その状況、神輿が出て本当の祭りやってるなら許せるよ。そうじゃないんだ。
それとも俺たちはクリスマスツリーの桜版でも見せられているのか!?
じゃあ、もっと電飾付けてキラキラさせてくれ (嫌味)
# 嫌味だけどマジにやったらそれなりに客は集まりそうな感じがするので頭痛い
# クリスマス電飾は木が可哀想なくらい配線が巻き付けられてて昼間に見ると悲惨
テレビ制作、編集の大間違いも取り上げているが、その制作が「何かしないといけない」って妄想に取り憑かれ、ウザイ字幕を入れまくり映像を汚しておきながら仕事をした気になってるのと同じ。
ここにも当てはまると思う。立て直した元・あしかがフラワーパーク塚本園長の言葉 「何でもあるは何もないのと一緒」。客だからそこに完全同意できるわけで、全国の勘違い観光地がやろうとしているのは以前の足利が失敗した方法と同じ「日本全国酒飲み音頭」のよう1月は何、2月は何、3月は…という特徴をなくす馬鹿な行為なのだ。
桜の木は日本中にあるため特徴を作るための戦いだろうが、みんなやれば同じ無意味と化すのだ。今の時期にある電球の数の醜い争いのようなもので、始めたときの理由を忘れてしまってる。
何かするならば日常的な手入れであって花が咲くときに余計なことをすることではない!
余談だが、伊豆半島で真っ先に残念に思ったのが伊豆高原の桜である。道路(歩道)の狭い場所に根が埋まっており、同一直線上に電柱があり電線は桜の枝の間を通っている。上下二段で電線10本くらいは通っているため隠しようがなかった。そんな状態の桜並木なら東京都内にいくらでもある。
東京が悪いと思いがちだが幹線道路沿いのほうが電線が地中化されており見栄えがよくなっている。道路沿いだと街灯と標識は避けられないがね。そういうことだから以前より候補地は河川敷でも桜並木の土手の横に車道がないところを探している。
・事前調査の必要
事前にわかりにくいのが観光用の宣伝写真というのは見所のみの全景であって、実際に行ってみないとわからない事が多い。投稿写真が手がかりだが、うまい写真ほど隠した部分を撮るため、普通に何気なく撮られた写真を探すことになる。
日本人が外国に幻想を抱いて実際に行ってみると犯罪やら汚い町に嘆いて帰ってくることが多い。それと同じように期待を持たせておきながらの落胆要素が最も反感を買う。
例えば私が有名な場所より知られてない場所を選ぶ理由は現状での周辺環境の違いである。世間一般は知名度で行動しているだけであって比較してるわけじゃない。本当の良さを知れば話は違ってくるが、場所が遠いとか不便だってのと戦いでもある。だから、有名な場所に近いところで客が少ないからって勘違いなことをしでかすのを見てるのはいたたまれない。
ということで、せっかく電柱もない河川敷なんかに桜並木が続くところが多いってのに、わざわざ電線引っ張ってんじゃねぇー! と、怒りってから落胆することが実に多いのであった。
それではなぜ、何もない所が星空観賞という発想の転換で大勢がやってくるようになったのか? 何もない、真っ暗なままが功を奏したのだ。そこが何かやらかしていたら大勢が詰め寄せてきただろうか?
植林したのは自然じゃないけどさ、自然のものを自然に見せなくてどうするのか考えてみな。
こっちは一部の意見でしかないだから、どうぞご自由に と別の場所を探すのみである。
この記事に対するコメントの受付は終了しています。
コメント
先頭へ △