2017-12-18 Mon
ごく希に誤解があるが、ごく希であって日本の作者のほうが大多数において発表が遅く、それも海外作品のちょっと後が連鎖的となると、ある種の疑いが濃厚だと言わざるを得ない。古くさい信者もいるだろうがどう弁明するかな。
断片的に早いと言って疑惑が晴れるわけがないのが「2001: A Space Odyssey」 と続編 「2010: Odyssey Two」 からの日本のあの駄作映画「さよならジュピター」である。なぜなら同作者は映画化以前にアーサーCクラークのみならずスティーブンキングなど有名作との類似性が高すぎ。真似するなら越えろって言いたいが駄作だった。一方、「THE MIST」の映画の結末は原作を越えて衝撃的だった。
アメリカテレビの場合は結末を見ず視聴率が悪ければ打ち切る酷い有様で、番宣に釣られて見てつまらないと思った「4400未知からの生還者」、「アンダーザドーム」も打ち切られて結末がわからない。個人的には有名じゃなくても続きが見たかった「オデッセイ5」が20話で打ち切りなのにDVDが売られてること自体仰天。買った後で知ったら詐欺だって騒ぐでしょ。過去のヒット作のリメイクだらけになったのは失敗の解決策だったのかもしれない。
若き日の我が経典である「銀河英雄伝説」でも落胆したことがあるのが物語じゃなく登場メカであって出版社の入れ知恵か知らんがイゼルローン要塞、トールハンマー(同ガイエスブルグ要塞)は参考にしたとかいう言葉で逃げられない「スターウォーズ」のデススターそのものである。
21世紀 衛星放送時代になって東宝やら東映やらと古い作品がテレビ放送されるわけだが外国映画を元にした三流の便乗作品が実に多く恥ずかしくなる。聞かされてきたように、今は朝鮮だの中国が盗作に泥棒だの言ってるが昔の日本もパクリを恥じない時代だった。中朝との決定的な違いは中朝の作品には「そのまんまじゃん」ってのが大量に見られるが日本は丸パクリまで恥知らずな事はしない。それでも同じ日本人として恥ずかしいことに変わりはない。
調査結果として、スティーヴン・キングの「ザ・ミスト」は1980年(映画化は2007年と2017年)、小松左京の「首都消失」は1985年(映画化1989年)であった。最近に浸透してきた英語のオマージュに値するものとは到底おもえず日本人として恥ずかしい真似事が同じ人から何作も続いてるように見える。
同年代ということならば「ザ・ミスト」「ザ・フォッグ」のほうが疑惑が出る。
この流れを調べておかないと、スティーヴン・キングの「アンダー・ザ・ドーム」が「首都消失」のパクリだなんて間違って語ってしまう。「霧(ザ・ミスト)」、「呪われた町」など自分の作品の要素から取ってるからね。出版年代としてもスティーヴン・キングのほうが先だから。
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