2018-06-08 Fri
2018年6月5日放送 TBS「マツコの知らない世界」より 創業46年 スパゲッティー屋ピッティ銀座にしろ山の手にしろ見せかけな上品や金額に価値に見合わないほど割高とやら虚像を作り出したのは江戸っ子でなく外からやってきたカネに目がくらんだ連中であろう。自由が丘で働いていたときも隠れた場所ばかり行ってた。昔は自由が丘だって餃子の王将あったんだが、世間が勝手に盛り上げてお高くとまった店の範囲が拡大したため昭和の面影は次々と消された。そのくせ長生きできず新しく店舗ができても早く消える確率が高い。Googleストリートビューで記録されるごとに店が変わってる場所すらある。
たまたま前を通ったとき、かろうじて牛乳屋と肉屋が残っていたのが救いと感じたが、その並びは周囲からすると異質に見えてしまう。職場のすぐ近くは高級スーパーマーケットにランチ2500円なんて立て看板が出てる店ばかりだったから、遠くても肉屋の弁当か、ひかり街の総菜屋のおかずを選べる弁当ばっかりだったの思い出す。あとはファミレスくらい。借りてまで営業できないから当時から近くにコンビニはなかった。
スパゲッティー屋は暗い雰囲気の場所にあり、小さいスナックやバーが立ち並ぶ中にあったが、周囲の半数は建て変わってるよう。そして営業時間も変わって平日の昼は営業しなくなってた。ひかり街の2階もそんな雰囲気だったが様変わりしてしまったようだ。ピッティにしても総菜屋にしても自由が丘の異様な値段じゃなかったから命綱の一つだった。学生時代に広尾でバイトしてた時あったが裏手は下町情緒残る場所だったのだ。知名度に憧れて住んだ人(女性)がすぐ引っ越したのを思い出したが、仕事してれば暮らしにくいことすぐわかる。
頼むからテレビに出る連中はスパゲッティーと決まり切ってるものをパスタと呼ぶのをやめてくれ
2018-04-24 Tue
学生時代に友達の家の近くでちょくちょく行ってた喫茶店「サンクス」。夫婦でやってて確か小中学生の子が二人いて同じ建物の部屋に住んでいたのではないかと思う。学生終われば行動も変わるわけで、こちらからは交通の便も悪いから行かなくなった。知ってたのは1、2年間と短い期間。年月が経過し、思い出して行ってみたときは何も店舗営業してなかった。当時パソコン通信はあったがデジカメはまだない時代だから画像としての情報がない。Googleストリートビュー2009年で喫茶店「ふれあい」、そして2014年で「焼酎Bar 海月(くらげ)」となってることはわかったが、そこのfacebookも2016年2月で停止。20世紀末の知りたい時期がすっぽり抜けてしまってる。私が学生当時にプラス20歳くらいと想定すると、もう引退するような年齢に達してるから同じ人が店名を変えて復活させてるとは考えにくいか。
2018-01-24 Wed
昨年の5月から気になってる氷の量だが、昼過ぎて暇な時間になったから隙間に尋ねてみた。すると氷を入れる量は私の予測と違って年間同じ量だと言う。外気温が違うのにそのシステムはおかしだろ。S/M/Lでどうなるか尋ねるのを忘れてしまったが、Sサイズなんて注文したことがないからMとLになるが、現実からするとマニュアル通りとはならず接客した人によって違うってのが私なりの統計だ。ボタンを押して氷も出てくるシステムだったとしても、量が違って思うことがあったのなら元の液体の温度が違い溶けると考えるのが筋。完全解決までもう一歩。
でも悟った。客が気温とか考えて氷の量を少なめ多めの注文を付けるしかないと。
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