2019-05-06 Mon
赤い服の芸人じゃないから電波は見えないけど電磁波なんてそこら中に飛び交っており、電波と光は距離の2乗に反比例で減衰するから近隣と言えども宅内の機器や携帯電話のほうがよっぽど危険であることおわかりなく、危険と謳うならば高電流である発電所からの送電線規模になろうが数十メートル離れた送電線も科学的に危険性がない言うことはできないため社会生活上の議論対象である。だが可能性としては交通事故やら他の危険より安全だと言える。混雑問題にて電車の運行本数が増やせない理由を逆引きしてゆき電力に辿り着いたが、調べられる建設予定地からすると俗に言う“放射脳”な人たちの反対活動が近代社会構造を妨害していた。
昔からの流れを見てきてると、そうした移民者の自己中は繰り返されてきて、お前らが集団で都会に住み着きやがったから問題が勃発して必要なのに、自分の近くは嫌だと蹴飛ばし合っている。
ダイオキシンの人間に対する危険性は外国での流出事故から嘘=毒性はあるが著しく低いと判明しても一度発表された危険は払拭されずゴミ焼却場に大反対が起きる。だったらゴミ捨てるな、そして東京から去れって言いたくなる。
同じように電車の混雑があるわけだが、昭和末期、少年時代の通学を切り抜けてきた私からすると今のラッシュアワーなど屁でもない。結局は、そんなこと少しの混雑電車も知らねぇ連中が都心部に集まってきやがってグタグタ抜かしている。
高齢者に席を譲らない問題も、自己中、いつでも座れる環境からの流れなど同種である。通称「チャリカス」(自転車で自分勝手に違法走行する奴ら)も他人様へ迷惑をかけないことが第一である集団生活を知らねえ連中の仕業だ。カスともクズとも言うのは簡単だが、自覚症状がない「哀れな人間」である。怒るのは救いがあるが、哀れって表現は救いがない状態を示す。
江戸っ子から見れば昔からいけ好かねぇ連中が集まった山の手方面とかマツコデラックスも大嫌いを表現してる横浜とかお高くとまった連中が住む所は当然ながら新興住宅地だから都市生活不適合者の巣窟。名誉のために言えば横浜より川崎の連中のほうが桁違いに酷い。
東急田園都市線の混雑がどうのと文句を言いながら、町田変電所は住民の反対で中止、すずかけ台の変電所も住民の反対で中止。そんなことばっかり。増発しろって増発できねぇーよ。事故が起きて止まるが自己中に反対されててバックアップ施設も建設できねぇーよ。そうした施設だが、なぜシールドを施した建設をしないのか?カネを問題にするなら鉄道会社も自分勝手な住民と同次元である。
他人のことも考えられない、他人から怒られもせず育ち、小さい頃から自分勝手が許されるから、下下下の与太郎にしか育たない。こちらとして解答は出ていて「人間のほうが落ちぶれた」である。不道徳ではなく犯罪者が増えたことで明白であるが、バイトテロだの、あおり運転だのって、落ちぶれた日本人は完全に証明されてる。交通違反問題はネット社会で知れ渡る前から地方の得意技であったが、原点は同じで自分勝手が許される環境で、それを阻害されると怒り(逆ギレ)に転じる哀れな人間を量産してことポツンと「田舎の人はいい人だ」とつぶやくよう理解してない。子孫は都会で育っても順応せず自己中を繰り返す。
電車を題材にしたので駅のことで語れば、昔の駅のプラットホームは桁違いな大混雑があったのに、なぜ、今になってホームドアなの? 自殺する奴は何をしても無駄なので以外で考え、では昭和には毎日のよう転落で大勢が死傷者でてたのだろうか?いや、出てないよ。小学生の高学年から電車で通ってましたけど確率的には発生していても現在ほど聞いたためしがない。ですから人間が落ちぶれたという答えしか出せない。 ながらスマホがどんな加害行為に繋がるかも理解できない能無しですからね。
日常的に加害行為だらけ被害者に出くわさないだけだと早く気づいて欲しい。そのまま送り込まれてくる犯罪級の人々は過去より始まっているが、近年は問題が加速しすぎており都市生活不適合ぶりには付ける薬がない。
フジテレビ「とくダネ」がチャリカス問題を扱ってた。つづく…。
≪ 続きを隠す
ダイオキシンの人間に対する危険性は外国での流出事故から嘘=毒性はあるが著しく低いと判明しても一度発表された危険は払拭されずゴミ焼却場に大反対が起きる。だったらゴミ捨てるな、そして東京から去れって言いたくなる。
同じように電車の混雑があるわけだが、昭和末期、少年時代の通学を切り抜けてきた私からすると今のラッシュアワーなど屁でもない。結局は、そんなこと少しの混雑電車も知らねぇ連中が都心部に集まってきやがってグタグタ抜かしている。
高齢者に席を譲らない問題も、自己中、いつでも座れる環境からの流れなど同種である。通称「チャリカス」(自転車で自分勝手に違法走行する奴ら)も他人様へ迷惑をかけないことが第一である集団生活を知らねえ連中の仕業だ。カスともクズとも言うのは簡単だが、自覚症状がない「哀れな人間」である。怒るのは救いがあるが、哀れって表現は救いがない状態を示す。
江戸っ子から見れば昔からいけ好かねぇ連中が集まった山の手方面とかマツコデラックスも大嫌いを表現してる横浜とかお高くとまった連中が住む所は当然ながら新興住宅地だから都市生活不適合者の巣窟。名誉のために言えば横浜より川崎の連中のほうが桁違いに酷い。
東急田園都市線の混雑がどうのと文句を言いながら、町田変電所は住民の反対で中止、すずかけ台の変電所も住民の反対で中止。そんなことばっかり。増発しろって増発できねぇーよ。事故が起きて止まるが自己中に反対されててバックアップ施設も建設できねぇーよ。そうした施設だが、なぜシールドを施した建設をしないのか?カネを問題にするなら鉄道会社も自分勝手な住民と同次元である。
他人のことも考えられない、他人から怒られもせず育ち、小さい頃から自分勝手が許されるから、下下下の与太郎にしか育たない。こちらとして解答は出ていて「人間のほうが落ちぶれた」である。不道徳ではなく犯罪者が増えたことで明白であるが、バイトテロだの、あおり運転だのって、落ちぶれた日本人は完全に証明されてる。交通違反問題はネット社会で知れ渡る前から地方の得意技であったが、原点は同じで自分勝手が許される環境で、それを阻害されると怒り(逆ギレ)に転じる哀れな人間を量産してことポツンと「田舎の人はいい人だ」とつぶやくよう理解してない。子孫は都会で育っても順応せず自己中を繰り返す。
電車を題材にしたので駅のことで語れば、昔の駅のプラットホームは桁違いな大混雑があったのに、なぜ、今になってホームドアなの? 自殺する奴は何をしても無駄なので以外で考え、では昭和には毎日のよう転落で大勢が死傷者でてたのだろうか?いや、出てないよ。小学生の高学年から電車で通ってましたけど確率的には発生していても現在ほど聞いたためしがない。ですから人間が落ちぶれたという答えしか出せない。 ながらスマホがどんな加害行為に繋がるかも理解できない能無しですからね。
日常的に加害行為だらけ被害者に出くわさないだけだと早く気づいて欲しい。そのまま送り込まれてくる犯罪級の人々は過去より始まっているが、近年は問題が加速しすぎており都市生活不適合ぶりには付ける薬がない。
フジテレビ「とくダネ」がチャリカス問題を扱ってた。つづく…。
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| emisaki | 2019-05-06 Mon 22:43 | 交通::情報・考察・計画 |
2019-05-06 Mon
羽黒山の修行僧が作った2446段の参道と違い、近代に作り出した残念スポットとして以前にも取り上げたのは熊本県の3333段と長崎県の8888段で、蛇行する上り坂があったのにわざわざ石段を作ったり、ハイキングコース的な山道に丸太で段を作ったなんて、数えてないだけで他所にもいくらでもありそうだしゾロ目の段数からプンプン臭ってくるよう歴史もなく幼稚な競争だから俺の怒りを買った。これは本件とは別の意味でいい加減というより呆れた数値のこと。そんな感じで少数じゃなく多方面から調べてると、いい加減なデータが多数見つかる。出羽三山神社の開山が592年だの590年だの見つかったので、元号で「推古元年」となっているから複数面から調べ直すと西暦593年と出た。出羽三山神社のウェブサイトにも593年と書かれている。推古元年で西暦何年と知ってるなら間違えるはずもなく、知らないなら調べるわけで、調べて間違えるってどういうことなんだ!?
日常的にテレビ番組で、いい加減な情報、明らかに間違ってる情報までも伝えられてきたことで、再確認するようになっていたことが救いだった。それでも情報漏れによる誤認識が生じるくらいだ。そんなことで前から反論してるように、間違えだらけとまで言えるマスメディア側はネット社会に対して個人が適当なことぬかしていると言える状態にはない。
ネット社会には昔から他者が正すという自浄作用と言える動きもあるが、テレビ番組だと字幕の誤植は平謝りでも、内容に関しては大きな捏造事件でもない限り謝ってるのを見たことがない(裏で電話クレーマーは多数いそうだがね)。完全に間違った情報を流しながら訂正しないのである。ニュース番組でさえあるが「きのうの放送で○○に関して間違っておりました」と言われても、見なかった人には真実のままなのだ。そこがネット投稿のよう時系列で残らない問題。企業なら製品障害やらリコールをサポートページで見ることができるが、テレビ局のウェブサイトで訂正一覧なんてページは見たことがない。
<熊野那智大社への参道の石段数にも異なる数字>
たまたま調べた中で、出羽三山神社の開山年だけじゃなく続けて間違った数字が出てきた。
複数箇所を調べまくった上でのことじゃなく、自分が行ったところとしても先日にNHK「ブラタモリ」で放送されたこともあり熊野那智大社を再確認したらネット検索において石段の段数に異なる数字が登場するので、どっちか間違ってることになる。
「熊野那智大社」トップページから下へスクロールし「社殿案内」のPDFがある。そこに「参道登り口より石段473段」と記載されている。そのPDFには記載されてないが詳しくは、
登り口から二ノ鳥居まで470段、拝殿の3段を含めて473段とあった(大門坂は含まず)
ネット上を飛び交ってるのは467段という数字。熊野那智大社で調べてたときに個人ブログで多数を見かけた467段なる数字は出所不詳である。個人と言えども、4travel だの TripAdvisor なる大手の投稿が原因で他者は検索して見つけたのを確認もせず真似して書いて広まったと推測できる。
そういう私も知名度(和製英語でネームバリュー)に弱く信じがちだが、さんざんテレビ番組に騙されてきた経験からテレビ番組の情報を疑いの目で見るようになったの忘れてた。現に間違えばかりだから、しょっちゅう取り上げてるのにね。467のほうが溢れかえってるから統計的に正しいと思ってしまうのも不思議ではない。
普通ならば大勢が言ってるほうが正しい可能性が高いのだが、みんなが書くようになっても間違ってるのを真似しているだけなら数のチカラも通じない。まるで東京に住みついた傍若無人な田舎者と同じで大多数でも狂ってるのはお前らのほうだから正しいこと多数決でねじ曲げることはできないんだよ。
熱海市の伊豆山神社の参道では異なる段数が出ていたため公式に数える催しが開催された。そのよう段数を数えたなるページも見つからず、誰か個人的に数えても社殿(拝殿)を数えない場合はよくあるが、だとしても470と467で3段の差が埋まらない。石段を上って行くと上り方向で段の垂直面の左端に数字が書かれてる箇所があるが、それが本家で数えた段数だと思う。
数え間違えてるのに467と最初に書いた人の数字が一人歩きしたのでしょう。
行った人が深く考えてないなと思うのも、大門坂から熊野那智大社まで石段を上ってるのに467段という数字を出している投稿を複数見つけた。どの区間か説明してないので誤解を招く。
私も計算するまで変なことに気づかないではなく、気にもしてなかったのだが、いつも標高を確認しているから高低差を算出して段数で割ってみたら46センチとか出ちゃって、これは単純計算にしても何か間違ってると思ったのが調査のきっかけ。
そこで Googleストリートビュー があったため登り口から那智大社社殿まで数えながら上ったところ、辿り着く前に4百段を越えたので473段は那智山バス停(登り口)から整備された石段部分のみであることが判明。ならば1段あたりも単純計算で18センチとなった。
同じように大門坂部分を単純計算すると45センチとなり上記で示したよう「まだ間違ってるのか?」と考えそうだが、実は大門坂は石段も踊り場も全てが傾斜している。1段が45センチなわけないので段差部分は20センチほどでも全体が坂道だから段差以上に上ってるわけ。そして実質的に大門坂の石段がある前後の坂道を含めた高低差を段数で割ってしまうと狂う。
石自体も平らではなく前後左右に傾きがあるから段数から思い込むより道のりは大変に厳しかったので当時に「837段の伊豆山神社よりキツイ」と表現した。砂岩だろうと人間からすれば硬いわけで観光客くらいの人数じゃ削られないってことか。砂岩だからこそスパっと平らに割れないので歩きにくくなったんだろう。通行料金を取っていたよう何百年前なら山道および参道にしては「すごく良い道」だったのか?
「社殿案内」PDFよると大門坂は267段と書いてある。大門坂を上り切ると一端平地に出て石畳の道があり、突き当たりから左が坂道で駐車場に出る道、左が土産物屋の横に出る階段で参道に近いほうだが、そこの階段は段数に含まれるのか不明だった。
→ 熊野那智大社
石段の数くらい どーでもいいけど、どうでも良くない間違いもあるわけ。
ですから数字の問題じゃなく「確認を怠る」ことが問題であると、テレビ番組の間違えでも一貫して訴えかけてきたことです。特にテレビ出演者は無責任ばかりで知りもしないくせに、そのまま使うから世間に間違えを蔓延させてしまう。
今回の調査としては、本家が書いているというのに出所不詳の投稿を信じて連鎖的に間違った情報が広まってることがわかったこと。そんなの信じて記載してしまったら私なら自己嫌悪に陥るから手を抜かずに調べろってことだよ。
ところがさ、現地で尋ねるとわかることも、ネット上だとどこにも正解がないってこと、そこそこあるから困るんだ。私が小僧の頃に大手企業がインターネットを利用してもカタログ以下のことしかできないと批判したのだが、大企業は越えてきたものの、それから20年くらい経過しても世間の多くに対して同じ批判をしなければならないとは考えもしなかった。
余談だが、観光地がらみで情報を得てると宣伝母体(観光協会など)のくせに掲載内容に制限がないに等しいウェブサイトがパンフレット、チラシ以下って多くが見つかるので「使えない内容はいらないからパンフレットのPDFだけダウンロードできるようしとけ、ボケ!」って愚痴りたくもなるわけ。日本橋プラザビルに置いてある全国観光地のパンフレットの中から駄目なのを扱ったテレビ番組を思い出すが、たぶん何が悪いかも理解してなく教訓になってもないのかもね。
確認においては他人のことばかり言ってられないので気をつけたい。
だが、マスメディアなる商売人と違って個人には制約と限界があるのだ。
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ネット社会には昔から他者が正すという自浄作用と言える動きもあるが、テレビ番組だと字幕の誤植は平謝りでも、内容に関しては大きな捏造事件でもない限り謝ってるのを見たことがない(裏で電話クレーマーは多数いそうだがね)。完全に間違った情報を流しながら訂正しないのである。ニュース番組でさえあるが「きのうの放送で○○に関して間違っておりました」と言われても、見なかった人には真実のままなのだ。そこがネット投稿のよう時系列で残らない問題。企業なら製品障害やらリコールをサポートページで見ることができるが、テレビ局のウェブサイトで訂正一覧なんてページは見たことがない。
<熊野那智大社への参道の石段数にも異なる数字>
たまたま調べた中で、出羽三山神社の開山年だけじゃなく続けて間違った数字が出てきた。
複数箇所を調べまくった上でのことじゃなく、自分が行ったところとしても先日にNHK「ブラタモリ」で放送されたこともあり熊野那智大社を再確認したらネット検索において石段の段数に異なる数字が登場するので、どっちか間違ってることになる。
「熊野那智大社」トップページから下へスクロールし「社殿案内」のPDFがある。そこに「参道登り口より石段473段」と記載されている。そのPDFには記載されてないが詳しくは、
登り口から二ノ鳥居まで470段、拝殿の3段を含めて473段とあった(大門坂は含まず)
ネット上を飛び交ってるのは467段という数字。熊野那智大社で調べてたときに個人ブログで多数を見かけた467段なる数字は出所不詳である。個人と言えども、4travel だの TripAdvisor なる大手の投稿が原因で他者は検索して見つけたのを確認もせず真似して書いて広まったと推測できる。
そういう私も知名度(和製英語でネームバリュー)に弱く信じがちだが、さんざんテレビ番組に騙されてきた経験からテレビ番組の情報を疑いの目で見るようになったの忘れてた。現に間違えばかりだから、しょっちゅう取り上げてるのにね。467のほうが溢れかえってるから統計的に正しいと思ってしまうのも不思議ではない。
普通ならば大勢が言ってるほうが正しい可能性が高いのだが、みんなが書くようになっても間違ってるのを真似しているだけなら数のチカラも通じない。まるで東京に住みついた傍若無人な田舎者と同じで大多数でも狂ってるのはお前らのほうだから正しいこと多数決でねじ曲げることはできないんだよ。
熱海市の伊豆山神社の参道では異なる段数が出ていたため公式に数える催しが開催された。そのよう段数を数えたなるページも見つからず、誰か個人的に数えても社殿(拝殿)を数えない場合はよくあるが、だとしても470と467で3段の差が埋まらない。石段を上って行くと上り方向で段の垂直面の左端に数字が書かれてる箇所があるが、それが本家で数えた段数だと思う。
数え間違えてるのに467と最初に書いた人の数字が一人歩きしたのでしょう。
行った人が深く考えてないなと思うのも、大門坂から熊野那智大社まで石段を上ってるのに467段という数字を出している投稿を複数見つけた。どの区間か説明してないので誤解を招く。
私も計算するまで変なことに気づかないではなく、気にもしてなかったのだが、いつも標高を確認しているから高低差を算出して段数で割ってみたら46センチとか出ちゃって、これは単純計算にしても何か間違ってると思ったのが調査のきっかけ。
そこで Googleストリートビュー があったため登り口から那智大社社殿まで数えながら上ったところ、辿り着く前に4百段を越えたので473段は那智山バス停(登り口)から整備された石段部分のみであることが判明。ならば1段あたりも単純計算で18センチとなった。
同じように大門坂部分を単純計算すると45センチとなり上記で示したよう「まだ間違ってるのか?」と考えそうだが、実は大門坂は石段も踊り場も全てが傾斜している。1段が45センチなわけないので段差部分は20センチほどでも全体が坂道だから段差以上に上ってるわけ。そして実質的に大門坂の石段がある前後の坂道を含めた高低差を段数で割ってしまうと狂う。
石自体も平らではなく前後左右に傾きがあるから段数から思い込むより道のりは大変に厳しかったので当時に「837段の伊豆山神社よりキツイ」と表現した。砂岩だろうと人間からすれば硬いわけで観光客くらいの人数じゃ削られないってことか。砂岩だからこそスパっと平らに割れないので歩きにくくなったんだろう。通行料金を取っていたよう何百年前なら山道および参道にしては「すごく良い道」だったのか?
「社殿案内」PDFよると大門坂は267段と書いてある。大門坂を上り切ると一端平地に出て石畳の道があり、突き当たりから左が坂道で駐車場に出る道、左が土産物屋の横に出る階段で参道に近いほうだが、そこの階段は段数に含まれるのか不明だった。
→ 熊野那智大社
石段の数くらい どーでもいいけど、どうでも良くない間違いもあるわけ。
ですから数字の問題じゃなく「確認を怠る」ことが問題であると、テレビ番組の間違えでも一貫して訴えかけてきたことです。特にテレビ出演者は無責任ばかりで知りもしないくせに、そのまま使うから世間に間違えを蔓延させてしまう。
今回の調査としては、本家が書いているというのに出所不詳の投稿を信じて連鎖的に間違った情報が広まってることがわかったこと。そんなの信じて記載してしまったら私なら自己嫌悪に陥るから手を抜かずに調べろってことだよ。
ところがさ、現地で尋ねるとわかることも、ネット上だとどこにも正解がないってこと、そこそこあるから困るんだ。私が小僧の頃に大手企業がインターネットを利用してもカタログ以下のことしかできないと批判したのだが、大企業は越えてきたものの、それから20年くらい経過しても世間の多くに対して同じ批判をしなければならないとは考えもしなかった。
余談だが、観光地がらみで情報を得てると宣伝母体(観光協会など)のくせに掲載内容に制限がないに等しいウェブサイトがパンフレット、チラシ以下って多くが見つかるので「使えない内容はいらないからパンフレットのPDFだけダウンロードできるようしとけ、ボケ!」って愚痴りたくもなるわけ。日本橋プラザビルに置いてある全国観光地のパンフレットの中から駄目なのを扱ったテレビ番組を思い出すが、たぶん何が悪いかも理解してなく教訓になってもないのかもね。
確認においては他人のことばかり言ってられないので気をつけたい。
だが、マスメディアなる商売人と違って個人には制約と限界があるのだ。
≪ 続きを隠す
| emisaki | 2019-05-06 Mon 11:31 | 旅・散策と行事::考察・批評 |
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