2019-05-06 Mon
羽黒山の修行僧が作った2446段の参道と違い、近代に作り出した残念スポットとして以前にも取り上げたのは熊本県の3333段と長崎県の8888段で、蛇行する上り坂があったのにわざわざ石段を作ったり、ハイキングコース的な山道に丸太で段を作ったなんて、数えてないだけで他所にもいくらでもありそうだしゾロ目の段数からプンプン臭ってくるよう歴史もなく幼稚な競争だから俺の怒りを買った。これは本件とは別の意味でいい加減というより呆れた数値のこと。そんな感じで少数じゃなく多方面から調べてると、いい加減なデータが多数見つかる。出羽三山神社の開山が592年だの590年だの見つかったので、元号で「推古元年」となっているから複数面から調べ直すと西暦593年と出た。出羽三山神社のウェブサイトにも593年と書かれている。推古元年で西暦何年と知ってるなら間違えるはずもなく、知らないなら調べるわけで、調べて間違えるってどういうことなんだ!?
日常的にテレビ番組で、いい加減な情報、明らかに間違ってる情報までも伝えられてきたことで、再確認するようになっていたことが救いだった。それでも情報漏れによる誤認識が生じるくらいだ。そんなことで前から反論してるように、間違えだらけとまで言えるマスメディア側はネット社会に対して個人が適当なことぬかしていると言える状態にはない。
ネット社会には昔から他者が正すという自浄作用と言える動きもあるが、テレビ番組だと字幕の誤植は平謝りでも、内容に関しては大きな捏造事件でもない限り謝ってるのを見たことがない(裏で電話クレーマーは多数いそうだがね)。完全に間違った情報を流しながら訂正しないのである。ニュース番組でさえあるが「きのうの放送で○○に関して間違っておりました」と言われても、見なかった人には真実のままなのだ。そこがネット投稿のよう時系列で残らない問題。企業なら製品障害やらリコールをサポートページで見ることができるが、テレビ局のウェブサイトで訂正一覧なんてページは見たことがない。
<熊野那智大社への参道の石段数にも異なる数字>
たまたま調べた中で、出羽三山神社の開山年だけじゃなく続けて間違った数字が出てきた。
複数箇所を調べまくった上でのことじゃなく、自分が行ったところとしても先日にNHK「ブラタモリ」で放送されたこともあり熊野那智大社を再確認したらネット検索において石段の段数に異なる数字が登場するので、どっちか間違ってることになる。
「熊野那智大社」トップページから下へスクロールし「社殿案内」のPDFがある。そこに「参道登り口より石段473段」と記載されている。そのPDFには記載されてないが詳しくは、
登り口から二ノ鳥居まで470段、拝殿の3段を含めて473段とあった(大門坂は含まず)
ネット上を飛び交ってるのは467段という数字。熊野那智大社で調べてたときに個人ブログで多数を見かけた467段なる数字は出所不詳である。個人と言えども、4travel だの TripAdvisor なる大手の投稿が原因で他者は検索して見つけたのを確認もせず真似して書いて広まったと推測できる。
そういう私も知名度(和製英語でネームバリュー)に弱く信じがちだが、さんざんテレビ番組に騙されてきた経験からテレビ番組の情報を疑いの目で見るようになったの忘れてた。現に間違えばかりだから、しょっちゅう取り上げてるのにね。467のほうが溢れかえってるから統計的に正しいと思ってしまうのも不思議ではない。
普通ならば大勢が言ってるほうが正しい可能性が高いのだが、みんなが書くようになっても間違ってるのを真似しているだけなら数のチカラも通じない。まるで東京に住みついた傍若無人な田舎者と同じで大多数でも狂ってるのはお前らのほうだから正しいこと多数決でねじ曲げることはできないんだよ。
熱海市の伊豆山神社の参道では異なる段数が出ていたため公式に数える催しが開催された。そのよう段数を数えたなるページも見つからず、誰か個人的に数えても社殿(拝殿)を数えない場合はよくあるが、だとしても470と467で3段の差が埋まらない。石段を上って行くと上り方向で段の垂直面の左端に数字が書かれてる箇所があるが、それが本家で数えた段数だと思う。
数え間違えてるのに467と最初に書いた人の数字が一人歩きしたのでしょう。
行った人が深く考えてないなと思うのも、大門坂から熊野那智大社まで石段を上ってるのに467段という数字を出している投稿を複数見つけた。どの区間か説明してないので誤解を招く。
私も計算するまで変なことに気づかないではなく、気にもしてなかったのだが、いつも標高を確認しているから高低差を算出して段数で割ってみたら46センチとか出ちゃって、これは単純計算にしても何か間違ってると思ったのが調査のきっかけ。
そこで Googleストリートビュー があったため登り口から那智大社社殿まで数えながら上ったところ、辿り着く前に4百段を越えたので473段は那智山バス停(登り口)から整備された石段部分のみであることが判明。ならば1段あたりも単純計算で18センチとなった。
同じように大門坂部分を単純計算すると45センチとなり上記で示したよう「まだ間違ってるのか?」と考えそうだが、実は大門坂は石段も踊り場も全てが傾斜している。1段が45センチなわけないので段差部分は20センチほどでも全体が坂道だから段差以上に上ってるわけ。そして実質的に大門坂の石段がある前後の坂道を含めた高低差を段数で割ってしまうと狂う。
石自体も平らではなく前後左右に傾きがあるから段数から思い込むより道のりは大変に厳しかったので当時に「837段の伊豆山神社よりキツイ」と表現した。砂岩だろうと人間からすれば硬いわけで観光客くらいの人数じゃ削られないってことか。砂岩だからこそスパっと平らに割れないので歩きにくくなったんだろう。通行料金を取っていたよう何百年前なら山道および参道にしては「すごく良い道」だったのか?
「社殿案内」PDFよると大門坂は267段と書いてある。大門坂を上り切ると一端平地に出て石畳の道があり、突き当たりから左が坂道で駐車場に出る道、左が土産物屋の横に出る階段で参道に近いほうだが、そこの階段は段数に含まれるのか不明だった。
→ 熊野那智大社
石段の数くらい どーでもいいけど、どうでも良くない間違いもあるわけ。
ですから数字の問題じゃなく「確認を怠る」ことが問題であると、テレビ番組の間違えでも一貫して訴えかけてきたことです。特にテレビ出演者は無責任ばかりで知りもしないくせに、そのまま使うから世間に間違えを蔓延させてしまう。
今回の調査としては、本家が書いているというのに出所不詳の投稿を信じて連鎖的に間違った情報が広まってることがわかったこと。そんなの信じて記載してしまったら私なら自己嫌悪に陥るから手を抜かずに調べろってことだよ。
ところがさ、現地で尋ねるとわかることも、ネット上だとどこにも正解がないってこと、そこそこあるから困るんだ。私が小僧の頃に大手企業がインターネットを利用してもカタログ以下のことしかできないと批判したのだが、大企業は越えてきたものの、それから20年くらい経過しても世間の多くに対して同じ批判をしなければならないとは考えもしなかった。
余談だが、観光地がらみで情報を得てると宣伝母体(観光協会など)のくせに掲載内容に制限がないに等しいウェブサイトがパンフレット、チラシ以下って多くが見つかるので「使えない内容はいらないからパンフレットのPDFだけダウンロードできるようしとけ、ボケ!」って愚痴りたくもなるわけ。日本橋プラザビルに置いてある全国観光地のパンフレットの中から駄目なのを扱ったテレビ番組を思い出すが、たぶん何が悪いかも理解してなく教訓になってもないのかもね。
確認においては他人のことばかり言ってられないので気をつけたい。
だが、マスメディアなる商売人と違って個人には制約と限界があるのだ。
≪ 続きを隠す
ネット社会には昔から他者が正すという自浄作用と言える動きもあるが、テレビ番組だと字幕の誤植は平謝りでも、内容に関しては大きな捏造事件でもない限り謝ってるのを見たことがない(裏で電話クレーマーは多数いそうだがね)。完全に間違った情報を流しながら訂正しないのである。ニュース番組でさえあるが「きのうの放送で○○に関して間違っておりました」と言われても、見なかった人には真実のままなのだ。そこがネット投稿のよう時系列で残らない問題。企業なら製品障害やらリコールをサポートページで見ることができるが、テレビ局のウェブサイトで訂正一覧なんてページは見たことがない。
<熊野那智大社への参道の石段数にも異なる数字>
たまたま調べた中で、出羽三山神社の開山年だけじゃなく続けて間違った数字が出てきた。
複数箇所を調べまくった上でのことじゃなく、自分が行ったところとしても先日にNHK「ブラタモリ」で放送されたこともあり熊野那智大社を再確認したらネット検索において石段の段数に異なる数字が登場するので、どっちか間違ってることになる。
「熊野那智大社」トップページから下へスクロールし「社殿案内」のPDFがある。そこに「参道登り口より石段473段」と記載されている。そのPDFには記載されてないが詳しくは、
登り口から二ノ鳥居まで470段、拝殿の3段を含めて473段とあった(大門坂は含まず)
ネット上を飛び交ってるのは467段という数字。熊野那智大社で調べてたときに個人ブログで多数を見かけた467段なる数字は出所不詳である。個人と言えども、4travel だの TripAdvisor なる大手の投稿が原因で他者は検索して見つけたのを確認もせず真似して書いて広まったと推測できる。
そういう私も知名度(和製英語でネームバリュー)に弱く信じがちだが、さんざんテレビ番組に騙されてきた経験からテレビ番組の情報を疑いの目で見るようになったの忘れてた。現に間違えばかりだから、しょっちゅう取り上げてるのにね。467のほうが溢れかえってるから統計的に正しいと思ってしまうのも不思議ではない。
普通ならば大勢が言ってるほうが正しい可能性が高いのだが、みんなが書くようになっても間違ってるのを真似しているだけなら数のチカラも通じない。まるで東京に住みついた傍若無人な田舎者と同じで大多数でも狂ってるのはお前らのほうだから正しいこと多数決でねじ曲げることはできないんだよ。
熱海市の伊豆山神社の参道では異なる段数が出ていたため公式に数える催しが開催された。そのよう段数を数えたなるページも見つからず、誰か個人的に数えても社殿(拝殿)を数えない場合はよくあるが、だとしても470と467で3段の差が埋まらない。石段を上って行くと上り方向で段の垂直面の左端に数字が書かれてる箇所があるが、それが本家で数えた段数だと思う。
数え間違えてるのに467と最初に書いた人の数字が一人歩きしたのでしょう。
行った人が深く考えてないなと思うのも、大門坂から熊野那智大社まで石段を上ってるのに467段という数字を出している投稿を複数見つけた。どの区間か説明してないので誤解を招く。
私も計算するまで変なことに気づかないではなく、気にもしてなかったのだが、いつも標高を確認しているから高低差を算出して段数で割ってみたら46センチとか出ちゃって、これは単純計算にしても何か間違ってると思ったのが調査のきっかけ。
そこで Googleストリートビュー があったため登り口から那智大社社殿まで数えながら上ったところ、辿り着く前に4百段を越えたので473段は那智山バス停(登り口)から整備された石段部分のみであることが判明。ならば1段あたりも単純計算で18センチとなった。
同じように大門坂部分を単純計算すると45センチとなり上記で示したよう「まだ間違ってるのか?」と考えそうだが、実は大門坂は石段も踊り場も全てが傾斜している。1段が45センチなわけないので段差部分は20センチほどでも全体が坂道だから段差以上に上ってるわけ。そして実質的に大門坂の石段がある前後の坂道を含めた高低差を段数で割ってしまうと狂う。
石自体も平らではなく前後左右に傾きがあるから段数から思い込むより道のりは大変に厳しかったので当時に「837段の伊豆山神社よりキツイ」と表現した。砂岩だろうと人間からすれば硬いわけで観光客くらいの人数じゃ削られないってことか。砂岩だからこそスパっと平らに割れないので歩きにくくなったんだろう。通行料金を取っていたよう何百年前なら山道および参道にしては「すごく良い道」だったのか?
「社殿案内」PDFよると大門坂は267段と書いてある。大門坂を上り切ると一端平地に出て石畳の道があり、突き当たりから左が坂道で駐車場に出る道、左が土産物屋の横に出る階段で参道に近いほうだが、そこの階段は段数に含まれるのか不明だった。
→ 熊野那智大社
石段の数くらい どーでもいいけど、どうでも良くない間違いもあるわけ。
ですから数字の問題じゃなく「確認を怠る」ことが問題であると、テレビ番組の間違えでも一貫して訴えかけてきたことです。特にテレビ出演者は無責任ばかりで知りもしないくせに、そのまま使うから世間に間違えを蔓延させてしまう。
今回の調査としては、本家が書いているというのに出所不詳の投稿を信じて連鎖的に間違った情報が広まってることがわかったこと。そんなの信じて記載してしまったら私なら自己嫌悪に陥るから手を抜かずに調べろってことだよ。
ところがさ、現地で尋ねるとわかることも、ネット上だとどこにも正解がないってこと、そこそこあるから困るんだ。私が小僧の頃に大手企業がインターネットを利用してもカタログ以下のことしかできないと批判したのだが、大企業は越えてきたものの、それから20年くらい経過しても世間の多くに対して同じ批判をしなければならないとは考えもしなかった。
余談だが、観光地がらみで情報を得てると宣伝母体(観光協会など)のくせに掲載内容に制限がないに等しいウェブサイトがパンフレット、チラシ以下って多くが見つかるので「使えない内容はいらないからパンフレットのPDFだけダウンロードできるようしとけ、ボケ!」って愚痴りたくもなるわけ。日本橋プラザビルに置いてある全国観光地のパンフレットの中から駄目なのを扱ったテレビ番組を思い出すが、たぶん何が悪いかも理解してなく教訓になってもないのかもね。
確認においては他人のことばかり言ってられないので気をつけたい。
だが、マスメディアなる商売人と違って個人には制約と限界があるのだ。
≪ 続きを隠す
| emisaki | 2019-05-06 Mon 11:31 | 旅・散策と行事::考察・批評 |
先頭へ △