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BS CSブースター 安物買いの銭失い (2)
 業者じゃないので測定器は所有してないが、テレビの隠しコマンドにて各種情報を見ることができる。
 テレビと録画機へ分配後のC/Nで15dBだったのが、これを接続すると12dBに下がった。せめてケーブル損失くらい救ってくれるかと思いきや、分配せず1対1で接続しても変わらず、まさかの付けないほうが良いという酷い有様でした。


| emisaki | 2019-11-23 Sat 22:23 | 映像音声::情報・考察 |
猛威を振るい続ける“地方症”:地方都市から見える東京
「断片の事実は事の真相にあらず」の典型ニュースがあった。
>FNN(テレビ西日本) 福岡市の繁華街でタクシー暴走 工事用フェンスに突っ込む

また高齢運転手かと思い込みは駄目なのでテレビ西日本の発信を見ると、
>衝撃映像!中州でタクシー急発進 男性はね工事フェンスに突っ込む 直前に歩行者とトラブルも

続きを読む ≫
 Twitter投稿動画を見るとガキどもが取り囲んでいるじゃん。接触事故があったとしても、だとしても取り囲まれ車内に乗り込まれるような事態、既に似たような事件が起きていることから恐怖して気が動転するのは当然であり、投稿動画からは後しか示していない。

 どうやら上記はTNC(フジテレビ系)だけの報道か。別件だったがKBC「渡辺通りでタクシーが歩行者はねる」、FBS「タクシーと衝突 自転車の男性一時意識不明」なるタイトルを見るだけで問題があるのが自転車は「車両(軽車両)」であって歩行者じゃない。

 歩行者の意図的な飛び出しや大阪であった暴走自転車のクズどものよう強者、弱者を車両で決めるという法的判断は破綻している。同時に真相を得てない時点での報道の仕方についても非難したい。

 横断歩道は道路上のため歩道の特例に含まれず自転車は徐行しても駄目で通行区分違反となる。警察による抑止力にならないイエローカードは温情で実際の罪状は「3ヶ月以下の懲役または5万円以下の罰金」。だから前科者となるべきは毎日、数百万人以上いると思われる。
警視庁(東京都警) > 自転車の通行方法等に関する○×クイズ

 「ヤンキーが多い県」と「交通事故の確率が高い地域」は一致していた。九州で言うならば福岡~熊本の南北ラインが危険。他所が安全なのではなく、もし犯罪が横行していても被害者がいないと表面化しない。13年前の福岡市職員(当時)による飲酒運転にて幼児3人を殺した事件は真っ先に思い出す。飲酒という行為によって故意に自動車を運転ならば事故ではなく重複した犯罪であり、死人が出たなら殺人事件とならない法律が狂ってる。

  飲酒運転により死者を出すことは自動車を凶器とした殺人事件だ!

 近年の件でも運転しながらなのに物が落ちたから拾うとか有り得ない行為から人殺しに転落するのも、「ヘッドホンステレオで音楽聴きながら歩く」や「~しながらスマホで前を見てない」とか、日常的に、よそ見しまくりで歩けるような無知・無能から危険な人間は十分に識別可能。


過去から繰り返された、地方から見える東京の近未来

 私は少年期から東京で「道の歩き方も知らない奴ら」「列の並び方も知らない奴ら」と怒ってきたと書いてきたくらいで、現在の親なら自らの無能さに自覚症状なんてない。明らかに能力が劣っていたり、モラルがないを越えて犯罪だろうとも自分は真っ当だヅラをしている奴らが多すぎる。

 前から推察しているよう、明治時代以前ともなれば日本中で大きな交流がなかったが、昭和中期まで救っていたのは他人と大きく関われなくても大家族があったこと。ところが核家族化に続き少子化が爆発的に自己中を生みだしてしまった。

 私が思う日本人の大間違いは、戦後に何でもかんでも欧米のほうが優れていると思い込んでしまったこと。確かに先に発展したように技術は進んでいたのだが、人間という点では進んでいたとは思えない。ところが日本の良かった部分まで欧米かぶれしてしまったのではないか。


 子の変わりぶりは運動会で取り沙汰されるケガ問題から見える。すごい昔に戻らずとも私の時代くらいまでは人間ピラミッドでケガなど聞いたことがない。当時はケガのうちに入らないのはあっただろうが総合的に体力、能力など落ちたことを意味してる。昔の方法を続けようとしてるのが問題で、落ちた連中に合わせてから引き戻す教育をすべきではないか。このままだと「eスポーツ」なんて言いながらゲームパッドで指が折れるなんてガキが出現しそうだ。

 もう終了したのは10年以上前か、テレビ番組で全国の小学生対抗「30人31脚」をやっていたが、今なら20人でも危なくてできないだろう。あまりにも自分勝手が進みすぎて二人三脚からやり直さねばならなくなってしまったのだ。

 私は通称「帰宅部」だったが固有の運動部には所属しないの意味であり「外であそ部」だった。現在ではオリンピックに出るような特殊な子がいる一方で、平均的には過保護による「ひ弱」で「頭でっかち」な子ばかりになってしまったから集団で何かさせるなんて無理な時代になったのだ。

 世界が羨む日本の良さをなくしてきた国益を損なう結果だ。数々の事件どころか生活態度から見えるのは、駄目な親と社会による「成れの果て」で日本人の終わりの始まりを見ている。

他人を気遣えない自己中を許す教育環境からはクズしか生まれない!

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| emisaki | 2019-11-23 Sat 21:35 | 生活::社会問題 |
「全部」「全て」の使い方への違和感
 全部とは全てであり、一揃え。例えば全20巻という長編小説という表現のように、1巻欠けたら全部ではない。ところがテレビから聞こえたのが「都道府県名と同じ名字を探すと 沖縄と愛媛以外 全部ある」のようなこと。

欠けているのに揃ってなければならない「全部」を使うのは不適切ではないのか? 疑問

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 難しい言葉は間違えて仕方ないだろうが、ここで示したよう簡単な日本語すら間違える。「楽観視」なんて「見る」の重なりを言う奴がいるよう日本人は馬鹿だったんだが、そうなる理由もずっと指摘してきた「日本人は言葉の意味を無視して音色で操る」と。

 長ければ短く、短すぎると今度は長く言いたがるのもある。ほかにも、マカロニでもラザーニャでもなくスパゲッティーと決定してるのにパスタなんて食べ物とも確定しない言葉を持ち出したのはなぜか?

 日本人なら覚え込んでて「1本、2本、3本、4本」の読み方に違和感ないはずだが外国人目線でみれば Why Japanese people ! でしょ。法則から続くは「ごっぽん」「ろくほん」じゃねーのかよって言いたくなる。数学的法則じゃなく私が推論したように何か好む言葉の音色ではないのかと。

 何の疑いもしなくなったところに間違えを生み出す原因があると考える。これを踏まえ、思い込みも捨て去って「全部」「全て」の使い方が正しいのか間違っているのかを考えたい。

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| emisaki | 2019-11-23 Sat 06:37 | 大衆媒体::テレビ・映像 |