2019-03-10 Sun
以前から宿坊での外国人観光客の問題は報道に取り上げられてきたが、ついに外国人の騒ぎや不謹慎行動によって日本人が避けるようになったことから一部の寺が外国人お断りにした。問題は人種ではなく阿呆かどうかであって、日本人の場合は認識してる人しか泊まらないという確率の問題である。修学旅行か何かでガキ集団でも泊めれば騒ぎは目に見えているから日本人だってどうかな。確率(平均的)という点では外国でも国によって民度を示すことはできる。
また、集団心理という点で多人数や子連れ家族を受け入れなければ良いわけで外国人お断りにする必要はないでしょう。外国人観光客ではなく日本に住んでいて日本をそれなりに知ってる人まで拒否になると差別問題にもなりうる。
知日派にとって外国人お断りは仕方ないと思われているが、良識ある側にとっては全世界で民度の低さを表す亡国人の「とばっちり」と考えている人も多いようだ。少しはマシな島や元英国すら酷いわけだから本土は桁違いである。加えてラテン系の人たちのうるささも書いてあった。同じ所に泊まった外国人観光客の投稿(宿坊かは不明)。
以前、某国の販売員が日本近辺は見た目で区別できないが会話でわかるのだと書いていた。客なのに「ありがとう」って言うのは日本人だけなんだって。慣例っていうか小さい頃からの社会的な洗脳に近いが、客はこっちで別に値切ってるわけでもないのに腰が低い。そうだった日本人も他人との関わり合い方を知らぬ不届き者が増えたことも確か…。
欧米人も自国で迷惑を目の当たりにしてきたわけで区別がつくようになってきたのかもしれない。観光客として一緒になることが多いから「誰が犯人か」理解しているのかもしれない。寺の外国人観光客お断りが人種差別騒ぎにならなかったのが幸いであるが、人格で別けるなんて事前には不可能である。
| emisaki | 2019-03-10 Sun 22:13 | 旅・散策と行事::考察・批評 |
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