2019-05-13 Mon
「クズは何をやっても、どこへ行ってもクズ」 病的行動は何も撮り鉄だけじゃない。GW前に鉄道ヲタク撮り鉄が自己中(自己中心的)な主張をSNSを通じて世間に発信したのが伝わってきたが、もう完全に「常軌を逸した人」であることを連中自身が証明してしまった。もちろん「インスタ映え」から世間一般まで狂ってるのが増えたわけだが、鉄ヲタは桁違いな自己中を突っ走る。ワイドショーはインスタ映えスポットとしてフランスで起きてる迷惑ごとを取り上げていたが、その前に日本のバカどもを始末していただきたい。個々の話題でテレビは取り上げても世間一般に伝わる時間帯ほどテレビは取り扱わないからね。
年を喰ったからじゃなく青年時代から怒ってる都内でのこともだが、きょうも歩道爆走のチャリカスは正面から俺にガンを飛ばしてくる(邪魔だという顔だ)。そこそこ安全なレベルでぶつかってくれれば殺人鬼を始末できるもののと思いながら歩道を歩いてるが、チンピラなクソガキは元よりママチャリも老人も爆走するので田舎者のほぼ全員が感染してる奇病なのだよ。集団で悪事を働いたり、当然だが被害者に出くわさなければ犯罪行為も表沙汰にならない。そんな奴らが他人がいる場でも真っ当な人間であるはずがない。
「迷惑者は、ほんの一部」なんて言ってられる時代はとっくのとうに終わりました。そして、銭湯マナーで頭ごなしに叱るなと高齢者vs.無知なガキどもの対決構図の記事もあったが、昔はそういうことを通じて学習したわけで「逆ギレ」という言葉が生まれたように受け付けない世代が登場した。
最初から叱らなければいけないほど無知、無能のまま世の中に出てくる
知らないなら怒る前に教えろは調子が良すぎる。昨今の事件を例にすると、誰かを自動車でひき殺してから、どういう運転の仕方をすればよかったのか教えろと言ってるに等しい。程度が低すぎるのだ。
少子高齢化と言いながらも、うるさい老人がいたとしても阿呆なガキのほうが数で勝っているのだ。老人のほうも多くの人間と関わらない生まれが都市部で高齢化の時代に突入した。どうすべきかも解らないくせにガキどものほうがネット上で自己中を展開でき、そういう彼らも高齢化した時代には今よりもっと荒廃した日本が待ってる。そうしたガキを育てたのは怒ってる老人たちだということも忘れてる。そんなことで他人との関わり合いの方法を知らない育ちの悪の根源な人たちを「区別」してきたのだ。
東京で「お前ら歩いてるだけで迷惑」だと言うほど能力が違うように悪事の自覚症状がない。出入りする前に知っておかねばならない最低限の必要性すら怠り、「知らないから仕方ない」とまで責任逃れを言うようになってしまった。
能力の違いは大きすぎ、幼稚園児の野球まがいとイチロー・大谷くらいの桁違いだと例え話を出してきた。数のチカラで攻め込んだから周り中が無知で埋め尽くされ自分たちがどんな迷惑者か気づけないだけ。能力の違いを理解できないから自動車の右折事故なんてのも多発してきた。
世間一般を例にしたが、鉄ヲタの場合は奴らが吐く暴言や行為からすると「頭のご不自由な方」とまで分類されることも多く対処法がない。ともかく、産まれてから好き勝手やっても怒られずに育った連中ほど病的な人間になるのだ。
個人的な分析でしかないが、鉄ヲタになる人、なってしまう人の多くは「他人と関わり合いたくても自我が強すぎて集団的な行動能力がなく結果的に孤立する人」だと見立てる。
大勢で暮らしたことがない人たちも同じ傾向。その一端は世間中にハッキリと見え老人や若者という年代の分け隔てではなく自己中育ちの田舎者の子孫同士が都会で自分勝手な理論を展開してるのが現在なのだ。
都会(集団生活の場)のなんたるかも知らない連中同士で揉めてる。
「人間はある程度の支配を受けないと真っ当な社会構造を維持できない」と論じた学者の文書を少し読んだことがあるが、こうした事例を見て正しいと思えてきた。既に「自由」と「勝手」を履き違え、勝手を押し進めてる。まさしくそれは外国に見られる無秩序な社会へ向かっているのだ。(自由=責任を伴う/勝手=無責任)
田舎者の奇病と書いたが、それは幼少期から常に自分勝手が認められてきたがゆえのことである。それが、おあり運転など引き起こす。過去に多少なりともそれを救っていたのは大家族であったが、少子化と核家族化によって希望も残らないパンドラの箱が開けられてしまった。
私の知り合いも被害者で鉄ヲタ(撮り鉄)から暴言を浴びせられたとのこと。何年か前に いすみ鉄道 にて鉄道会社が怒ったことに対して「何様だ」のような返答をする鉄ヲタがいたように、自己中という言葉で示すより酷く「頭のご不自由な方」であること間違えない。
以前は駅のプラットホームで三脚を使うひとなんていなかった。ところが、今の撮り鉄どもは平気で三脚を立ててるのを多々見かける。こうしたモラルの低下を奴らは逆ギレで返してくるのだろうか? 自分では考えられないのだから、とりあえず言う通りにしてみるって考えもできないのか? 銭湯マナーの件も同じで、老人が暴走する前に若年層の自己中のほうが激増したのが怒られる原因だと、なぜ考えられないのか?
私も写真を撮る。他人の事を語ることで自分を悪い方へ転ばせず次元を高めることができ、また、完璧だとは言えるはずもなく日々精進であり、迷惑なんてやったら自己嫌悪に陥って何年も尾を引いてしまう。その蓄積が行動を制約しようとも人間を高められる。それで写真なんて撮れなくても構わないではないか。ところが今は注意したら犯罪者のほうが謝れとか言ってくるほど狂った奴らばかり。逆ギレじゃなく劣等感を持てよ。
綺麗な景色だろうと迷惑事を犯す人間のクズが撮った写真はクズ写真でしかないのである。
踏みとどまれるか、ちょっとくらいいいか、の間に巨大な壁がある。踏み込んだ奴は終わりだ!
<追記 2019年5月26日: SBSニュースより
5月26日、JR島田駅で電車の設備の盗難事件が発生とのニュース。主たる盗難品は運転席の装置だそうで、金属泥棒ならはわざわざ電車のドアを開けなくても別のところに盗めそうなものはいくらでもある。それにドアはこじ開けた形跡がないと言う。盗難品は鉄ヲタが好みそうなものである。別の犯人が転売目的なんて考えたら足がつきやすいわけだから犯人がどういう奴かは推定される。
既に起きてきた犯罪からも言えることで、気持ち悪いだけなら何も言えないわけだが、近年では鉄道ヲタクによる不道徳行為なんて当たり前で、犯罪がちょくちょく起きてる有様だ。以前から危険性はあったのだが「たがが外れた」という言葉が的確だろうか。全体の水準が落ちているから、こんなとんでもない泥棒すら容易く罪を犯せるようになったようだ。
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<追記 2019年5月28日:
系列になるTBSが報道。盗難品は鉄ヲタには大人気の代物とのこと。関係ない人が危険を冒して盗む確率は天文学的に低い。泥棒してまで集める犯罪者を“盗り鉄”と呼ぶらしいが、本文の件も含めて“クズ鉄”ばっかり。真っ当なマニアを探すほうが困難。
本物のマニアはお金と年月をかけて解決する。撮影問題も同じで、畑を荒らして(踏み込んで)までしないと撮れない写真は最初から存在しないのである。立ち入れる場所で撮れるのはレンズの種類など機材でカバーするしかない。自己中の暴挙はあらゆる分野で噴出してるわけだが、特に鉄ヲタは自己の欲求を抑えられない頭の病気な人が多すぎる。
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「迷惑者は、ほんの一部」なんて言ってられる時代はとっくのとうに終わりました。そして、銭湯マナーで頭ごなしに叱るなと高齢者vs.無知なガキどもの対決構図の記事もあったが、昔はそういうことを通じて学習したわけで「逆ギレ」という言葉が生まれたように受け付けない世代が登場した。
最初から叱らなければいけないほど無知、無能のまま世の中に出てくる
知らないなら怒る前に教えろは調子が良すぎる。昨今の事件を例にすると、誰かを自動車でひき殺してから、どういう運転の仕方をすればよかったのか教えろと言ってるに等しい。程度が低すぎるのだ。
少子高齢化と言いながらも、うるさい老人がいたとしても阿呆なガキのほうが数で勝っているのだ。老人のほうも多くの人間と関わらない生まれが都市部で高齢化の時代に突入した。どうすべきかも解らないくせにガキどものほうがネット上で自己中を展開でき、そういう彼らも高齢化した時代には今よりもっと荒廃した日本が待ってる。そうしたガキを育てたのは怒ってる老人たちだということも忘れてる。そんなことで他人との関わり合いの方法を知らない育ちの悪の根源な人たちを「区別」してきたのだ。
東京で「お前ら歩いてるだけで迷惑」だと言うほど能力が違うように悪事の自覚症状がない。出入りする前に知っておかねばならない最低限の必要性すら怠り、「知らないから仕方ない」とまで責任逃れを言うようになってしまった。
能力の違いは大きすぎ、幼稚園児の野球まがいとイチロー・大谷くらいの桁違いだと例え話を出してきた。数のチカラで攻め込んだから周り中が無知で埋め尽くされ自分たちがどんな迷惑者か気づけないだけ。能力の違いを理解できないから自動車の右折事故なんてのも多発してきた。
世間一般を例にしたが、鉄ヲタの場合は奴らが吐く暴言や行為からすると「頭のご不自由な方」とまで分類されることも多く対処法がない。ともかく、産まれてから好き勝手やっても怒られずに育った連中ほど病的な人間になるのだ。
個人的な分析でしかないが、鉄ヲタになる人、なってしまう人の多くは「他人と関わり合いたくても自我が強すぎて集団的な行動能力がなく結果的に孤立する人」だと見立てる。
大勢で暮らしたことがない人たちも同じ傾向。その一端は世間中にハッキリと見え老人や若者という年代の分け隔てではなく自己中育ちの田舎者の子孫同士が都会で自分勝手な理論を展開してるのが現在なのだ。
都会(集団生活の場)のなんたるかも知らない連中同士で揉めてる。
「人間はある程度の支配を受けないと真っ当な社会構造を維持できない」と論じた学者の文書を少し読んだことがあるが、こうした事例を見て正しいと思えてきた。既に「自由」と「勝手」を履き違え、勝手を押し進めてる。まさしくそれは外国に見られる無秩序な社会へ向かっているのだ。(自由=責任を伴う/勝手=無責任)
田舎者の奇病と書いたが、それは幼少期から常に自分勝手が認められてきたがゆえのことである。それが、おあり運転など引き起こす。過去に多少なりともそれを救っていたのは大家族であったが、少子化と核家族化によって希望も残らないパンドラの箱が開けられてしまった。
私の知り合いも被害者で鉄ヲタ(撮り鉄)から暴言を浴びせられたとのこと。何年か前に いすみ鉄道 にて鉄道会社が怒ったことに対して「何様だ」のような返答をする鉄ヲタがいたように、自己中という言葉で示すより酷く「頭のご不自由な方」であること間違えない。
以前は駅のプラットホームで三脚を使うひとなんていなかった。ところが、今の撮り鉄どもは平気で三脚を立ててるのを多々見かける。こうしたモラルの低下を奴らは逆ギレで返してくるのだろうか? 自分では考えられないのだから、とりあえず言う通りにしてみるって考えもできないのか? 銭湯マナーの件も同じで、老人が暴走する前に若年層の自己中のほうが激増したのが怒られる原因だと、なぜ考えられないのか?
私も写真を撮る。他人の事を語ることで自分を悪い方へ転ばせず次元を高めることができ、また、完璧だとは言えるはずもなく日々精進であり、迷惑なんてやったら自己嫌悪に陥って何年も尾を引いてしまう。その蓄積が行動を制約しようとも人間を高められる。それで写真なんて撮れなくても構わないではないか。ところが今は注意したら犯罪者のほうが謝れとか言ってくるほど狂った奴らばかり。逆ギレじゃなく劣等感を持てよ。
綺麗な景色だろうと迷惑事を犯す人間のクズが撮った写真はクズ写真でしかないのである。
踏みとどまれるか、ちょっとくらいいいか、の間に巨大な壁がある。踏み込んだ奴は終わりだ!
<追記 2019年5月26日: SBSニュースより
5月26日、JR島田駅で電車の設備の盗難事件が発生とのニュース。主たる盗難品は運転席の装置だそうで、金属泥棒ならはわざわざ電車のドアを開けなくても別のところに盗めそうなものはいくらでもある。それにドアはこじ開けた形跡がないと言う。盗難品は鉄ヲタが好みそうなものである。別の犯人が転売目的なんて考えたら足がつきやすいわけだから犯人がどういう奴かは推定される。
既に起きてきた犯罪からも言えることで、気持ち悪いだけなら何も言えないわけだが、近年では鉄道ヲタクによる不道徳行為なんて当たり前で、犯罪がちょくちょく起きてる有様だ。以前から危険性はあったのだが「たがが外れた」という言葉が的確だろうか。全体の水準が落ちているから、こんなとんでもない泥棒すら容易く罪を犯せるようになったようだ。
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<追記 2019年5月28日:
系列になるTBSが報道。盗難品は鉄ヲタには大人気の代物とのこと。関係ない人が危険を冒して盗む確率は天文学的に低い。泥棒してまで集める犯罪者を“盗り鉄”と呼ぶらしいが、本文の件も含めて“クズ鉄”ばっかり。真っ当なマニアを探すほうが困難。
本物のマニアはお金と年月をかけて解決する。撮影問題も同じで、畑を荒らして(踏み込んで)までしないと撮れない写真は最初から存在しないのである。立ち入れる場所で撮れるのはレンズの種類など機材でカバーするしかない。自己中の暴挙はあらゆる分野で噴出してるわけだが、特に鉄ヲタは自己の欲求を抑えられない頭の病気な人が多すぎる。
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| emisaki | 2019-05-13 Mon 12:58 | 映像音声::情報・考察 |
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