2019-06-27 Thu
「お客様は神様です」が死語だってのに、まだこういうことをやってるからクソガキを製造する。「臭い物は元から絶たなきゃ駄目」って幼少期に見た脱臭剤のCMだったが、近代の企業や政府は馬鹿、間抜けだらけで「臭いものに蓋をする」政策しか取れない(迷惑な客に対し、お客様は神様ですな対応をする)。そうした社会勉強の場を消す対応の結果がクソガキからヤンキー、そして半グレが激増することになってしまったのである。
幼少期から青年期に必要なのは道徳教育と少々のことにも小さな罪悪感を持たせることにある。それが本当の悪に転ぶのを止める。ところがバカな警察組織は起きてしまった犯罪の検挙率しか考えず結果的に検挙率を急降下。暴力団員は減らしても犯罪人数は増やしてしまった。だから企業とて社会勉強の場を失わせ公の場に出て身勝手な振る舞いをさせることが、のちのち大きな問題に繋がってることまで全く理解してないようだ。
我々が幼少期にあった子供の道徳教育なんて消滅に近い状態で、騒ぐからゲーム機やスマホを持たせるなんて良いか悪いか議論になることがあるが、大多数は遺伝的にも後天的にも集団生活能力がない奴らがごちゃごちゃ自己中で論じてる無駄話。その結果が騒がしいなら何の価値も見いだしておらず単なる親の自己中なだけ。ゲームをやってピロピロ、ピーピー音を出したり、スマホで動画再生して音を出して何もとがめない究極のバカ親の登場、過去に取り沙汰されたのとは別系統で地方症モンスターペアレントの激増である。
筋違いの議論の持ち込み方に腹が立つ!
先日も論点のすり替えが行われており、赤ん坊が泣く話とベビーカーを広げたまま乗車する話を混ぜて正当化しようと展開して、世知辛いだの心が狭いだの、ちょっと何言ってんのかわかんないですけどーと真顔で言ってるべき “地方症”連中が報道コメントで自己中を炸裂させていた。
結局は“地方症”の鉄道機関が客の「自己中な要求」に負けた形だが、元々、20年、30年前と戻ってみて、ベビーカーを広げたまま電車に乗る奴がいたのか?と思うと、少なくとも東京ではいなかった。調べたが、自分が生まれるよりずっと前からベビーカーは高級品でなく存在していたし、その昔は乳母車という名前だった。このような状況証拠からも不道徳な連中の自己中な行動を裏付ける。
後から出現した不道徳者が集団になって自己中を押し付けたのであって、過去には子連れも大勢を連れていたのだから大変だったが、高齢者にも子連れや妊婦にも席を譲るのが成立していたから問題にならなかったのだ。誰もが座れる田舎と違って座れないのが当たり前の都会で成立していた数々の道徳を崩しやがったのが大量移民した団塊の世代から激増した “地方症” に犯された連中なのである。
前々から語ってきたように、自分が過ぎ去ってきた頃には「赤ちゃんが泣くのは仕事」って幼少期から聞いてきたが、そこには条件が伴っていることが認めるために重要であって、現代の究極の自己中なバカ親どもに見られる傾向は、あやしもしないで放置する奴らが一定数いることである。こうした無能ぶりの末路が、昨今、何件も報道されてる虐待事件なのだ。
以前の職場の隣が幼稚園だったが子に怒ることはなく、怒るとすれば細い道路に駐車、駐輪するバカ親のほう。家の近くには公園があって、楽しいんだが襲われてるんだかわからないくらいキャーキャー騒いでいるが、怒りを覚えたことはない。しかし「場違い」というのはあって“地方症”をわずらった大人の行動からしても大勢の他人がいる場ってのを本質的に理解できないのが大多数。これが当事者は自覚症状がない病的レベルから怒り続けてる。
子連れ専用車両は「臭いものに蓋をする」だけで何の解決にもなってない。少子化と核家族化、そして無知無能なままの移民が全ての元凶である。道徳の低い奴らが集団でハードルを下げてるくせに何を言う。そんなにクソ野郎でいるのが好きなのか!?
社会という集団生活の場を理解しない連中がルールを決めるなら日本も破滅への道を進む。
≪ 続きを隠す
筋違いの議論の持ち込み方に腹が立つ!
先日も論点のすり替えが行われており、赤ん坊が泣く話とベビーカーを広げたまま乗車する話を混ぜて正当化しようと展開して、世知辛いだの心が狭いだの、ちょっと何言ってんのかわかんないですけどーと真顔で言ってるべき “地方症”連中が報道コメントで自己中を炸裂させていた。
結局は“地方症”の鉄道機関が客の「自己中な要求」に負けた形だが、元々、20年、30年前と戻ってみて、ベビーカーを広げたまま電車に乗る奴がいたのか?と思うと、少なくとも東京ではいなかった。調べたが、自分が生まれるよりずっと前からベビーカーは高級品でなく存在していたし、その昔は乳母車という名前だった。このような状況証拠からも不道徳な連中の自己中な行動を裏付ける。
後から出現した不道徳者が集団になって自己中を押し付けたのであって、過去には子連れも大勢を連れていたのだから大変だったが、高齢者にも子連れや妊婦にも席を譲るのが成立していたから問題にならなかったのだ。誰もが座れる田舎と違って座れないのが当たり前の都会で成立していた数々の道徳を崩しやがったのが大量移民した団塊の世代から激増した “地方症” に犯された連中なのである。
前々から語ってきたように、自分が過ぎ去ってきた頃には「赤ちゃんが泣くのは仕事」って幼少期から聞いてきたが、そこには条件が伴っていることが認めるために重要であって、現代の究極の自己中なバカ親どもに見られる傾向は、あやしもしないで放置する奴らが一定数いることである。こうした無能ぶりの末路が、昨今、何件も報道されてる虐待事件なのだ。
以前の職場の隣が幼稚園だったが子に怒ることはなく、怒るとすれば細い道路に駐車、駐輪するバカ親のほう。家の近くには公園があって、楽しいんだが襲われてるんだかわからないくらいキャーキャー騒いでいるが、怒りを覚えたことはない。しかし「場違い」というのはあって“地方症”をわずらった大人の行動からしても大勢の他人がいる場ってのを本質的に理解できないのが大多数。これが当事者は自覚症状がない病的レベルから怒り続けてる。
子連れ専用車両は「臭いものに蓋をする」だけで何の解決にもなってない。少子化と核家族化、そして無知無能なままの移民が全ての元凶である。道徳の低い奴らが集団でハードルを下げてるくせに何を言う。そんなにクソ野郎でいるのが好きなのか!?
社会という集団生活の場を理解しない連中がルールを決めるなら日本も破滅への道を進む。
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