2018-05-21 Mon
近年、程度の低いCMが増えすぎた。番組よりもCMチェックしていた時代が遠い過去に思う。世代が変わった理由もあるが、メディアが多様化して広告が分散し大手がテレビ離れをしたからだろうか。それで日本で最大市場の関東ですらローカルCMが地上波で放送されるようになった。初めて若年層転職のCMを見たとき「○○○のCMそのまんまじゃん」と思い、さっそく検索すると『株式会社○○○が運営 転職サイト「△△△」』、なんだよ同じ会社だった。 元々○○○のCMがそれほどでもないのに、CMが同じ作りで質を落とすという情けない状態。その作りの大失態は同年代で、たいしたことなさそうなのが有能だと言う奴を見つけることにある。CM見てる側も何が問題か理由に気づけないようでは程度が低い。CM制作として同グループ企業だとしても真似事で程度が落ちては会社が同じと調べない人にはパクリに加えて地方やケーブルテレビで流れる程度のCMに見えるでしょう...
以前、名刺管理の競合2社がCMで題材にした会社員を見て思ったのが「時代遅れのオッサン役員 vs. 自己中なガキ社員」と内容を批評したよう近年は程度の低いCMが増えすぎ、それは制作者を示しているとも言える。
つながりは不明だが、ソフトバンクの iPhone 8 のCMと、ちょっと前にあったパチンコ屋のCMの作りは似ており、特に音楽(歌付き)は酷似していると言ってよい。完全たる共通点は「何が言いたいのか全くわからない」CMであること。最後にちらっと商品名、商品写真や社名だけ出ることもあるが、その前の大部分を占める映像と関連性が感じられないCMは増えたと感じてる。
また、テレビ番組のパクリの連鎖と同じでCMにも企画パクリの連鎖が生まれている。調べる暇があって深掘りできたら見えないものが見えてくるのかもしれないが、パクリではなく同じ制作会社によるネタの使い回しの疑惑もある。例えば、音楽の体をなしてないラップとやらをCMに持ち込んだのは同時期に最低3社は確認している。
パクリに思えることは、まとめて悪評を生むだけなのにドミナント出店の効果とでも勘違いしてやいませんか?東日本大震災発生後にACの映像だけとなったときでお分かりのよう「くどい」というのは拷問の手法なのである。
東京キー局でもローカル局レベルのCMが増えたのも事実。質を維持しているのもあるが、平均すれば東京にいながら地方にいるかのような感覚になってしまった。徐々に作り方が落ちたため世間としては気づいてないのだろうが、学生時代から地方のCMや番組をチェックしていただけに通常は見えないものが見える。CS放送で流れるCMともなれば ドイヒー!
昔からナントカ星から来た ホニャララ姫って設定の人が嫌いを通り越していたのだが、親になって設定とやらもやめたことで緩和されてたが、何やら英会話教材のCMにご出演で、見た瞬間に私は呆れ顔になるのが復活してしまった。ぶりっこ口調は自己洗脳でぬぐえなくなっており(一般人でもそういう人が増えた)、親なのに幼稚さを爆発させたCMは誰の責任かと言えば制作者。ただ、いまどきの親は大人とは呼べず「大きな子供」ばかりだから嫌われずCMの効力はあるのかもしれない。
ほかにもローカル化すると、広告主が子や孫を出演させたかっただけみたいなのがたまにある。だからCMの効果は二の次になっている。それが疑わしいのもCSやケーブルテレビなんかだと放送されており、特定出演者と周囲の演技や話し方などレベルが桁違いってのがある。それで目立つってもCMとして悪い方向でしかないわけだから広告費の無駄ではないのか。
大手にしてもCMの主張の意味がわからなくなり、「調子こいた制作者が格好付けたかっただけ」かのような映像に何の価値があるのか? だったら俺は ダイハツ WAKE みたいなCMのほうが桁違いに好感が持てる。
予算や映像技術がなくても昭和の番組やCMが注目される理由とは何か?
| emisaki | 2018-05-21 Mon 22:52 | 大衆媒体::広告 宣伝 |
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